東海村立図書館で、久々にDVDを借りて来たなり。
「風と共に去りぬ」は、過去に県立図書館でVHSを借りて来て観ていると思うのですが、ストーリーの記憶に関しては、「風と共に去りぬ」という事ですね。

「風と共に去りぬ」は、製作費600万ドル、メトロカラー総天然色で上映時間4時間に及ぶという超大作で、昭和14年(1939年)に完成してたんだよね。
日本国内の公開は、時局に合わない、という理由で、戦後の公開になったが、当時、日本で上映されていたら、アメリカ映画の余りのクオリティの高さに驚愕し、戦意喪失していたのは間違い無い、というね。
まぁ、アカデミー賞十部門を獲得し、市場観客動員数は歴代1位になっているし、映画ファンならず、誰もが一度は観ておく事は必須ですね。
原作は、マーガレット・ミッチェルの有名な作品で、スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)、レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)の演技も素晴らしく、全世界で永遠の記憶に残る不朽の名作、と呼ぶに相応しいですねぇ。
因みに、東野圭吾が原作の「白夜行」は、小説も読了し、ドラマも全て鑑賞していますが、主役の唐沢雪穂(綾瀬はるか)の愛読書が「風と共に去りぬ」で、スカーレットに憧憬を抱いている設定なんだよね。
「白夜行」の中では、取り分け、勝気で我儘な性格のスカーレット・オハラが唐沢雪穂(綾瀬はるか)で、怜悧な素封家のレット・バトラーが桐原亮司(山田孝之)のイメージとして、一致しているんだよなぁ。
東野圭吾は、恐らく、ピカレスク小説の「風と共に去りぬ」を意識しながら、「白夜行」を執筆したと思うんだよね。

以下、「風と共に去りぬ」の粗筋を、引用しながら記しておくなり。
1861年、南北戦争直前のアメリカ南部ジョージア州の町タラで、大園遊会が開かれた。
パーティーの女王でもあり、名家オハラの長女でもあるスカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、同じく名家ウィルクスの長男アシュレー(レスリー・ハワード)に好意を抱いていた。
しかし、アシュレーは、美貌だが気性の激しいスカーレットではなく、知性的で従順な従妹のメラニーと結婚する事になる。
怒り悲しんだスカーレットは、当て付けとして、メラニーの兄チャールズと結婚するが、チャールズは南北戦争に出征した後、戦死する。
その後、スカーレットの前に現れたのは、北軍と南軍を渡り歩き、物資を売り捌いて巨額の富を得たレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)である。
彼は、後家となった彼女の境遇と気性の激しい性格を知りながら、求愛の手を差し延べる。
しかし、南北戦争の結果、南部は北軍の手に落ち、バトラーは投獄され、スカーレットは極貧の農作業生活を余儀なくされる。
再び飢えに苦しまないよう決意したスカーレットは、妹の婚約者を奪い、木材会社を経営して、大富豪となる。
そして、二度目の夫も殺害されたスカーレットは、遂にバトラーと結婚する事となる。
しかし、アシュレーを忘れられないスカーレットとバトラーの間には確執が生じ、唯一の絆である娘は落馬の事故で失い、バトラーはスカーレットの許を去る事になる。
それでも、スカーレットは、故郷のタラに対する想いを生甲斐に、希望を託して生きていくのだった。
と、粗筋は、以上なり。

映画の感想としては、映画のスケールの大きさとクオリティの高さが印象に残ったのは然る事ながら、究竟、南北戦争とは、一体、どういう戦争だったのか、という史実に感興を催したんだよね。
スカーレット・オハラやその他の登場人物は、南北戦争で激甚な被害を受けた影響で、自身の人生哲学の変更を余儀なくされる訳で、現在でも、国家や支配者の政策や策略が、国民の人格形成に大きな影響を及ぼしているんだよね。
畢竟、戦争を含めた国家や支配者の政治的策略について、国民は責任を持って対処しないといけない、という事だと思いますよ。

以下、南北戦争について、引用しながら、長~い長~い説明が始まる・・・。
アメリカは建国以来奴隷制度の存在を認めていたが、資本主義の発展と西方への領土拡大と共に、奴隷制度は深刻な道徳的・政治的問題となっていた。
アメリカ南部11州は、奴隷制に反対する共和党のエイブラハム・リンカーンが、1860年に大統領に選ばれた事に抗議して、合衆国連邦から脱退した。
その結果、1861年に南北戦争という激しい内戦が始まった。
奴隷所有という未解決の問題を巡って、中産階級が大多数を占め、商業が主体の北部と、家父長制が健在で農業が主体の南部の間に深い亀裂が生じた。
メリーランドより北にある全ての州は、18世紀末までに奴隷制を廃止していたが、広大なプランテーションを経済基盤とする南部では、奴隷が重要不可欠な労働力だった。
メキシコとの1848年の戦争で、カリフォルニア、ニューメキシコ、テキサスという新たに獲得した領土を州として合衆国に組み込む事になった時、論争は再び過熱した。
新しい州、全てで奴隷制を禁止しようとする北部に対して、南部はそれぞれの州が決めるべきだと主張した。
奴隷制の問題に関する党内の意見の不一致から、第一党だった民主党が力を弱め、一方で、奴隷制に反対する様々な党派が手を組み、新たに共和党を立ち上げた。
リンカーン(在任:1861~1865年)が1860年の大統領選で共和党候補初の勝利を手にすると、その結果に抗議してサウス・カロライナ州が合衆国から離脱し、独立を宣言した。
他の10州(ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州、ヴァージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノース・カロライナ州)も離脱に加わった。
そして、1861年2月に独自の憲法を掲げ、ジェファソン・デーヴィスを大統領とする南部連合を結成した。
サウス・カロライナ軍が1861年4月12日にチャールストンのサムター要塞に配備されていた北軍を砲撃し、アメリカ南北戦争が始まった。
戦いは当初、南軍が連勝したが、戦局は1863年にゲティズバーグの戦いにより、北軍優勢へと変わった。
北軍が勝利した1865年から1877年まで、合衆国の政治は南北戦争で破壊された南部の再建を巡る論争に明け暮れた。
だが、経済面では大陸横断鉄道の建設が成長に貢献した。
リンカーン大統領は1864年の初めにユリシーズ・S・グラント将軍を北軍の総司令官に任命した。
グラント将軍は1865年4月9日、南軍を率いるロバート・E・リー将軍をヴァージニア州アポマトックスで降伏させ、戦争は事実上終結した。
5日後、ワシントンにいたリンカーン大統領は、狂信的な南部人の手で射殺された。
戦争は、4年間に渡り、南北合せて約400万人の将兵を巻込み、南北の戦死者は合計約62万人(北軍約36万人、南軍約26万人)であった。
また、この戦争は史上初めて工業力、鉄道、電信が勝敗決定の役割を果した本格的な近代戦争であり、連発ライフル、手動式機関銃などの新兵器が登場し、海戦では、初めて甲鉄艦、潜航艇などの艦艇が使用された。
尚、この戦争中、63年1月にリンカーンは奴隷解放宣言を発し、南軍敗北の結果、奴隷解放が法的に実現した。
憲法修正13条により、1865年12月18日に奴隷解放が行われた。
リンカーン同様、次のアンドルー・ジャクソン大統領(在任:1865~1869年)も、和解を基本とする南部再建政策を提唱した。
南部の荒廃は酷く、農業生産は1870年まで、1860年当時の半分にも満たない状況が続いた。
ところが、議会の共和党急進派の大部分は南部の政治、社会体制を徹底的に解体するように主張し、軍政を敷いて南部諸州を管理した。
自由になった奴隷の保護を目的として1867年に解放黒人局が設置されると、南部全人口のほぼ半分にあたる、300万人を超える奴隷だった人々が登録に押し寄せた。
だが、南部地域の、元奴隷に対する社会的境遇には、何も変化が無かった。
最大規模のクー・クラックス・クラン(KKK)をはじめとする数々の秘密結社が、人種差別運動を展開し、元奴隷だった人々を恐怖に陥れた。
南部社会の抜本的な改革は、グラント大統領の時代(在任:1869~1877年)に、初期の段階で行き詰まりをみせた。
グラントは将軍としては成功を収めたが、大統領としてはそれに及ばず、2期目には汚職事件に悩まされた。
1870年に北軍が南部から撤退し、「再建の時代」が正式に終わると、程無くプランテーションに、あからさまな奴隷制ではないまでも、白人優越主義の旧体制が戻ってきた。
南部は19世紀末までに徹底した人種差別を導入し、学校、公共の交通機関、レストランなどでそれを実施した。
南北戦争後の北部には、特に大陸横断鉄道の建設によって、力強い景気回復が訪れた。
1893年までに5本の鉄道路線が完成し、定住者のまばらな西部の開発を促した。
戦後、南部の北部への経済的従属化、植民地化は一層深まり、南部をその市場に組み込んだ産業資本主義は、飛躍的な発展を遂げる事になった。
(2026/1/13)