レンタル落ちDVDで100円で購入、安いっしょ~。
「アラバマ物語」は、レンタルショップ、図書館、どちらで借りたのか忘れたけれど、十年以上前に一度観ているんだよなぁ。
映画の方の「アラバマ物語」は、アカデミー賞3部門に輝いた普及の名作で、弁護士役のグレゴリー・ペックは、主演男優賞を受賞している、との事。
小説の方の「アラバマ物語」は、ハーパー・リーという女性作家の作品で、ベストセラーになった小説なんだよね。
(小説の原題は、「TO KILL A MOCKINGBIRD」で、和訳すると、「ものまね鳥(マネシツグミ)を殺す事」になり、罪の無い者を殺してはいけない、という小説のテーマになっている。)
映画は、1932年のアラバマ州のメイカムという小さな架空の街を舞台にしていて、モノクロの映像にした事により、ノスタルジックで長閑な雰囲気になっていますね。
梗概としては、弁護士アティカスが、婦女暴行事件の容疑者にされた黒人青年トム・ロビンソンの弁護を担当し、人種差別と偏見に立ち向かいながら、青年の無実を晴らそうと奔走する、といった処。
アティカスは、妻を亡くし、子供たち二人(スカウト、ジェム)と暮らしていて、映画のストーリーは、アティカスの子供(スカウト、ジェム)の視点で進行し、子供たちは徐々に複雑な大人の世界を知りながら、アティカスから正義の尊さを学び、薫陶を受けて成長していくんだよね。
婦女暴行事件は、被害者(メイエラ)の父親(ジャッジ)が黒人青年に濡れ衣を着せていて、被害者(メイエラ)の父親(ジャッジ)と町民は、アティカスと子供二人(スカウト、ジェム)に嫌がらせをするなどして、裁判が進行するにつれ、家族に対する風当たりが強くなっていく。
しかし、アティカスは子供たち(スカウト、ジェム)に、やられてもやり返すな、という正当な手段を貫く正義の姿勢を教え、アティカスは被害者の父親(ジャッジ)に唾を吐きかけられても無抵抗であり、弁護士、乃至、父親として、子供たちに生き方の見本を示すんだよね。
被害者である娘(メイエラ)は、無教育で貧しい女性で、獰悪な父親(ジャッジ)の言い成りになって裁判で発言して、陪審員も誰一人として容疑者の黒人(トム・ロビンソン)の味方をせずに、トム・ロビンソンは敗訴する事になる。
しかし、裁判の内容自体は、アティカスの論理的な弁護により、実質、裁判の聴衆に対しては、無実の証明が為されており、黒人の聴衆は、それが何より重要な事だと受け止め、アティカスに対して敬意を払うんだよね。
後に、黒人の容疑者(トム・ロビンソン)は、裁判の結果に怖くなり、逃走を図り射殺される事になり、被害者の娘(メイエラ)の父親(ジャッジ)も、後に、ハロウィンパーティーの夜中、アティカスの子供二人(スカウト、ジェム)に危害を加える事になる。
しかし、その現場で、近隣に住み滅多に外出せず恐れられている知的障害者の男(ブー)が、子供たち二人(スカウト、ジェム)を助け、被害者の父親(ジャッジ)を殺害して、映画のストーリーはエンディングへ向かう事になる。
知的障害者の男(ブー)は、以前から、誰にも知られないように、子供たち二人(スカウト、ジェム)にプレゼントを渡したりしていて、田舎町のコミュニティーから外れながらも、心優しき青年であり、ストーリー上、重要な役割を担っているんだよね。
人間は、本来、優しさを持っていて、知的障害者の男(ブー)は、複雑で陋劣な大人社会に存在する子供であり、子供たち2人(スカウト、ジェム)は、知的障害者の男(ブー)からも、大切な事を学ぶようになる、というね。
まぁ、映画の感想を言うなら、人種差別と闘う弁護士アティカスの凛々しい姿に心を打たれたのは勿論なんですが、町民との人間関係が一筋縄では行かない処が、憤りが有りながらも、面白かったと思いましたね。
アラバマ州は植民地時代から重要な綿花地帯で、奴隷の黒人が多い地域でもあり、貧しい白人が黒人に対してリンチを行ったり、非道な事を行ってきた歴史が残されている。
しかしながら、アラバマ州に住む貧しい人たちは、質素ながらも長閑な生活を楽しみ、互いに助け合いながら生活している訳で、古き良き時代のノスタルジーも、「アラバマ物語」という映画では、巧みに表現されているんだよね。
個人的に、「アラバマ物語」で最も印象に残るシーンは、裁判が終了した後、弁護士アティカスが退出する際、黒人、その他の聴衆が立ち上がって迎えるシーンですが、それは、結果として表れない勝利を意味している、と思いましたね。
公民権運動が全米を席捲していた1962年に「アラバマ物語」という映画が製作された訳ですが、その30年前とあっては、正当な裁判をして勝利を得る事は、難儀であった筈。
然為れば、1930年代、その時代に即した戦い方があり、アティカスの聴衆に訴えかける演説のような弁護は、深い意味がある有効な手段だったと思いますね。
そして、映画の中で最も遺憾に耐えないのは、黒人青年トム・ロビンソンの逃走であり、彼(トム・ロビンソン)は、最後まで諦めずに、人間の正義と善意を信じ続けて生きるべきだったと思いますね。
まぁ、映画のストーリーとして、出来過ぎの感が有るにしても、人間の生き方を指針するこの作品が、多くの人に受け入れられているという事実に、社会的な希望を見出したいと思いますね。
最後に、アティカスの弁護の台詞を、一部、以下に記しておきますね。
「初めに、本事件は裁判に価すると思えない。何故ならば、検察側は被告を起訴するに足る医学的証拠を何も得ていない。
頼りは、僅か2人の証言だ。その証言も確かな裏付け調査はされず、被告によって簡単に否定された。
(途中、省略)
私は被害者に対し、強い同情を禁じ得ない。彼女は、悲惨な貧困と無教育の犠牲者だ。
だが、己の罪を隠す為に、他人の命を危うくするなら、私の同情にも限りがある。
(途中、省略)
保安官を除く本件の証人は皆さんの前で明言した。証言は疑う余地無しと確信を持って。
諸君が、ある前提によって審議を行うという確信だ。ある前提とは、全ての黒人は嘘つきで不道徳であり女性を必ず騙すという思い込みである。
誰もが、それに同意すると確信している。大きな間違いだ。
(途中、省略)
こうして白人女性に無謀にも同情した謙虚で寡黙な黒人は、2人の白人に対し反論を余儀なくされた。
被告は無罪であり、罪はこの法廷内の一人の人物にある。
我が国に於いて裁判は全て公正を旨としており、法の下に全ての人間は平等である。
裁判や陪審制度の高潔を信じるほど、私は理想主義者ではない。裁判は絵空事ではなく、効を成す生きた現実だ。
これまでの証言を私情抜きに検討し、公正な結論によって被告を家族の元へ返して頂けると私は信じる。
主の名において公正な陪審を。主の名において被告への信頼を。」
(2026/1/5)