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この映画のタイトルは、以前、私が作成したブログ、「REAL YELLOW MONKEY」(https://ameblo.jp/theorize/)で、HNとして使用しているんだよね。
映画のストーリーは、人間になりたいロボット、アンドリューNDR114が、人間に近付く為に様々な改良を得て、法的に人権を得る為に戦う、といったストーリーですね。
映画の前半の方は、レトロ感のあるデザインのロボットの言動や行動がコミカルで、コメディ映画としても、良く出来ていると言えるんだよなぁ。
只、ロボットの感受性や創造性の発揮については、予想外の働きを見せる訳で、AIが芸術や工芸の分野に入って来た時に、著作権の問題等、権利の問題の対処について、勘案させられる内容だよね。
映画の後半でアンドリューNDRは、人間と全く見かけも中身も変わらないレベルの改良を受け、嫉妬の恋愛感情まで生じるけれど、ロビン・ウィリアムズの情感豊かな演技は、余りにも人間的で違和感がある位なんだよなぁ・・・。
しかし、人工筋肉、柔軟な皮膚感覚を齎す素材、緻密に張り巡らされた触覚や温度センサー、長時間駆動が可能なパワーサプライなど、技術力の向上によって、将来、人間と外見的にも同レベルのロボットを製作する事は、何の問題も無く可能だろうね。
まぁ、人間とロボットの最大の違いは、畢竟、生命に終りがあるかどうかという処に収斂される、という事がストーリーの肝要な部分ですが、人間の生命と運命について、我が事としても考えさせられますね。
最後に、アンドリューNDRは、尊厳を持って終焉を迎えるわけですが、涙無しでは観られない、人間よりも人間らしいアンドロイド・ドラマと言えるよね。
アイザック・アシモフの有名なロボット三原則は、元々は、フランケンシュタイン・コンプレックスから生じたものなのではないか、と過去に朝日新聞の円城塔の記事に掲載されていた事があったんだよね。
1950年代に書かれたアイザック・アシモフの作品は、ディックの作品のようなアンドロイドの自律した人間性や人格については、描かれていないといった感じの指摘をされていたんだよね。
しかし、1970年代に書かれた「BICENTENNIAL MAN」(アンドリューNDR114の原作)になると、AIであるが故の葛藤や人権について書かれるようになってきた、という感じの記事だったと、確か、記憶してるんだよね。
1970年代というと、公民権運動ともリンクしているし、そういった意図で、上記の作品が書かれたんだろうなぁ、と推測出来るよね。
又、円城塔は、ロボットと人間の共同作業によって何かを生産していく事が、今後の理想体系だと記事で語っていた事を、大体、憶えていますね。
元々、「ロボット」の語源としては、チェコ語で強制的労働を意味する「ロボータ」(Robota)と、スロバキア語で労働者を意味する「ロボトニーク」(Robotonik)という、2つの言葉を合わせて作られた造語なんだよね。
只、ロボットも産業用ロボットや家事ロボットから、コミュニケーションのメディア(媒体)という役割として、知性や感情を持つようになり、人間と同じような自律型ロボットへと変遷していく事になるんだよね。
そうなると、自律型ロボットとしての人権を考慮しなくてはいけないのと同時に、ロボットの反乱も考慮しなくてはいけない訳で、そこは、安全機能の組み込みが重要になりますね。
そして、自律型ロボットに対して、人間がどういう感情移入をして、どういう期待感を抱くのか、といった問題を考えていく事も、上記と同様、重要になりますね。
それは兎も角、私が、以前のブログ(REAL YELLOW MONKEY)で、映画のタイトルをHNとして使用した意図については、人権の為に戦うアティチュードを示したい、という事なんですよね。
世界を見渡せば、自由を奪われ人権を侵害されて生活している人が多数、存在する訳で、そういった現実と戦う事が人間社会の摂理だと思いますね。
(2025/12/26)