八代亜紀、その他、まとめてレビュー
八代亜紀
水戸コンピュータ専門学校1年、19才の頃、私は、友人の誘いで3人で、那珂湊にある海の近くの缶詰工場で、夏休みの期間、バイトをしていた事があったんですよ。
その夏、1993年は、記録的な冷夏で米不足になり、巷でタイ米が流通し、常に曇天の空模様が続いた、そんな夏だったんだよなぁ。
私は、丸井で5000円で買ったcosbyのTシャツを着て、2ブロック、IB、Vのヘアスタイルで、ウォークマンでストーンローゼスの1stアルバムを、バイト先の送迎バスの中でよく聴いていた、というね。
缶詰工場で、私は、裏表にランダムに流れてくる缶詰を表側にする仕事を、主に担当していたんですよ。
PSPのゲーム、バイトヘル2000(電気グルーブ、プロデュース)のボールペン工場を、想起する仕事内容なんだよね。
缶詰工場で常に流れているBGMは、物悲しい演歌で、今、思い出すと、雰囲気としては、最高のシチュエーションだったと思うんだよね。
まぁ、私も烏兎匆匆、知命になり、普通に演歌を聴くようになったけれど、八代亜紀は、缶詰工場のBGMにしみじみ似合うと思うんだよなぁ。
以前、ノンジャンルスタイルというブログで、私は、八代亜紀をレビューした事があったけれど、野田努もエレキングで八代亜紀のジャズのアルバムをレビューした事があったんだよなぁ。
八代亜紀も、元々は、ジャズシンガーだったんだよね、ジャズのアルバムは、晩年になってからの制作でしたけどね。
石原裕次郎
石原裕次郎といえば、「太陽にほえろ」と「西部警察」ですが、「西部警察」に出てくるR30型スカイライン(鉄仮面)は、好きな旧車なんだよなぁ。
自動車部品製造の工場(大坪製作所)で働いていた時、先輩が乗っていたし、NS400Rを購入したバイク店の店長も、乗ってたんだよね。
R30型スカイライン(鉄仮面)が好きだというのが、如何にも好事家の自分らしいセンスだと思うんだよね(笑)。
まぁ、R31型で車体の色がシルバーの方が、好きなんだけどね。
音楽を聴けなかった10年間の時代、私は、私の古い白色の家に蟄居させられていたけど、私の新しい灰色の家の方では、父親のラジカセから石原裕次郎の曲が、夕方、たまに微かに聴こえる時があったんだよね。
「夜霧よ今夜も有難う」、「港町 涙町 別れ町」辺りの曲が、リピートされて掛かっていた、と記憶してるんだよなぁ。
それで、石原裕次郎のムード歌謡がわりと好きになってしまった、というね。
まぁ、微かに聴こえてるだけだから、音楽を聴いた、とは言えない、と思うけどね。
ムード歌謡以外の曲では、「嵐を呼ぶ男」のジャズの曲調は相当、カッコ良いですね。
そういえば、自動車部品製造の工場(大坪製作所)で、私の新入社員歓迎会の時に、カラオケで20才のOLと40才位の上司が「銀座の恋の物語」をデュエットで歌ってたんだよな。
「銀座の恋の物語」が、石原裕次郎の曲だという事は、最近、知ったというね、この曲も良いですねぇ。
因みに、泉谷しげるは、石原裕次郎の熱唱しない流すような歌い方に影響を受けている、との事。
グリーンデイ
グリーンデイ等のメロコアパンクを聴いていた頃、21才の私は、帽子、服、スニーカーと、VANSやbitchのスケートボードのブランドで統一してた、というね。
その頃は、流行のルーズなファッションに合わせてたんだろうなぁ、まだ、眼鏡を掛けてなかった頃だったんだよなぁ。
上記のスケートボードのブランドは、地元のマックハウス辺りで間に合うけど、当時は、友人と宇都宮のユニオン通りに行って、服やポスターやインテリアグッズを購入していましたね。
ユニオン通りにあるショップは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン等、ミクスチャー・ロックがBGMでしたね、1996年頃の話ですよ。
それと、オフスプリングのロックTシャツは、地元のBeamsというCDショップで購入したんだよなぁ。
Beamsでは、私は常連の客で、今までのトータルで100万円以上は、その店でCDを購入したんじゃないのかなぁ。
東海村からひたちなか市に店が移転した後も、常連だったしね、田舎にしては品揃いの良いCDショップだったんですよ。
そして、Beamsで購入したスケートボードのテクニックを教えるVHSテープのBGMは、主にメロコアパンクだったんですよ。
そういう事もあって、新車で購入してカスタムしたワゴンR(4WD、ターボ)の中で、よくグリーンデイやオフスプリング等のメロコアパンクを、聴いていたんだよね。
スケートボードは、私の家から300メートル位、東にあるA運動公園だと駐車場が狭いので、東海村と佐和の境目にある笠松運動公園の駐車場で、練習してたんだよなぁ。
スケートボードは、専門のショップで3万円で買って、練習していたけど、大して上達しなかったんだよなぁ(笑)。
因みに、茨城県那珂郡東海村とひたちなか市佐和の景色は、グリーンが多いですね、それなりにカントリーですからね。
そして、私は、東海中学校、勝田工業高校と、出身校の規定のジャージの色もずっとグリーンだった、というね、グリ~ングリ~ン。
まぁ、グリーンデイを聴くと、21才の頃の自分を思い出しますよ、その頃は、まだIT関係で働いてなくて、工場労働者だったけど、楽しかったと思いますよ。
グリーンデイは今も現役で、アメリカを代表するロックバンドになったけど、メロコアパンクという音楽性を考えると、頑張ってると言えるんだよなぁ。
グリーンデイも初期のアルバムは、昔、所持していたけど、今は、ベストアルバムだけ所持している、というね。
そういえば、シカゴ音響派を聴きながら、というブログに、昔、グリーンデイの事をコメントしたら、嫌いではないけど家で聴く事は無いですね、というコメントが返って来たんだよなぁ。
ニナ・ヘーゲン
ニナ・ヘーゲン、東海村に住んでいると、ミナ・ハーゲンになりそうですね。
ニナ・ヘーゲン、ランキングでは、ニューウェイブ部門で、ベスト盤を1位にしています。
まぁ、私淑する漫画家の山田花子の影響で、聴き始めたんだけど、レンタル店でベスト盤を取り寄せただけでなく、図書館でも1枚アルバムを借りているんだよね。
聴いているアルバムは、「14 friendly ABDUCTIONS The best OF NINA HAGEN」、「REVOLUTION BALLROOM」の2枚。
戸川純は、ニナ・ヘーゲンを髣髴とさせる特徴的な歌い方だし、影響を受けているはずだから、戸川純ファンの山田花子も、そういう繋がりで聴いていたんだろうなぁ。
まぁ、ロックの歴史に於いて、女性が本格的に参入するのは、パンク・ロック以降なんじゃないですかね。
ニナ・ヘーゲンは、ドイツの歌手で、2才の時に両親が離婚し、養父のヴォルフ・ビアーマン(詩人、音楽家、作家)は、東ドイツから市民権を剥奪されていた、との事。
そして、ニナ・ヘーゲンは、ビアーマンを支持した後、西側に亡命し、そして、イギリスに渡り、その後、西ドイツに戻る、といった経緯を、私、Wikipediaで調べたわよ。
ニナ・ヘーゲンは、UFO理論だとか宗教だとかスピリチュアルだとか、何やかんや、謎が多い異形な雰囲気のキャラクターで、良いんじゃないですかねぇ。
フリッパーズ・ギター
私の世代は、グランジ/オルタナ世代という言い方もするけど、フリッパーズ・ギター世代という言い方もするんですよ、知っとるけ?
まぁ、専門学校生の頃は、ニルバーナやパールジャムやアリス・イン・チェインズやストーン・テンプル・パイロッツ、その他、グランジを中心に聴いてたんですよ。
その頃の私は、ネルシャツを着たり、シルバーアクセサリーを身に付けたりと、グランジっぽいファッションだった、と思うんだよね。
何かこうね、フリッパーズ・ギターの都会的なフレンチポップ路線がね、当時、自分の趣味に合致しなかったんだよね。
「シカゴ音響派を聴きながら」のブログでもskksは、プライマルスクリームの記事で、フリッパーズ・ギターの事を言及していたんだよね。
それで、気になってフリッパーズ・ギターのアルバム3枚をレンタルしてきたんだけど、それなりにハイセンスな感じはするんだよなぁ。
「Colour me pop」というアルバムが、特に良いですね。
小沢健二は、私が音楽が聴けなかった10年間の時代に、朝日新聞に新曲と歌詞の全てを、広告として掲載してたんだよね。
「もしも、間違いに気がつかなかったら」といった感じの歌詞で、円環を意識した謎解き、みたいなミステリアスな歌詞でしたね。
(2025/9/20)