千のプラトー -資本主義と分裂症-
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ
河出書房新社
以下、引用
文学は一つのアレンジメントであり、イデオロギーとはまったく縁もゆかりもない。
イデオロギーなどというものはないし、かつてあったためしもなかった。
書くこと(エクリール)は意味することとは縁もゆかりもなく、測量すること、地図化すること、来たるべき地方さえも測量し、地図化することにかかわるのだ。
バロウズのカット・アップの方法をとりあげてみよう-
あるテクストの他のテクストの方へ折り曲げ(まるで差し枝のような)は、問題となっているテクストの次元を補完する次元をともなう。
折り曲げのこの補完的次元においてこそ、統一性はその精神的作業を続行している。
まさにこの意味において、最も決然として断片的な作品がまたしても<全体的な作品>ないし<偉大な作品>として提出されることになりかねないのである。
諸系列を増殖させたり多様体を伸長させたりするための現代的方法の大部分は、例えば直線的な方向にも十分適用できるものである一方、全体化による統一性はなおさら何か別の次元、円環や循環の次元において確立される。
グレン・グールドがある曲の演奏速度を速めるとき、彼は単にヴィルトゥオーソとしてそうしているのではなく、音楽上の点の数を線に変容させ、集合を増殖させているのである。
学校の女性教師は、文法や計算の規則を教えるとき、何か情報を与えるというわけれはなく、また生徒に質問するときも、生徒から情報を手に入れるわけではない。
彼女は「記号へと導き」、指図を与え、命令するのだ。
教師の命令は、教えられることの外側にあるのではなく、これにつけくわえられるものでもない。
命令は最初の意味から出てくるわけではなく、情報の結果ではないのだ。
秘密結社は、社会の内部で常に戦争機械として作動する。
秘密結社に関心を寄せた社会学者たちは、保護、均等化と階層性、黙秘、儀式、没個性化、一極集中、自律性、分別など、結社がもつ数多くの規則を抽出した。
ブーレーズが音楽史の仕事に手を染めるのは、大作曲家がそれぞれ独自の方法で、和声の垂直線と旋律の水平線のあいだを通る一種の斜線を作り出すとき、どのような作業をおこなっているのか明らかにしたいからだ。
(2010~2014年頃、執筆)