CODE2.0
ローレンス・レッシグ
引用
序文
一九九六年春、「コンピュータ、自由、プライバシー」(CFP)の名の下に招集される年次会議で、SF作家が二人、サイバー空間の未来についてのお話をした。
ヴァーナー・ヴィンジは「きめの細かい分散システム」によって可能になる「遍在的な法執行/警察」について語った。
社会生活のありとあらゆる部分が、コンピュータを通じてネットに接続されて、その一部が政府専用で使われるようになるだろう、という話だ。
このアーキテクチャはすでに構築されていた-それがインターネットだ-そして技術主義者たちは、それを拡張する方法を論じつつあった。
このコントロールのためのネットワークは、社会生活のあらゆる部分に織り込まれるようになるにつれて、政府がそのコントロールについてそれなりの分け前を要求するようになるのは時間の問題だ、とヴィンジは語った。
世代ごとに、コードはこの政府の力を増すようになるだろう。
未来は、完全な規制の世界となり、分散コンピューティングのアーキテクチャ-インターネットとその付属物-こそはその完成を可能にする、と。
ヴィンジに続いたのはトム・マドックスだった。かれのヴィジョンはかなり似ていたけれど、そのコントロールの源がちがっていた。
政府の権力は、チップだけからくるのではない、という。マドックスによれば権力の真の源泉は、政府と商業の連合だった。
商業は政府と同じように、規制のある世界のほうが動きやすい。そのほうが所有物はしっかりと保護されるし、データもとらえやすいし、騒乱のリスクも少ない。未来はこの社会秩序の二勢力の連合となるだろう、と。
コードと商業。
この著者二人が語った時点では、かれらの描いた未来はまだ現在になっていなかった。
サイバー空間はますます広まってきたけれど、でもそれが飼い慣らされて政府のお使いをするようになるとは想像しにくかった。(略)
10年後、このお話はもはやフィクションではない。ネットがもっと完全な規制の空間になり得ることを見て取るのは簡単だし、商業の背後にある力がその規制を推進するうえでどんな役割を果たすかもすぐにわかる。
なんらかの「構築」を含まないような選択肢はない。コードは決して湧いて出るものではない。
それは絶対に、誰かが作らなければならないものだし、それを作るのはわれわれ自身しかいない。
マーク・ステフィックが言うように、「(サイバー空間)のバージョンがちがえば、それがサポートする夢も違う。
それが賢い選択だろうと愚かな選択だろうと、ぼくたちは何らかの選択はすることになる」。
または、コードは「どの人がデジタル物体にアクセスできるかを決める。
(中略)そうしたプログラミングがどのように人間の相互作用を規制するかは(中略)そこで行われる選択次第だ」。
あるいはもっと正確に言えば、サイバー空間の自由やコントロールを定義するサイバー空間のコードは構築される。
それは議論の余地がない。だが誰がどんな価値観をもって構築するのか? 残された選択はそれしかない。
ネットワークは、フィルタリングも、編集も、責任もなしの刊行を可能にした。
みんな好きなものを書いて、署名しようとしまいと、世界中のマシンに投稿して、ものの数時間のうちにその言葉は至るところに出回る。
ネットワークは、実空間での言論の一番だいじな制約条件を取り除いた-その制約とは、出版社と作者との分離だ。
実空間でも、虚栄心を満足させるための出版というのはあるけれど、それを広い読者に届けられるのは金持ちだけ。
残りのわれわれは、実空間では出版社が与えたいと思ったものしかアクセスできない。
つまりサイバー空間は、到達力の点でちがっている。だがそれはかなりの匿名性を与えてくれる点でもちがっている。
(2010~2014年頃、執筆)