ブラジルの音楽

南アメリカではスペイン語を使う国がほとんどですが、ブラジルのみポルトガル語が使われている。
十五世紀の末に、新大陸を発見したと主張するスペインとポルトガル両国がどこまで領土にするか話し合う。
そのとき出来た条約では、現在のブラジルにあたる部分はポルトガルの植民地だったため、独立国となってもポルトガル語が国語となりました。
そのポルトガル語の「サウダージ」は、失った物への愛着とか、いまここに持ってないものへの想い、そういう悲しく甘美な感情を表すブラジル音楽のキーワードだ。
遠く海を渡ってゆくポルトガルの男たちの故郷の思い、残された女たちの思いなどがミックスされている。
ブラジルでは、スペイン領のキューバなどと同様にサトウキビ栽培のために多くの奴隷をアフリカから連れてきました。
多くがナイジェリアやコンゴ人です。奴隷という厳しい身分でありながら、アフリカ人たちは非常に強い共同体をブラジルの土地で作り上げました。
アフリカから持ってきた衣服や装身具、料理、音楽、農作の知恵、鉄精錬の知恵、そんな文化を根付かせていった。
ブラジル音楽といえばサンバですが、即興的な歌(ソロとコーラス)と手拍子のリズムが原型らしいです。
そこから、パーカッションや小型ギター類も加わるようになる。踊りはお腹から腰にかけての動きが特徴。
最初のサンバは、1916年末に著作権登録、レコード録音。歌詞は、サンバを踊って悲しみを追っ払おうという内容。
19世紀の末から首都リオデジャネイロには、バイーアなど北東部の元奴隷やその子孫たちがたくさん移民してきました。
彼らが運んできた文化がリオで発展、ポピュラー音楽としてのサンバとなっていきました。
一番古い時期のサンバでは、儀式に使う神聖な太鼓は使っていけないので、手拍子、テーブル、マッチ箱などがリズム楽器となりました。
また、安く手作りの楽器しか使えなかった。
リオのカーニバルは、アフリカ混血文化の現代的発展の頂点とも言える。カーニバルでは、音楽・構成演出、振付、全ての要素が採点され、マイナー落ち、メジャー昇格がある。
そもそもポルトガルの首都リスボンでも盛大なカーニバルがあるのでその伝統を受け継いでいる。

ボサノヴァは生誕50周年を迎えてから、ますます世界的に評価され発展させられています。ボサが「やり方、個性的なくせ」、ノヴァが「新しい」という意味。
サンバの新しいスタイルですが、公式誕生の年は1958年となっています。
アントニオカルロスジョビン、ジョアンジルベルト(ギター)が、ボサノヴァとして認定される。
1958年がボサノヴァ元年ですが、一部の若い音楽ファンの間で話題になるだけで、当初は一般的には反感を買っていた。
ボサノヴァはアメリカのクールジャズのミュージシャンの共感を得て、「ゲッツ/ジルベルト」は大反響を呼ぶ。
1963年が世界のボサノヴァ・ブーム元年です。
ボサノヴァの発明者、ジョアンジルベルトは歌とギターの三二分音符単位のズレも計算しつくしていた。
サンバを昇華した正確きわまりないリズムで、豊かで新鮮な和音を刻むギター、そこに絶妙のタイミングで歌詞を語る声が入る。
あまりにも完璧で歌とギター以外必要なかった。
ブラジル北東部の音楽、バイーアはサンバやボサノヴァに負けない影響力があった。
ボサノヴァ流行直後に、バイーア出身のアーティストが音楽ムーブメントを起こす。
彼等は、アフリカ~バイーアのもろもろの伝統を吸収していると同時に、ジョアン・ジルベルトのボサノヴァに強力なショックを受け、ビートルズのロックからも影響を受ける。
代表的なアーティストは、カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジル、ガル・コスタ。
共通点は、形にはまらない自由な行動力。1990年代には、サンバレゲエというジャンルも発明される。
アフリカ=バイーアのリズムに、ラップやソウルやファンクをミックスしていったもの。

ブラジルの室内楽 ショーロ
ブラジル器楽の原点はショーロにあります。基本楽器編成は、フルート、小型ギター、低音中心のギター。

ブラジル音楽の新時代を切り開いたMPB
サンバ、ボサノヴァなどの枠にはまらないブラジル音楽を言う。ミナス州出身のミルトン・ナシメントなど。

セルジオ・メンデスも世界に影響を与えるポップなサンバを作っていった。

ブラジルの楽器
クラシックギター、バンドリン(マンドリン)、カヴァキーニョ(小型ギター)
打楽器はアフリカ文化から輸入され、たいへん多くの種類がある。
低音の太鼓「スルド」、高音の太鼓「タンボリン」など。

(2010~2014年頃、執筆)