武満徹 How slow the wind
紀尾井シンフォニエッタ東京
雨ぞ降る(1982)
シンボルワード「雨」=「水」は、武満の全創作中、最も頻繁に登場する言葉である。
群島S
ストックホルム、シアトル、そして瀬戸内海の島々の美しい景観からインスパイアされて楽想が紡がれたという。
その島々のイニシャルが偶然Sである事が由来。
金管5人の混成7重奏による2つの群があり、左右にクラリネット奏者が一人ずつ合計五つの島が呼応する場。
ここでのシンボルワードは、「島」であるが、「海」のイメージもまた武満の長年のテーマとして重要である。
弦楽のためのレクイエム
ストラヴィンスキーをして、テープ視聴のみで、その厳しさを評価せしめた作品。
映像というのは元々見る側に想像する余地が与えられていない。しかし、まれに想像力を誘う映像がある。
音楽は寧ろ具体的なものがないイメージの世界で、映画というのはそういう矢印の異なるものがぶつかる場ですね。
音楽的な映像に、映像的な音楽を合体させて、1+1=2以上になるのは非常に難しいけれどそれを目指してたんじゃないかと思います。
武満の楽譜は、縦が凄く長い。一小節、一小節毎の濃密さが力の源になっているんじゃないかと。
武満は簡単に横に楽譜を書かないで、縦に一段、一段作っていく。
坂本龍一は、ノーヴェンバー・ステップスを聴いた後に、「ジャパネスク」への回帰への批判のビラを撒いたそうですが、それだけ愛着を持ってたんですね。
そのとき、「自分は武満教の教祖であり唯一の信者だ」という事を武満自身が語ったとか。
20世紀の作曲家の中で100年後、200年後に残る音楽家は誰かという事を考えていった場合、リゲティ、武満徹は残るだろうけど、ブーレーズ、メシアンは残るかどうか分からない。やはり19世紀に較べると少ないという事。
まぁ、ビートルズは残るだろうけど。
坂本龍一の言葉
「そうですね。ただそれだけじゃ100年残るとは限らないと思います。
青臭い言い方だけれども、やっぱり人間への愛っていうのか、切なさを感じるっていうか、そういうものじゃないかと思います。
どんなジャンルの音楽でも、そうじゃないでしょうか。
長い人間の歴史は悲喜劇の連続ですね。みっともなかったり、残酷だったり、微笑ましかったり、なんか想像上の神秘のもの、そういうものに対する愛っていうのかな。
でも直接的には触れあえない、とっつきにくさっていうのは、色々あるんだけど、その思いの強さっていうのは音楽に出るんじゃないかな。
もちろん、才能が無いと、できないわけだけど。」
武満は「弦楽の為のレクイエム」は素晴らしいけど、晩年になってから結構良い曲を作ってるんですね。
普通は、歳を重ねれば楽曲の強度は衰えていくのが普通なんだけど。
「希望を捨てない」
1995年入院中の武満が亡くなる前に書いた文章の一つ。
「ある哲学者が「希望」は終わったと言った。
希望がロマン主義の呪縛に手足を抑えつけられた妄想ででもあるなら、その発言も、比喩としては、気分的に解らないでもない。
だが、哲学者としては言わずもがなのことを口にしてしまったような気がする。
なぜなら、「希望」と「終り」の二つの言葉が、言語として作用し同化しえた場合、「希望」は決して「希望」そのものではなく、「終り」もまた終りとは別の意味作用の言葉でなければならない。
ぼくはいかなる場合でもぼくの「希望」は捨てない。
哲学が見出した絶対希望を哲学者が捨てたとしても。
だが次の事は単に比喩としてではなくても成就しよう。
「哲学」は終わった。
「希望」は持ちこたえていく事で実体を無限に確実なものにし、終りはない」
65歳にして、こういう文章が書けるのが凄い。
こういう純粋な魂が音楽として表現されると強度となるところが音楽の良いところですね。
(2010~2014年頃、執筆)