NOVEMBER STEPS/OZAWA  武満徹

トロント交響楽団

NOVEMBER STEPS/OZAWA  武満徹 トロント交響楽団


琵琶奏者の鶴田錦史さんは、「ノーヴェンバー・ステップス」を演奏する際に、五線譜の読み方を勉強すると言ったそうですが、武満徹はあえてそれはしないでくださいと言ったらしい。
平均律では無い極めて微妙な音程や微妙な間、そういった西洋音楽に無い肝心な物が失われる事を懸念したそうです。
音楽の本質というものは公約数的なものではなく、もっとパーソナルなもので、その人の個人の音、それが日本の伝統楽器から出てくる事を重視したようです。
例えば、西洋人が邦楽器を演奏すると、尺八がジャズフルートのように、琵琶がギターのように響いてしまう。
西洋音楽の構造的聴取による弊害、気分に訴える傾聴する音楽からの脱皮が、ジョン・ケージ以降の音楽で重要になってくるんですね。
フランス革命において問題になっていたのは、音楽を政治的な全構想に統治することであって、その理論的原理によれば、音楽は万人に理解できるほど単純であらねばならなかった。
音楽は人の教養度合いに関わらず、万人を感動させたり、興奮させたり、眠らせたりしなければならなかった。
「音楽は語れない」と「音楽は国境を越えた言葉だ」は、ともに音楽の言語性格の否定であるという点で根は同じなのである。
もし音楽がそれ自体言語であるなら、人はそれを理解する為に学ばなければならない。
武満は、言葉を沈黙から取り出してくるという道筋によって、音楽が出来上がっていくというシニフィアンに対応できるか、という事を考えていたんだと思います。

流石に<タケミツ・トーン>と言われるだけあって、音や楽器への拘り方が強いですね。
楽器とは何なのか? それは金属製であれ、木製であれ、ヴォーカルであれ、実際は何も違いは無いという根本的な部分に立ち戻って考えさせられます。

また、60年代の武満は東洋音楽の要素を独自の語法に融合させる事によって、西洋音楽と東洋音楽を美学と哲学において統合する方向性へ向かいました。
その当時、坂本龍一は「ノーヴェンバー・ステップス」を聴いた後、「ジャパネスクの回帰はけしからん」旨を記したビラ撒きをしたらしい。
それで、その時、武満徹本人から真摯な態度で「自分は武満教の教祖であり唯一の信者だ」と言われたそうです。
流石に<武満教>と海外で言われるだけあって、音楽に対する信念の強さが物凄いですね。

まぁ、100年経っても残る音楽と言われてるだけあって、どの作品を先に聴いても良いですが(ポップスは除いて)、まだ聴いた事の無い初心者の方などは、「ノーヴェンバー・ステップス」と「弦楽のためのレクイエム」が入ってるこの作品が一番良いんじゃないでしょうか。

谷川俊太郎と坂本龍一の対談での話なんですが、「ノーヴェンバー・ステップス」を聴いた後、若き日の教授は今までの愛着故に非常に反発を覚えて、「ジャパネスクの回帰はけしからん」旨といったビラ撒きをしたらしい。
(時代的には、ビート・ジェネレーション「ジェフィー・ライダー物語」、アラン・ワッツ辺りの影響? 要は欧米の東洋思想の憧憬?)
それで、野外イベントでビラを撒いていた時に武満本人が現れて30分位立ち話をして、武満は真摯な態度で「自分は武満教の教祖であり唯一の信者だ」と答えたそうです。
まぁ、教授も若くて青臭い時期があったんですが、武満もそれに負けてないですね。
武満の晩年の手記「希望を捨てない」を読むと、最後まで長い歴史の悲喜劇の連続から生まれる人間臭さへの愛と思いの強さ、感性、エネルギーを最後まで持ち続けた人ですね。
そういう純度の力+才能が如実に音楽で表現されていると思います。
だからこそ、音楽強度が他と比較しても圧倒的に強いし20世紀音楽の検証に於いて「100年経っても残る音楽」という評価に至ってるんじゃないかという事。
縦が凄く長い楽譜による、一小節、一小節毎の物凄い濃密さだけの問題じゃないんですよ。
「100年経っても残る音楽」という事では、ビートルズやストーンズといった歴史的なロックのカルチャーの類も残るんだろうけどね。
有名だとか超一流だとかレコードが何万枚売れたとかが重要では無く、人間と音楽が根本的に何処で繋がるかが重要なんじゃないかという事。

それで、武満の作品を一番最初に聴くなら、「ノーヴェンバー・ステップス」と「弦楽のためのレクイエム」が入ってるこの作品が無難だけど良いと思います。
それから、五色のシートの図形楽譜(五線系譜)を使ったピアノ作品やその他の室内楽や管弦楽作品、雅楽作品などを徐々に聴いていくのが王道かと。
武満のポップス作品は、個人的に正直いまいちなんでお勧め出来ないかな。とにかく多作なので全部の作品を聴くのは大変ですが。

因みに、尺八等の楽器は日本の湿度に合うように設計されているそうです。
貧乏だったので作曲を独学で学んだ武満の柔軟な思考、オリジナルな表現、それによって微妙な色合いを醸し出す<タケミツ・トーン>は、ディープなアディクト感があり、信者が多いのも理解出来ます。

あと、脅威の映画ファンで年間観本数が365本も上回っていた時期もあったとか。
僕は、そこまで映画ファンでは無いと思っているけど、ピークの時は年間300本位は観てたかな。
最近は、ほとんど観なくなったけどその辺は少しシンパシーを感じるかな。
しかし、武満の映画音楽に対する取り組み方、音楽的な映像に、映像的な音楽を合体させて、1+1=2以上にさせるという崇高な理想を目指していたのは感服する次第。
今回は、一度に色々書こうとしたせいか纏まりの無い文章ですみませんね。とにかく興味を持った人は一度聴いてみて下さいな。

(2010~2014年頃、執筆)