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神の子どもたちはみな踊る  
村上春樹
新潮文庫


村上春樹らしい独特の謎に満ちたエンディングが、楽しめる短編集。どれも一応、阪神大震災が少しは関係している。
少しネタバレになるが、一番最初の「UFOが釧路に降りる」で出てくる熊と箱の話が、一番最後の「蜂蜜パイ」に繋がってくる。
個人的に良かったのは「アイロンのある風景」だろうか。冬の海で焚き火をする情景が、静寂感もあり何とも美しい。
ジャック・ロンドンの「焚き火」の話が途中で出てきて、順子は、その主人公は実は死を求めていたと言っている。
「かえるくん、東京を救う」は読んでいて少し疲れてしまった。
短編だから特にそうなんだけど、謎掛けに満ちた話は読んだ後に、何かを考えたい気持ちになってくる。
僕が読書に求めている思想的な部分は、そういった読後感が特に重要になってくる。
話自体は大した話では無いんだけど、まぁここが純文学の味噌でもある。

(2011~2014年頃、執筆)

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スカイ・クロラ   
森博嗣
中公文庫


押井守アニメ化の繋がりで、読んでみた作品。
戦争経済の世界で、戦闘機のパイロットとして戦う子供(キルドレ)の物語。
永遠に大人にならない子供(キルドレ)にとって戦う理由は仕事だからであり、そこにイデオロギーも感情も無い。
戦争が行われるにはそれなりに合理的な理由があるものだが、主人公カンナミはその理由自体に興味を持たない。
純粋な戦闘能力こそ、この世界で求められた個体や遺伝子レベルに於いての適応能力なのだ。
そして、こういった世界に於いて犠牲になるのは、いつも子供なのではないかと思う。
特筆すべき点は、登場人物の細かい心情に重点を置いた詩的表現で、抽象的なストーリーに巧くマッチングしている。
基本的に、こういうメランコリックな小説とは相性が良い。
社会性がいまいち薄いせいか、続刊を読みたいという気持ちにまでは至らなかったけれど、読後感はまぁまぁでした。

引用

一般に、飛ばない人間は、武器のカタログデータを重視し、飛ぶ人間は操縦桿の軽さを第一に考える傾向がある。
前者は、パイロットの腕のせいで飛行機が落ちると本気で心配しているし、後者は、飛行機の性能のせいでパイロットが死ぬことをいつも恐れている。
このギャップは、飛行機が初めて空を飛んだときから、広がりこそすれ、狭まったことはない。

この仕事を続けてきて躰が自然に覚えたことが幾つかある。その中でも言葉で表現出来る数少ない方法の一つだった。
撃とうと思ったときには、既に次の目標を見た方が良い、ということだ。
言葉にすると実に簡単。つまり、今から弾をぶち込む相手を眺めている時間は完全に無駄なのだ。
その隙が危険でさえある。これに気づいてから、僕はとても楽になった。

つまりは、こうだ。大人になることを、一つの能力と捉える、そして、子供のままでいることは、その能力の欠如である、と解釈する。
そういった考え方に立脚すれば、僕たちみたいな子供を見下すことができる。そんなメカニズムなのだろう、きっと。
でも、大人になる、というのは、つまりは老いることであって、山から下ること、死の谷底へ近づくことではないのか。どうなんだろう・・・。
人は本当に死を恐れているのだろうか?
僕はいつもそれを疑わしく思う。

僕たちは、確かに、退屈凌ぎで戦っている。でも・・・。
それが、生きる、ということではないかと感じる。
そう、感じるだけだ。違うだろうか?
生き甲斐を見つけろ、と昔のマニュアルには書いてある。見つけられなかったら、退屈になるからだ。
つまり、退屈を凌ぐために、生き甲斐を見つける。結局、昔から何も変わってない。遊びでも仕事でも勉強でも、同じだと僕は思う。
淡々と生きている僕たちには、それがよくわかる。僕はまだ子供で、ときどき、右手が人を殺す。
その代わり、誰かの右手が僕を殺してくれるだろう。それまでの間、なんとか退屈しないように、僕は生き続けるんだ。子供のまま。

どちらにしても、自分の責任だと考える事が、一番楽なのだ。全部、自分の責任なら、閉じていれば良い。完結できる。
人の責任だと思うから、処理が難しくなる。

ボウリング場のシートと同じグラスファイバが、ロケット弾の翼に使われている。花火大会と爆撃は、ほぼ同じ物理現象だ。
自分が直接手渡さなくても、お金は社会を循環して、どこかで兵器の取引に使われる。
人を殺すための製品も部品も、必ずしも人の死を望む人たちが作っているわけではない。
意識しなくても、誰もが、どこかで、他人を殺している。
押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか・・・。その被害者に直接触れていなくても、みんなで押したことには変わりはないのだ。

(2011~2014年頃、執筆)

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