図解雑学 現代思想
小阪修平
ナツメ社
デカルト-二元論
精神と自然を分けて、分けた後にその関係を考える。
精神は主体(主観)となり、自然は客体(客観)となる。
ショーペンハウアー - ペシミスティック(厭世的)
幸福は一時的なものであり、実在するのは苦悩に他ならない。幸福とはイメージに過ぎない。
欲望が満たされないと他人の苦悩を見て心を慰める(悪意)。しかし、芸術(詩や音楽)は生の苦悩を超え救済する事が出来る。
ニーチェ-超人思想
人間は自分自身の現実から目を逸らす為、宗教の天国や社会主義のユートピアなどを考え出してきた。
弱さを克服して自分自身を見つめる事がニーチェの言う超人である。
スターチャイルド(真理や欺瞞的な道徳に縛られず、生を肯定し物事を純粋に楽しむ幼子のような状態が最後にたどり着く理想の状態)
畜群(新しい見せかけの価値に騙される大衆)
ソシュール-差異の体系
イヌイットでは雪を表す言葉は80以上ある。人々は区別(差異)の網の目の中で物や事象を分類する。
人間の思考は自分の言語(母語)を使って行われる為、差異の網の目から自由ではない。
キルケゴール-実存哲学
神の元に居るときは平安であるが、神から離れると孤独や不安や絶望を感じる。しかし、不安や絶望は人間を人間たらしめている特徴である。
不安や絶望は人間が精神を持ち自由である事の証である。
ハイデガー - 存在と時間
世界の中で出会う物は「~の為に」といった意味を持った存在(道具存在)。
人間は、今ここにある存在(現存在)。
大衆社会の中での人間の自己忘却(ダス・マン)。
自分の死も他人の死と同じように捉えるのは、ダス・マンの自己忘却の核心である。
自分自身の死という運命を覚悟すること(死への先駆的覚悟性)。
生は有限であり、現在やるべきことをやる。
存在の意味を時間性という基盤の上で解釈する。
ウィトゲンシュタイン-論理哲学論考
命題の真偽(哲学の命題は人によって色々な解釈が出てくるが、解釈の仕方によって変わってくる命題は確かめようがない)。
意味のある命題とは確かめる事が出来る命題であり、命題の組み合わせを数学の関数のように捉えた(記号論理学にも影響を与える)。
「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
「世界の中に神秘が存在するのではない、世界が存在することが神秘なのだ」
私的言語とは内的な体験で自分にだけ分かる言葉だが、日常生活に於ける言語のやり取りを言語ゲームとして捉えた。
ラッセル-記号論理学
クレタ人のパラドックス-ある集合の全ての成員を含む者は、その集合の一員であってはならない(クレタ人は嘘つきだというとき、自分も嘘つきになる)。
フレーゲ、ラッセル、ホワイトヘッド-分析哲学
論理実証主義-形而上学的な考え方を捨てて、言葉の用法を分析する哲学。数学の論理をより厳密にする。
コンピュータの論理回路に利用されているのも分析哲学によって生み出された理論なのである。
分析哲学は、より科学に近づこうとした哲学であり、分析方法である。
サルトル、カミュ-実存主義
想像力-目の前にない何かについて想像する意識は、目の前にあるものに縛られない力となる(無化)。
人間の意識には根拠がない。従って意識は自由である。
「異邦人」のストーリーは、人間の行動には根拠がない、だが人間は行為していくという実存主義の思想。
不条理な世界に反抗し、熱情を持ち、自由に行動する。
バタイユ-蕩尽
人間は生よりも深く死に惹かれていて、成果よりも使い果たす欲望の方が大きいという観点。
リオのカーニバルは生産する為ではなく使い果たす為に行われる。
エロティシズムーいったん触れてはならないとされたものに触れようとするときに生まれる深い欲望(タブーを犯す)。
性とは自分と相手が一体となり自我が無くなる事。それは、自然と一体となること、すなわち死にほかならない。
アドルノ-否定弁証法
カフカ、ベケットー私自身に対する模倣。私とは何か?
本来の自分や同一性の思考に対する批判。
ハーバマス-公共性
福祉国家(福祉国家は同時に管理国家でもある)の成立によって公共性はどのように変化したか。
支配の合理性とは、人々を秩序に従わせ合理的に支配しようとする。
対話の合理性は対話によって作り出される相互了解が合理性を持ち、対話によって合理的な社会を作っていこうというのがハーバマスの基本的な立場である。
バルト-テクスト、エクリチュール、ディスクール
テクスト-文化は生成・加工されていく記号である。
エクリチュール-文体より広い意味を持ち文章の書き方を意味する。
ディスクール-語り方。
どこかに本当の恋愛というものがあるのではなく、恋愛についてのエクリチュールやディスクールがある。
エクリチュールとディスクールは個人と社会の中間にある。
ポストモダンの思想
「大きな物語」の終焉。
大きな物語(輝かしい未来、平和な世界、豊かな社会)
小さな物語(ヒーローやアイドル歌手)
1970年代を境に多くの人々に共有された物語(大きな物語)はなくなり、同じ趣味を持つ人の集まり(小さな物語)を持つようになった。
絶対的な価値や歴史の目的はないニヒリズムの時代。
60年代末は、物質だけの豊かな生活に疑問を持ち、五月革命(フランス)、全共闘運動(日本)、ベトナム反戦運動(アメリカ)が起こり、ヒッピーやフラワームーブメントが現れた時代だった。
五月革命-管理社会に対する異議の申し立て。目的や有効性の概念の批判。
ドゥルーズ、ガタリ-リゾーム
自己と他者の差異は肯定的な差異であり、純粋な差異は無限に広がり、そこにあるのは質や強度の違いだけである。
ツリー(樹木)は官僚組織のような上下関係が分類された組織や物事の繋がりだが、リゾーム(根茎)は多種多様なものが一見でたらめと思われるように繋がりあった状態をさす。
分裂症(スキゾフレニー)は、人間の欲望が枠をはめられず自由な動きをしている状態をさす。
資本主義は全ての物が貨幣へと交換されるという尺度を導入し、自由な欲望を商品への欲望に限定し、さらに今欲しいものを先延ばしにさせ、欲望を変質させる。
ボードリヤール-生産の終焉
生産の終焉とともに、商品は物ではなく記号となり、物の効用よりも他の商品との差異(魅力)が重視されるようになった。
ソシュールは言葉の意味を他の言葉との差異で決まると考えた(差異の体系)。
ボードリヤールは同じように、記号としての商品の意味は他の商品との差異で決まると分析した。
従って他の商品との差異化を目指す新しい商品が次々に登場するのである。
消費社会の最大の問題は、消費社会のシステムがあらゆる超越的な価値を吸収してしまうことである。
人々は他人が持ってないものを持っているという差異を消費しているのである。
記号の秩序とは、商品の流通の仕方や消費の煽り方から、マス・メディアが流通させている言説まで含む。
ボードリヤールは記号の秩序への反抗手段として、詩的実践と死の贈与を挙げている。
詩的実践の例は、街の落書きやアナグラムだ。死の贈与の例は、自分の居住地に火を放つパレスチナの自爆テロの人々や反抗する黒人だ。
フーコー - 一望監視装置
19世紀以降、最後に狂気に陥ったニーチェやゴッホやアルトーの度外れた創作活動に逆に問いかけられるようになった。
監獄で行われる事は囚人を市民にしていく為の身体に対する政治学だ。
矯正とは身体、時間、動作、そして精神に対する管理を通して犯罪者を社会に適合する人間へと戻していくことである(訓育)。
中央の塔の中から囚人を監視する看守は自分が見られる事なく囚人を見る。
そこにフーコーは没個人化した近代社会の権力のあり方を見る。
権力は日常的にたえず監視するが、しかしだれか特定の個人が監視するのではないという形で行使され、身体に対する訓育を通じて人々を社会に適合させていく。
レヴィ=ストロース - ヨーロッパ中心主義の批判
現代思想 - 自己同一性の批判
ナチスによるユダヤ人という他者の絶滅収容所。
他者を自分とは異なる者として尊重して他者に対して自分を開いていく。
(2011~2014年頃、執筆)