虐殺器官 
伊藤計劃  
ハヤカワ文庫JA


情報軍の特殊検索群i分遣隊は、かつてCIAが担っていた諜報能力を受け継いだ軍事集団でスパイと兵士のハイブリッドである。
陸軍・空軍・海軍・海兵隊・情報軍からなるアメリカ五軍の特殊部隊を統べる特殊コマンドにあって、暗殺を請け負う唯一の部隊であった。
シェパード大尉は死者の国の夢を見る。
そこでは、泥に深く穿たれたトラックの轍に小さな女の子が顔を突っ込んでいる。
その後頭部はぱっくりと赤く花開いて、頭蓋の中身を空に曝している。
そこから、10フィート離れてないところに少年が横たわっている。
背中から入った弾丸がへその近くから出て、ぱっくり開いた腹からはみ出た腸がピンク色にてらてらと光っている。

-倫理の崖っぷちに立たされたら、疑問符などかなぐり捨てろ。内なる無神経を啓発しろ。世界一鈍感な男になれ。- 
シェパード大尉はバグダッドで3人の部下と1つのミッションを抱え感情調整を施されていた。
標的は元准将の「国防大臣」で、子供を誘拐して兵士に仕立てIDタグを埋め込んでいる。
そして、虐殺を繰り返す。国防大臣はリスクを避ける方法としてよく予定を変更し移動した。
4人編成で行軍していたシェパードは途中でアレックスと2人でモスクへ向かう。
アレックスは信仰深いカトリックで地獄は脳の中にあると話す。モスクの中では「月光」が流れる。
音源に近づくと標的Aは見つかったが、標的Bとは会談中ではなかった。
シェパードは得物をAKからナイフに持ち換え元准将の喉元に突きつける。標的Bはここには現れないらしい。
元准将は何故自分が虐殺を繰り返してきたのか分からなくなって混乱していた。逆に自分は何故殺してきたのかと質問される。
シェパードは心臓にナイフを突き立てる。こうして三万五千人の武装勢力の指揮官は死んだ。

2年後、アレックスは自分の車の中でガス自殺をした。シェパードの父親も幼き頃に理由も告げずに自殺していた。
現在使われている銃はタグ付けがしてあり、一発一発がデータベースに送信されているが昔の銃は登録する制度そのものがない。
米国では成人の7割が自殺に銃を使用する。
元准将を殺してから、世界は発狂し始めた。アフリカ、アジア、ヨーロッパで内戦と民族紛争が立て続けに起こった。
シェパードは、2年の間に5回作戦に加わったが4回作戦オーダーに加わり取り逃した名前がジョン・ポールだった。
いまや個人情報は民間の情報セキュリティ会社が保管している。医療記録や指紋網膜脳波顔紋、信用状態はセキュアサーバがキープしている。
こういう時代にあって、ジョン・ポールは一体どうやって認証をパスして移動しているというのか?
という疑問がウィリアムズとシェパードの間で起こった。2人は、ペンタゴンにある司令部に召集される。
ソマリアで起こったブラック・シーの大量虐殺もジョン・ポールが関係していると言う。
CIAは、世界各地でジョン・ポールが大量虐殺を扇動している事を話す。そして、ジョン・ポールの追跡行を命じられる。
ウィリアムズとシェパードの2人はプラハへ向かう。そこに、ジョン・ポールは女の許に現れたらしく、その女を張ることにする。
女は、ルツィア・シェクロウプといいチェコ語の講師をしている。シェパードは、広告代理店の人間という設定で近付く。
ルツィアは話す。言葉は器官であり、他の存在と自らを比較してシュミレートする、つまり予想するという思考を可能にしたという。
人類は情報を個体間で確認することにより、自我というものが発生し、生存適応性を高めていったという。
911以降、政府による監視は厳しくなり人々は幾つもの認証を通過する事で安全に近付いているような感覚を得ていた。
カフカはユダヤ人でもあり、チェコ人でもありながらドイツ語で喋るしかなくドイツ語で小説も書いた。
そんな話をしながら、シェパードはIDの認証をしてチェコ語教室と契約を交わした。
しばらくすると、シェパードは尾行されている事に気付いてテンションが上がる。
想定内の出来事なので、チェコも時間差を置いて入国しリアルタイムの送信も避けてきた。
街は代替現実による存在しない看板で溢れ返っていたが、タッチボードを探してウィリアムズに尾行されている事を知らせる。
尾行した者を捕まえ問いつめると「俺は誰でもない」と言う。
調べてみると、データベース不整合の可能性もなく、他の国の情報機関の介入ではないかとシェパードは暗澹たる気持ちになる。
可能性を洗い出し、予測し、生存可能性を高めることが、人間の自我と言語を生み出した。
が、可能性ばかりを考えて時間を消費していたら、実際に行動することも出来なくなってしまう。
ジョン・ポールは過去にサラエヴォにキノコ雲が上った時に妻子を失っている。
その時、学生ルツィアとの不義による悔恨を生々しく想像出来るようにシェパードは訓練されている。
ジョン・ポールは核の事件後、半年間引きこもる。買い物はウェブのオーダーで済ませ、外出に関する認証は行われず外界とのアクセスを遮断した。
その後、ジョン・ポールは国家や有名大手企業のイメージ戦略を行う有名PR会社に入る。
ジョン・ポールは国家をクライアントとする案件を担当し、やがて幾つかの国の文化宣伝担当閣僚の補佐官となった。
そして、ここから虐殺が始まった。
ジョン・ポールが担当した全ての国が内戦状態に陥り、武装勢力、正規軍、市井の人々による残虐行為が次々と発生した。
ジョン・ポールが会社を辞めた後、足跡は世界から消えてしまった。ジョン・ポールの最後の認証はプラハにあるショッピングモールである。
シェパードは尾行を回避する為、ルツィアにカフカの墓を案内してもらう。
その後、認証の必要のない地域通過で営業しているクラブに案内してもらう。
情報管理の無い息抜きの出来る場所。カウンセラーも日記も嫌いなルツィアにシェパードは小説を書くことを勧める。
自分の人生を切り売りして書く一種のカミングアウトだと。
そして、シェパードはルツィアに過去、母を殺したことを打ち明ける。
脳死とは違う脳の幾つかのモジュールが残された状態での延命措置の中止の決断について。
そして、ルツィアはミームと遺伝子について話す。人間を含めた生物の複雑性は必然的に利他的行動を取るように出来ていると。
私たちの罪はミームとか遺伝子のせいにする事は出来ず、誰かのために自由を捨てる事やしていいことしてはいけない事の選択が私たちには出来ると。
その後、店を出た後、実は尾行していたジョン・ポールに捕捉される。そして、ジョン・ポールは虐殺の文法を発見した話をする。
グラフ理論学者はエシュロンで傍受したデータを追跡して、ある地域における人と人が、どうつながり、どう情報をやり取りしているかを観察した。
そこで重要なのは情報の中身ではなく情報の流れや拡散でそれらはネットワーク解析で得られる。
そして、虐殺の文法を広める事の出来るポジションを知る。
その後、シェパードは先程まで飲んでいたルーシャスのクラブまで歩かされ、ルーシャスがジョン・ポールの協力者だと言うことを知る。
そして、ルーシャス達はIDを偽造して生きていたという事を知る。
方法としては、指紋や監視カメラなどのセンサの一つ一つをマッピングしてコンピュータで解析し、抜け道を探す事だった。
そして、自分達が供出するプライヴァシーとその見返りの安全が全然釣り合っていないと話す。
そして、都市のセキュリティを高めていったにも関わらず逆にテロは増加した。
政府もメディアも民衆も追跡可能性の嘘を信じあってこの社会が生まれた。
自分が見たいものだけ見て、信じたいものだけ信じるようでは統計的事実は全く無力だった。
そして、ルーシャス達に殺されそうになった時、追跡によって特殊検索i分遺隊が駆けつけてきた。

シェパード達にヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍のリーダー及び上級メンバーを逮捕する任務が下る。
本当の目的はジョン・ポールを逮捕する事であった。何故、インドで虐殺が急に増加したかはシェパードと大佐だけが知っている。
そして、インドでの戦いでジョン・ポールとインディア陸軍の上級メンバーの逮捕に成功する。
護送する列車の中で、ジョンはシェパードに話す。虐殺の文法はシェパード達が作戦前に受ける感情調整に非常に近いものだと。
脳の特定モジュールを抑制するものだと。突然、列車は襲撃隊によって先頭車両が爆破され横転した。
仲間の隊員の多くが死んでいる。痛覚マスキング処理によって元気に話していたリーランドも左手と足を失っておりやがて息絶えた。

シェパードは棺を数えていた。
ウィリアムズを見ると自分ではない誰かの為に怒ること、自分が愛する他人の為に憎む感情があったが、シェパードにはそれが無かった。
ジョン・ポールは生き残り奪還された。
ブリーフィングルームでロックウェル大佐が語る。
ルツィアにつけていたフェロモンを追跡犬がプラハの空港まで辿っていった。
不明な偽装IDの彼らを洗い出す為に飛行機に乗り込んだ全員の足跡に合理的一貫性があるかどうかを調べたと。
シャパードは、ヴィクトリア湖から上陸し、ジョンの居るゲストハウスへ向かう。
ジョンは、ヴィクトリア湖沿岸産業者連盟軍で指揮を執っている。自由とは選ぶことが出来るということだ。
と、ジャングルを進みながらシェパードは考える。
国防総省(ペンタゴン)の意志でも特殊作戦司令部の意志でもなく、自分の意志でジョン・ポールを殺すのだと。
そして、ゲストハウスでブローニング(自動拳銃)を持ったジョンと対面する。
虐殺の言葉は人間の脳にあらかじめインプットされているとジョンは語る。
虐殺の文法は人類がまだ食糧生産をコントロール出来なかった頃の名残だという。
そして、ルツィアが現れジョンに銃口を突きつける。自分は愛する人々を守る為に虐殺をしているとジョンは語る。
愛国心というものが生まれ戦争が一般市民のものになったのは民主主義以降だ。
それによって、愛他精神と殺人衝動とが矛盾を解消すると。人々は見たいものしか見ない。
世界で戦争が起きていようともアマゾンで買い物をして見たいものだけ見て生活する。
個人認証セキュリティは対テロ対策になっていない。
社会の絶望から発生したテロは追跡可能性のリスクを度外視した自殺行為でありシステムで減らすことは出来ないし無意味だと。
それならば彼らの内輪同士で殺しあってもらおうと。殺し憎しみ合う世界と平和な世界とで分断しようと。
自分たちの貧しさや悲惨さがG9の僕らの自由によってもたらされていることに気がつきそうな世界を探し出すと。
国内で内戦が始まれば怒りを外に向けている余裕が無くなる。それによってテロを無くそうと。ルツィアはジョンを逮捕してと懇願する。
アメリカ国民は自由の責任を背負う必要があると。そのとき、ウィリアムズが現れて突然にルツィアの頭を銃で吹き飛ばす。
ルツィアとジョンに暗殺命令が出ている。情報がセキュリティのインフラにとって好ましくないものだと。
シェパードはジョンを連れて逃げ出す。しかし、待ち受けていた軍人がジョンを撃つ。作戦はこれで終了だと。ウィリアムズも死んだという。
そして、シェパードはジョンのメモに残されていた虐殺の文法を自国に対して使う事になった。


隊員は戦闘前に感情調整というカウンセリングを行って、人を殺しても何とも思わないようにチューニングされる。
これってどうなんだろう?
人間は進化の過程により裏切りより協調を優先するようになって今に至るが、世界の貧富は不平等である。
しかし、その事に関しては何とも思わないで生きていける。見たいものしか見ないから。
出来るだけ苦痛を味合わないで生きていく為にはという部分においては、これも感情調整の一つなんじゃないかと思わせる。
ハーモニーにしても虐殺器官にしても、IDで管理された監視社会の設定になっている。
テロなどに備え不自由を得て自由を得る、という仕組みになっている。
感情調整という面では、発展途上国においても不満が先進国にいかないように情報統制されている。
これは現在でも同じなのではないか? 貧困の問題が起きたときに、貧しい者同士を争わせるように我々は仕向けられている。
そもそも監視社会になったのは、911以降ではなくずっと前からなのだが、インターネットの普及により市民が誰でも発言権を得られるようになっており、それに対する対策はどのようになっているのか?
というか近未来に託して現在の問題を描いているわけだが、その問題とは何か? 監視社会なのか? 

ハーモニーの方が読みやすく読後感も良いけれど、こちらは知識の詰め込み具合が凄いし、著者のミリタリーマニアぶりを惜しげもなく発揮している。
世界の格差やテロの問題と監視社会がテーマであり、何故、世界がこのようになっているかをしっかりと描いている。
小難しい引用も多いけれど、これぞ00年代のリアルフィクションの次を担う代表作だろう。
ハーモニーの方が監視社会へのアイロニー、虐殺器官は国際社会の不平等へのアイロニーと捉えることが出来る。特にラストが。

(2011~2014年頃、執筆)