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車、ブレイクダンス、感謝する(仮題)
大通りを歩いていたのは十年前。
まだ定年退職をする前の、葉が色づく秋の日だった。
休日なので、買い物目的でデパートやショップに向かう人々や車の渋滞で、街が活気で溢れている。
私は、年相応のシックなファッションに身を包み、ウィンドウショッピングを楽しんでいた。
すると、駅前の広場から、音楽が聴こえてくる。
あれは、ラップミュージックというものだろうか。
どうも若者向けの音楽は良く分からない。
歌にメロディの無い音楽など何が面白いのか。
しかし、私の足は駅前の広場に向かっている。
そこで何が起こっているのか、退屈凌ぎの烏滸がましい感興を催す私の内面性。
広場に辿り着くと、数人の若者が大きなラジカセの音楽に合わせて踊っていた。
しばらく眺めていると、私の目は一人の若者に向けて釘付けになった。
その踊っている若者は、昔、私の部下であった青年だった。
その青年は訳があって職場を辞めてしまったが、彼のお陰で私は仕事の大失敗を免れ、仕事を続ける事が出来たのだ。
結局、彼に声を掛ける事は無かったが、私は彼の奇妙なクネクネとしたブレイクダンスと呼ばれる踊りをずっと観ていた。
感謝する気持ちを込めながら、ずっと観ていた。
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コントラスト(仮題)
アスファルトが雨水で浸され、独特の臭気が裏通りに立ち込めている。
この夜の空気を厭う者はここには居ない。
タナカがその中の一人である事も然りだ。
奇峭な人間しか生き残る事が出来ないこの街で、タナカも老獪な生活感を自然と身に付けていた。
タナカは、ポケットからキーを取り出し、ジャックに差し込みイグニッションを回した。
原付に火が点く。
アクセルを回し、アイドリングをしている間に煙草を一本取り出して、安ホテルで貰ったライターで火をつける。
そして、煙をゆっくりと肺の奥まで吸い込み、また、時間をかけてそれを吐き出した。
この習慣となっている一連の動作によって、タナカはそれまでの一日を過ごしてきた自分とは違う自分に、意識的に切り替える。
サラリーマンがネクタイを結びスーツを着るようにして、煙草を吹かす。
そして、その味はまた格別だ。
細やかな悦びに満ちた至福の一瞬だ。
しかし、その味はこれから先に起きるであろう出来事に対する、コントラストでもあるようであった。
自由と不自由の往来の中にある、複雑な迷路に入り組む何かを煙として吐き出す。
タナカはそういった時間をとても愛しんでいた。
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偶発的な音楽(仮題)
「昨夜は眠れなかったので、古い映画をDVDで観てたんだよ。フランス映画でタイトルは『太陽がいっぱい』。知ってるかい?」
龍二は、髪を掻き上げ、由美の不機嫌で怠慢な態度を気にしながら、訊いてみた。
「それなら、私も観た事があるかな。アラン・ドロンが出演してる映画だよね」
「うん。昔から好きな映画でもう数回は観ていると思う。映像も綺麗だし、ニーノ・ロータの主題曲も良いんだ。
主役のアラン・ドロンは僕の青春時代の・・・ ルサンチマン的な心情が投影されている気がして、とても魅力的なんだよね」
「へぇ・・・」
由美は、寸隙、龍二の過去の姿を脳裏に浮かべてみたものの、それ自体が龍二の意図的な策略にも思えて、今朝の問題について意識を戻す事に頭を切り換えた。
二人の間の沈黙を避けるように、龍二はBOSEのスピーカーに繋がっているipodから、けたたましい音楽を再生した。
シャッフルによって再生された偶発的な音楽は、MC5の「Kick Out The Jams」だった。
その刻み込まれたリズムは、由美の今の心情を直接的に表現しているようで、龍二は慄然として身動きが取れなくなっていた。
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Shine On You Crazy Diamond(仮題)
朝、ステレオから流れてくる「Shine On You Crazy Diamond」は、私を不思議な日常へ誘おうとするように、眩惑的に響いていた。
昨晩のあの出来事は夢としか思えない。
私はそう考える以外に出来なかった。
そして、また私は息をして今こうして生きている事が、何かの間違いではないかとも考えていた。
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