次なる神社へ向かっている途中に見かけた、おたすけ石。
ふむふむ……。
そして――、富神明(とかみ・みょう)神社へ到着。通称:おみんつぁま(お明神さま)。
明神とは、神仏習合における神様の称号。
ストーンサークル(環状列石)などが発見された、窪縄文遺跡でもあります。
この下にストーンサークルが眠っているだなんて、土器がムネムネします(ん?)
御祭神は不明とのことですが、御神体は約1mの木造の男神像で、
烏帽子や袍などを着用した14世紀頃のものと推定(非公開)。
(柏倉八幡神社の御神体は女神像でした)
ピラミッド型の富神山(標高402m)の南麓に鎮座するこの神社は、富神山に宿る神(山頂の富神大明神と秋葉大明神か)を祀っているのではないかといわれています。
この神社を拝むと、富神山の中腹にある巨岩・磐座を拝することになるとか。
東から昇ってきた太陽の光が岩にあたって、エネルギーを収集? 特に夏至の太陽光が強力で神聖視?
1977(昭和52)年、社殿を中心に半径20~24mの環状列石が発見。
石器や土器片なども出土しており、縄文時代後期頃の遺跡とされました。
未発掘部分も多い中、土坑など埋葬の跡が発見されていないことから、
祭祀施設と考えられているようです。
扁額には「富神社」。
ウサギ……もしくはネズミ???
本格的にこの辺まで掘り返して、徹底的に調査してほしいですね。きっと他のストーンサークルも出てくると思います。最低でも2つはあるはず。あと、埋め戻しはしない方向で。
児童公園にもなっています。足下はフカフカでした。
左側にも、お社と記念碑。
関ヶ原の戦いの頃、石田三成方(西軍)についた上杉景勝の武将・直江兼続が、徳川家康方(東軍)の山形城主・最上義光を攻撃しようと、この山の山頂から眺めようとしましたが、山形城には霞がかかって見えず、そのまま10日待っても霧は晴れず、その間に石田三成軍の敗北の報が入り、上杉軍は撤退。そのことから、この山を「十日見(とうかみ)山」、山形城を霞ヶ城(霞城)と呼ぶようになったとあります。
また、「トンガリ山」から転訛したとか、「戸神山」や「戸上山」と書かれていたこともあったようですが、「富神山」が定着するようになったのは、明治以降とのこと。
この道路を挟んで、左の田んぼが発掘調査が行われた現場。
この田んぼの下に、縄文時代後期の環状列石の半分が埋まっていたようです。
参考資料より。秋田の大湯とは、また違うタイプの石の並べ方。そのバリエーションは未知数。でも私には、環状列石はモーターや超伝導コイルにしか見えませんけどもね。
……こんな感じに。磁気エネルギーで、何か(例えば巨石)を浮遊させた?
御神木の根っこも、きっとストーンサークルに絶賛めり込み中。
神奈備とも呼ばれる▲の山は、エネルギーを相殺し合うといわれています。
(歪んだ結晶構造を正常に戻すというピラミッド・パワーが存在する)
山は電源? ストーンサークルへエネルギーを送る変換装置? 或いはその逆?
すべてを見通す松果体のスイッチオンにしたい(すみません、看板の用語にちょっとかけました)。
ゴミ集積装置もそばにあり、収集車がきてゴミエネルギーを回収していきました。
そばを流れる川は、梅花藻がたゆたうほど清らか。ピラミッドには水もセット。
ピラミッドエネルギーは螺旋を描くので、蛇にも例えられます。
カド焼きとは何ぞや? と調べてみれば、「カド」はアイヌ語でニシンを意味するようです。
年に一度、近くの鷹取山に登り下山した後に、麓の阿弥陀堂で焼いたニシンを食べて親睦を深める、春を祝うお祭りのようです。