古墳のわきの小道(坂あり)を道なりに進むと、柏倉八幡神社に辿り着きます。

 

 

上から来たので、一旦、鳥居のある下まで参道を下りてみます。

 

 

本来はこちらから参拝。

 

 

出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)が刻まれた石は、東北の随所に見かけます。

正確に言えば、関東や中部など東日本各地にあります(西は熊野三山、東は出羽三山)。

 

 

境内からは旧石器時代(約1万2千年前)の石斧が出土し、他にも矢じりが見つかるなど、

この神社一帯が縄文遺跡でもあり、地形的にも古代からの「聖地」。

旧石器時代の石斧が見つかったのもこの辺り(↑)?

 

 

道路の先には、魅惑の富神山も見えます(もう心は止まって待つことも落ち着くこともできません)。……それでは上ります。

 

 

「にへっウシシ」 「にへ~酔っ払い」 ……愛嬌のある狛犬ズに見守られながら。

 

 

石段の途中で、巨大な石燈篭がお目見え。

 

 

火口部分の豪快に破れた紙が気になりますが(笑)。

 

 

火といえば、2012年5月の火災で、以前の社殿は全焼してしまったようです。

神社で目にする社殿はたいてい古いので、こうして真新しい社殿と出会うのも新鮮です。

ちなみに築2年。

 

宝物の一つである「女神坐像(じょしんざぞう)」が気になります。

平安時代からこの神社の本殿深く祀られてきたというほど、大切な女神様なのでしょう。

古い木造なので痛みは激しいようですが、火災の際にも焼失は免れたとのことで、

やはりただならぬ女官……いえ、女の神様であるとお見受けいたしまする。

そのモデルは一体誰……?

 

 

<祭神> 応神天皇、神功皇后、比売大神

平安時代後期の1063年に源義家が建立。

1600年、上杉家の武将・直江兼続が山形を攻めた際に焼失し、当時の山形藩主・最上義光が再建。しかしそれも焼失し、3度目の焼失で7000万円の寄付を集めて2年前に再建。

 

 

そして、一番に注目すべきは――

 

 

凄い! 真正面! まさにピラミッド!! 素晴らしい!!

 

 

さすが、地形的にも古代から「聖地」と言われているだけありますね。

古代の人々もこの富神山を崇め、祭りを行ったことでしょう。

 

 

岩肌もチラホラ見えます。そばには川もあり、山全体のパワーもみなぎってそう。

 

 

山頂をズーム。UFOいないかな? 奥に見える左の山も気になります。

 

 

八幡太郎義家が乗った馬の馬足跡が付いたといわれる石。

 

中央のやや窪んでいる部分でしょうか。

 

 

本殿の裏にも、境内社がありました。

 

金比羅宮天満宮。

 

 

そしてその裏手にある「八幡様の森」。ストーンサークルが眠っていそうな雰囲気。

キジが盛んに鳴きながら、木から木へと動き回っておりました(繁殖期)。

スピリチュアル的に見れば――、

国鳥のキジが、木(気)から木(気)へと動いて聖地のエネルギーを高めている……な~んて。

 

  

(↑)御供田? 畑? 発掘中? 小高い丘にあるので、山形盆地と山形市も見下ろせます。

 

蔵王連峰も。

 

――ではここを後にし、富神山の麓へ更に近づいてゆきます。

ジワリジワリ……。

 

 

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~ 山形新聞 2008-12-21付 ~

あまりの美しさにここで一句 ⇒ 「うっとりと 眺めていたい 富神山」ぶちゅーラブラブ

 

 

ここ「柏倉」の地名の由来は――

712年、出羽国の誕生に伴い、下野国阿蘇郡柏倉(栃木県)から移ってきた住民が開いたという。移住者たちは、古里の段丘の地に文字通りカシワの木が自生していたことから「柏倉」と命名した土地と、当地の景観が似ているために望郷の念にかられ、同じ地名を付けたと考えられる。