白糸の滝の辺りからさらに、国道47号線を西へ2~3分ほど車を走らせると、
「最上川さみだれ大堰」なる看板が見えてきます。
その先にある建物内には、フィッシュギャラリーもあります。
最上川の対岸にあるので、舟通し閘門(こうもん)の橋を渡ります。
閘門とは、水位の異なる河川や運河で、船を昇降させるための装置。
実はこの最上川のド真ん中から左側が酒田市で、右側が庄内町、
そして途中から戸沢村となります。
向きは反対ですが、こんな感じ。そして見事に市・町・村!
ちなみに酒田市と庄内町は庄内地方に含まれますが、戸沢村は最上地方になります。
ややこしい(笑)。※山形県は、庄内、最上、村山、置賜の4つの地方に分けられています。
向かって左側の集落にも、この後向かいます(行ってみたかったので)。
柏谷沢という地区で、西側半分までは旧・松山町(現・酒田市)でした。
この中に、フィッシュギャラリー。無料開館中。
ゴム堰実物大模型。上のパネルのように魚たちがピョーンと進めるのでしょうか。
確かにゴムですね。そして、ゴムとくればブリヂストン。
先へ進みます。
いつも通ってきた道の対岸にいるので、
見慣れない景色が新鮮。
柏谷沢集会所。
おそらく、昔ほど人はいなくなってしまったのでしょうけれど、
車を数台見かけたので、住んでいる方も結構いるのでしょう。
しかし柏谷沢は、昔の藩の領地の関係からか、お隣り同士で自治体が分断されていました。
消防より先は、戸沢村になります(ヨーロッパのお城風な最上川リバーポートも見えました)。
白糸の滝へも地続きなので、歩いて行こうと思えば行けそうですが、きっとサバイバル(笑)。
消防の隣りに神社がありました。
境内にタヌキがいて、光の速さで逃げてゆきました。
石が古いですね。
波ウサギですね。因幡の白兎? 出雲系神社?
たんに最上川と月山を意味している?
結局、神社名もわかりませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――橋へ戻ってきました。
今度は反対側を写します。向かって左が旧・立川町(現・庄内町)。
ようこそ「歴史の里」清川へ――。この辺りは庄内町の清川地区。
この先で左へ曲がると、羽黒山や月山へ通じます。
整備された河川敷。
さみだれ大堰。
しののめ乃瀬と名付けられています。
この合流地点で最上川と合流するあの川は、月山より流れる東北一の清流・立谷沢川。
清川へ通じるあの橋の名前も、東雲(しののめ)橋。
義経一行や芭蕉らが舟を乗降した場所も、しののめ橋を越えた正面の清川地区。
⇒ 過去記事<コチラ>
すぐ左の山には、羽黒山へ代参した弁慶を待った御諸皇子神社もあります。
⇒ 過去記事<コチラ>
平泉から逃れてきた徳尼公(三代藤原秀衡の娘か妹か側室といわれている)が隠れ住んだ地も、この橋を左に曲がった先ですが、羽黒山は日本中から修験者が集まり、奥州藤原氏の勢力圏でもありました。頼朝の家来も来ていたので、義経も徳尼公もここにいる間は気が気でなかったと思います。その後徳尼公は、酒田の飯森山の麓へ移住し、藤原氏三代目秀衡の遺臣・三十六人衆と共に酒田の町の基盤を築くことになります。
⇒ 過去記事<コチラ>