6月下旬、庄内町(旧・立川町)清川地区の御諸皇子神社へ行ってまいりました。
芭蕉が立ち寄り、義経一行も平泉へ向かう途中、一晩を明かした由緒ある古社でもあります。
橋が架けられていますが、その昔、荒野だった庄内平野を潤すために造られた北楯大堰(後に紹介)が流れています。青みがかった水が神秘的。
こうした像によく見かける白いものは実はティッシュなのですが、
自分の体の痛い部分や発達してほしい部分に当てると、
治ったり成長したりするという信仰からきているようです。
立像の立っているこの中は、賽銭箱も兼ねているようです↑巨大w
趣きのある苔むした古い石段を上ってゆきます。『報恩坂』というようです。
いいよいいよ~! こういう自然と調和した風景があるから、神社巡りはやめられません。
ただし夏場は半袖でいると、ほぼ確実に今話題の蚊にも刺されます……ほんと厄介
隣りにも社殿が見えますが、ここからは行けないので分岐点に戻って直進します。
古い! 中が開いていたのでお邪魔してみれば、興味深いものの数々が……。
御諸皇子こと、御諸別命(みもろわけのみこと)でしょうか。
景行天皇の皇子なのですが、この神社の御祭神でもあらせられます。
昔、どこからともなく王子がこの地を訪れ、やがて常楽という所で亡くなった。
村人たちはその死を憐れんで王子塚を築き、霊社を建てて、
王子の霊を祀ったのが同社の起こりと伝えられている。
また近くに三社様という祠があったが、
これは王子の従臣三人が主にお供して死んだ霊を祀ったものといわれている。
……でもこの出で立ちからして、もしかすると義経公かも?
一方のこちらは、弁慶と義経でしょう。
【義経記】には、五所王子神社と記載されてあります。
平泉までの道中の安全と、同行していた義経の北の方の安産祈願をするため、
羽黒山へ代参した弁慶と待ち合わせた場所がこの神社。
当時の羽黒山は藤原勢力圏といえども、
全国から修験者達が集まるひとつの独立した勢力・要塞のようでもあったので、
平泉へ逃げ落ちる義経主従一行(計16人)の身にも危険が伴ったようです。
義経が奉納したとされる『青葉の笛』、『直筆の写経』、『弁慶の祈願文』、『鎖鉢巻』、
『摩利支天像』……などが、社宝として保存されているそうです。
【義経記】によれば、水垢離をとって身を清め、権現を拝み、神楽で舞を舞ったとあります。
ここだけ読めば幻想的ですが、青葉の笛を吹き終えた義経がそのまま奉納したのでしょうか。
どこか切なさも漂います。
安土桃山時代に作られた稲荷神社(この社殿は再建でしょうけれどもw)。
それ以外の神社の創建は不明らしいです。
とりあえず古いということですね。
そして、さらに石段と社殿が続きます――