――続き、その前に。
出羽三山の一つに数えられる湯殿山のご神体は、湯が湧き出る巨岩(湯殿/霊域の磁場の中心)なのですが、中国の『四庫全書』には、
今から三千百年前の日本は四つの国からなっており、その一つは出羽三山を中心とした出羽王国であるとし、湯殿山を【扶桑(日本)の巨木】
と記されています。
同じく1100年前に書かれた中国の『山海経』には、
出羽三山を中心とした奥羽山脈は、日本発祥、アジア文化発祥の地であるとし、湯殿山の御神体は【扶桑の巨木の根っこ】
と記されています。
岩なのか木なのか、はたまた珪化木(けいかぼく)なのか……。
米の粉の滝ドライブインと大網橋を越えるとすぐに、大網地区の湯殿山大日坊の標識があります。ちなみに湯殿山は、弘法大師空海が開いたと伝えられています。
上の赤い看板を頼りに道なりに進んでいくと、
鎌倉時代に創建された大日坊の仁王門(としては県内最古)が見えてきます。
大日坊の興りは、空海がこの大網の地を清浄の霊地として大日如来を勧請し、
一宇を建立したのが始まりとされています。
しかし、昭和11年に地滑りの影響で、この先にある旧境内地から大日堂と共に移転。
風神雷神、仁王像(運慶作)なども。
当時の大日坊は、広大な敷地に数々の堂を構える堂々たる大伽藍だったようで、
一度に千人もの行者が宿泊できる客殿もあったとか。
また、徳川将軍家の祈願寺としても知られ、三代将軍徳川家光の乳母・春日の局が、家光の身体健固と将軍跡目決定(表向きは病気平癒)のための命がけの大祈願をされた場所でもあります。その後、春日の局は、ここに大日如来を奉納し大日堂を再建。
また、今から230年ほど前、この大日坊を拠点に慈悲を施して人々に尊ばれた真如海上人の完全なる即身仏が安置されていて、今でも多くの信者や観光客が訪れています。
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さらに東へ進むと、道の一角に大きな庚申塔が飛び込んできます。
日本一、あるいは東日本一大きいと言われているようです。
ご利益は不老長生。その願いがこの石の大きさにも表れているのでしょうか。
この辺りから旧大日坊の跡地になります。この石段もその名残なのでしょう。
1780年建立のようです。
横から見ると意外に平べったい。
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さらに東へ進みます。
目指すは、皇壇(おうだん)の杉。
ここで右折。
間もなくすると、数台の車が停められる駐車場が見えてきます。
さぁ、森の中を足取り軽く歩いてゆきましょう! ある日~森の中~熊さんに~
出会わない♪(ことを信じながら) 道は整備されているようです。
歩いて2~3分ほどで到着。おお……、これがかの皇壇の杉!
立派ですね~! 木の気(オーラ)が違う! どっしりとしたこの風格。
今から約1800年前、景行天皇の第四皇子・御諸別皇子が奥州を巡錫の折に立ち寄られ、大日坊境内に庵を構えます。皇子はこの地で御遷化され、墓所として造られた円墳に植えられたのがこの杉とされています。御諸別皇子の過去記事は<コチラ>。
(※朝日村は12年前に鶴岡市に合併されました)
ということは、推定樹齢も1800年。円墳はこの囲いの辺り? それとも境内全体?
今でもバリバリの現役! 見た目もパワフリャー!
もう一つ伝説があるようです。弘法大師が唐より帰朝の際、聖地に向け三鈷杵と五鈷杵を投げ、三鈷杵が高野山の松に掛かった話は有名ですが、実はもう一つの五鈷杵が掛かった松が、なんとこの皇壇の杉だというのです。以来、『五鈷掛の杉』とも言われるようになったとか。
……はい、まったく知りませんでした(^^;)。
空海が夢枕で見た老杉を見つけて、湯殿山の諸仏神を祀ったという伝えもあり。
見ていると、精霊さんが現れそう。仏にも見えてきそう。
大日坊の境内だった名残も見られますね。
――では、戻ります。
あ、今夜の『世界の何だコレ!?ミステリー』に、
UFO基地があると昔から専ら噂の田代峠が出るようですよ(近日続きあり)。
田代峠の過去記事<コチラ>