去年の5月下旬、宮城県石巻市を訪れました。
 
  
その中のひとつ、北上川河口付近にある釣石神社は、

 
地震や津波でもビクともしなかった巨石があることで注目され、私もいつか行ってみたいなと思っていた場所でもありました。


  

 

  
過去記事<コチラ>。


  
「境内地には大石四つあり」とあります。ヨシ、探すぞー!

<祭神> 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
「こやね」=「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所。
また、知恵・学業の神様で、受験シーズンになると合格祈願に訪れる人々が多くいます。

  
10メートル前後の津波がこの北上川を遡上し、川向こうの大川小では児童74人が死亡・行方不明、神社のある追波地区も76戸のうち73戸が流されました。
 
  
そんな悲劇があったことなどはまるで夢であったかのように、この日は誰もおらず大変静かでした。

  

  
低地にあった石鳥居や社務所、神輿堂や神輿や末社などが津波で流されてしまったようですが、ちょうど訪れた頃には、祈祷殿と社務所の再建が完了したばかりのようでした。

 
そして……おお! 立派な巨石に圧倒!
 
  
落ちそうで落ちない巨石(=受験の神様)ではありますが、
 
  
断崖に釣り上げられたように見えるこの「釣石」が男の神様(釣石大明神)で、
 
  
下の巨石が女の神様といわれているようです。
 
  
合格祈願に訪れる人々も後を絶ちません。
 
 
岡山って岡山県?(↑) 他にも大漁祈願、長寿祈願、夫婦円満、縁結び、子宝……。

 
道祖神として昔から崇拝されてきたのは明白ですが、

 
巨石信仰の篤かった縄文人など、太古の昔から祈りを捧げられてきたことでしょう。


 
  
石段の途中に何か見えます。津波の浸水ラインでした。

  
当時に思いを馳せながら、感慨深げに一歩一歩上ってみました。
 
  
巨石のギリギリ手前で津波は止まったようです。今回の震災でも多くの縄文遺跡や貝塚の手前で津波が止まっていたことから、高台に住んでいた縄文人には常識や知恵があったのでしょうね。それとも石のパワー? 結界(バリヤー)?
 
  
石段の途中で、右奥に鳥居が見えたのでカメラをズームしてみれば、古峰神社でした。

 
石段を振り返れば、結構急な坂であることが窺えます。

  
ここで左側にも道があったので、やけに気になったので行ってみました。

  
ん……? これはもしや……! な、なんと、男の神様である釣石の真上でした。
ご神体を踏んづけじゃってごめんなさい。

  
さらに奥の行けるところまで行ってみると、「館ヶ崎公園」と記された標柱。
この追波地区は元来、「館ヶ崎」と称されていたそうで、藩祖伊達正宗公が当地方巡視の際、社側の丘に登って眺望し、波の追い来たりを見て「追波」と改称したようです。

 
そして北上川河口と太平洋。そしてクジラの如く、海に浮かんだような島々。

 
白い砂浜かと思ったら違いました。穏やかなこの海もあの日ばかりは……心からご冥福を。

  
石段を上った途中にも巨石が見えます。4つの内の3つ目でしょうか?

 
到着~。
 
 
奉納された剣がいっぱい……。
 
  
「ヨシいくぞ! 行ってヨシ」 
震災前まで北上川に群生していた「ヨシ」にかけているのでしょう。

 
小柄な狛犬ちゃんに見送られながら戻ります。
我:「ヨシいくぞ!」 狛ズ:「「とっとと行って」」

  
先ほどの気になった巨石。

  
古峰神社にも参拝していると、ようやく第一村人ならぬ第一参拝者(家族連れ)と遭遇。

 
社務所にも人が来ていたので、上のコピーをいただいたり、話を聞いたりしました。
そこで、巨石の4つ目がどこにあるのか聞いてみれば、どうやら頼まれただけの人らしく、「巨石が4つもあるんですか?」と逆に聞かれてしまいました(^^;)アレ~?

 
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近くの国道45号線沿いにあった、道の駅・上品(じょうぼん)の郷にて。
全国の道の駅のアイドル(ツバメちゃん)と、宮城名物の「ずんだ」を使ったきびだんご(くるみも美味)。でも、きびだんご(桃太郎)といったら岡山。何でここでも岡山? やっぱり友好都市?……と、気になって調べたら、製造場所が桃生町で、市内に桃太郎神社というのもあるみたいですね。桃つながり?

あと、海草たっぷりのラーメン も美味しかったです 
(ソフトクリーム とお茶 もね)
「東北は本当に何でも美味しい」と、この日同行していた東京の友人がつぶやいていました。