いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾の田中です。
「塾に何しに来てるの」
「勉強しに来ています」
こういうやりとり、当たり前にあるけれど、これって大人の立場から「言わせてる」。
本当はみんなどう思ってるんだろう。
子どもは、自分の現時点の能力を客観視することは難しい。
もちろん広い意味で本人の本当に持つポテンシャルなんて、たかが週のうち何時間しか会わない僕らが決めていいものなんかではないけれど、それでも今日は、それについて書きたいと思う。
言葉というのは本来、人によって定義が変わってしまってはいけない。基本的には相手ありきのものなので、その「意味するところ」が変わってしまえば、伝えたいことが伝わるはずがないからだ。
勉強ができるようになりたいというきもち
少なくともほとんどの生徒は「勉強ができるようになりたい」という気持ちを持ってきている。
その先にあるのが、
点数アップなのか
日々の学習の理解度を高めることなのか
通知表の数字アップなのか
偏差値のアップなのか
志望校への合格なのか
こういう細かい部分についての違いはあれど、基本的に「勉強できるようにならなくてもよい」と考えている子は(少なくともうちの塾には)来ないはずである。
そこに嘘はない。あるのは、気持ちの大きさだけである。
気持ちの大きさと覚悟の大きさのギャップ
うまいものを好きなだけ食べて痩せたい。
そう思うのは私だけではないはずだ。
勉強だってそうで、なるべく楽をして成績を上げたい、と思うこと自体は普通だと思う。
そして、それが現実にならないことも一緒だ。
楽して痩せることはできないし、楽して学力がつくこともない。
逆に
楽じゃないのに痩せないダイエット方法もあるだろうし、楽じゃないのに学力がつかない勉強法もある。
その原因のほとんどが、方向性がずれているか、圧倒的な量の不足、またはその両方である。(食べる量は不足ではない)
どれだけやれば目標達成するのかはわからない
目標が高くなればなるほど、プロである人間の目からみても目標達成できるのかはわからない。
特に資格試験ではないものの「合格」についてはそうである。「自分がいかにやったか」ではなく、「他人より点数が取れているか」、つまり自分の力の及ばない部分で最終評価がされるからだ。
だから、「これをやれば受かる」とかそんなことは軽々しく言えない。試験は水物と言われるように、当然のことながら当日の体調や出題範囲の得意不得意によるものもあるから。
でも逆に、「このままではまず無理」という状態はある。
もちろん人は急激に伸びる。伸びることもある。伸びるんじゃないかな。まちょと覚悟はしておけ。
という冗談はともかく、少なくとも何十人と生徒をみてきているのだから、ある程度の傾向は見える。初対面ならともかく、2~3ヶ月一緒に勉強していれば、理解する速さ・語彙力・学習への姿勢・暗記力くらいは見えてくる。
そうすると、「このままでは明らかに間に合わない」と断言できてしまうことも当然出てくるのである。
勉強方法が明らかにおかしいのに「自分はこうやりたいから」と言ってやり方を変えず、かつ結果が出なかったら(出るなら文句はない)。
本人が一回一回の授業をどれだけ真剣に受けても、たとえば授業外で一切復習をしなかったら。
ただでさえ平均以下で、平均に達したいと思っているのに、勉強量が明らかに平均以下だったら。
神奈川県は、いいか悪いかは置いておいて、ほとんどの生徒が塾かまたはそれに準ずるところに通っていると言っていいだろう。それだけで学校以外での学習量はある程度担保されているわけだ。(授業聞いてないとか寝てるとか宿題やらないとかまあそのあたりはいろいろあるだろうけど)
特に平均以下である場合、学校の授業も授業中に消化できない。真面目に聞いているつもりでも2~3割も理解できていないケースもある。ノートをうつすことだけでいっぱいいっぱいになってしまうこともある。
そうすると結局学習自体は「学校の授業外で」やらなければならない。
塾なしでそれなりの成績をとれる生徒は、授業を受けているだけでかなり身につけるのに対して、上記の場合では授業を受けた時点でスタートラインにも立てていない。
まずは「授業を受けて、授業中に8割がたは理解できる状況」にしなければならないのに、大抵の場合は勉強量が足りず追いつくことどころか、どんどん差ができてしまう。
どういう未来を選択しようが好きにすればいい
個人的には、
勉強したくないなら、しなくても済む技術を身につけて世に出ればいいと思っている。勉強は役に立つと思ってはいるけれど、全ての人間に役に立つとは思っていないし、勉強は嫌いだけど頭がいい子というのも(飲食業界は)わりといたりしたので、そのあたりに基本的に差別意識はない。
じゃあなんで勉強するの、というと
「考え方を知る」
「考えることに対して拒否感を持たない」
「知識の点と点がつながることがキモチいい」
「教養を得ることは云々(こういうきれいごとはどうでもいいや
そして一番は、大多数の人には
「なんだかんだ日本では勉強して手に入れるものはコスパがいい」
(ただし、5分前に言われたことを覚えられない、身体を使った作業なら覚えられるという子にとっては勉強そのものはコスパが悪いので違う道を選ぶことは当然ありだと思う)
こうなりたい自分
それがたとえ親から言われたことだとしても、なりたい自分に向かって努力しようとする。それ自体は尊い。
そしてその言葉を信じて私は指導をする。「受かりたい」「成績を上げたい」という言葉を信用するから要求する。
これだけやれば十分、ということはあまり言えないけれど、「今のままでは受からない」「今のままでは追いつけない」ということはある程度わかる。
時速7㎞で走る人に、時速4㎞で歩いても追いつけない。なんなら同じ速度である時速7㎞で走っても、一生追いつけないのだ。
だから、冗談じゃなく伝える。
「今なら間に合う!」というようなセリフは言えない。間に合うかどうかはすぐわからないけれど、間に合わないのはすぐわかるのだ。
これが期限のないものであれば、「向かおうとする意志さえあれば」「いつかたどり着くだろう?向かっているわけだからな。」©荒木飛呂彦,ジョジョの奇妙な冒険 より
でも基本的に受験には期日がある。期間が決まっている。
明らかに間に合わないときはそれを伝える。
中には単なる「脅し」と捉えてるのか、「発破をかけられているだけ」と捉えているのかわからないけれど、行動が変わらない子は多い。
いや、別にいいんだ。自分の人生だし。
口で言ってるだけでそこまで本気で考えてないなんてこと、世の中にいっぱいある。
痩せたいというだけで食事制限?運動?めんどくせぇ、ラーメン食べよ・・・なんていう
キモチは超わかるのでね。
でもそれならそれでそう言ってほしいんだ。ホンキを信じているから。
どうしても立場的にさ、「こうなりたい」と言われれば、それに達するための必要な量を提示するし、それに達してなければ怒りもする。だって目標かなえたいのは俺じゃない、本人なのでしょう。だとしたら本当に間に合わないものには「足りない」と言う。少なくとも営業のためではない。だって、うちの仕組みからしたら「たくさん通ってもらう」より、「少なく、安く、人数たくさん通ってもらう」方が儲かるんだから。わざわざ言うのって、金もうけのためでは絶対ないよ。
別にいいんだよ、授業なんかとらなくたって。毎日来なくたっていい。じゃあそのかわりに家でもやってくれよ。やらない、できないのも別にしょうがないよ。そしたら塾に来なさいよ。それもヤダ?じゃあ目標を修正しなさいよ。
もうそれしかないんよね。
自分でどうするかは選べる。でも、合格させるかどうかを選ぶのは学校だから。結果は受け入れなきゃいけない。
その覚悟をもった上で「サボる」のか、「真剣に取り組む」のか考えればいい。
まったくしたいわけじゃないけどそこまではしたくない、っていう感情だってあっていいし、その上でどうするかを自分で決めるんだ。勉強しない自由はきっとある。その結果を受け入れるのは自分だけれど。
もし受験そのものなどに満足のいく結果は得られなくても、「好きでもないことでも真剣に取り組んだ」という経験はものすごく役に立つことだと俺は思うんだなあ。
もちろん、「ギリギリまでがんばったけどこれ以上無理だから逃げる」って経験だって役に立つと思う。限界超えて頑張りすぎちゃって壊れちゃうのが一番つらいから・・・
結局、選択をするのも自分だし、結果を受け入れるのは自分でしかない。
俺は保護者の方は、「たぶんこうしたほうがいい」ということをあくまで大人の目線で伝えるけど、正直それが本当に正しいかどうかなんて未来の自分にしかわからないんじゃないかな。