いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾の田中です。
開校当初から、「自立型」「自律型」と学習スタイルを説明し続けてきていました。
当時は「単なる自習じゃん」と(間接的に)言われることも多く、そのため余計に「いやそうじゃなくて」と説明するためにこういう言葉にすがっていた部分はあると思います。
そしてだんだん世の中には自立型・自律型(自走型?というのもあるようですがよくわかりません)と言われる塾が増えてきました。そういう意味では説明もだいぶ楽になってきましたし、「単なる自習ですよね」と言われることもなくなってきました。
ここ数年で0だと思います。(自習はできないですよね?というご質問はいただきますが、勉強がそもそも自習ベースなのでそもそもご理解いただいています)
2014年末開校なので、まる9年。今年10年目に入るわけですけれども、当然その中で「自律とか自立ってなんだよ」と考えること、何度あったかわかりません。
じゃあ今あんたの気持ちは結局どうなってるの、というと、
「管理と強制は別に悪じゃない」し、ふつうに必要だし、全部自分で考えてなんてやってる暇がない瞬間だって絶対にあるんだから、それを外注することの何が悪いの?って感じ。大学受験なんか特にそれで、些末なことは考えなくていいから勉強しとけ、それは俺が考えるっていうのも普通に言う。家にいると勉強してない自分の子をみてて「勉強しなさい」って言ってしまう自分のことが嫌になってしまうから塾に行かせたい、とか、「時間が決まっていてやることも決まっていれば勉強できるけどそうじゃないとなかなか動けない」とか、そういうの、何でもいいんだよ。別に。
いいじゃん利用すれば。塾をさ、俺をさ、利用すんだよ
こうなりたいという目標や描く未来があって勉強する子もいるかもしれないし、そういう子ばっかりではなくて当然仕方なくやってる子もたくさんいると思うしなんなら大多数はそうだと思ってる。その目標達成について、より可能性を高めるために塾があって、塾はその可能性を高める手段として自立型という仕組みを利用したりする。これ、全ての子に有効かっていうと、タイプでいうと偏差値45~57くらいの子で感覚的に半分以上の子に壁ができる。自律型オンリーの壁。限界を超えるためには、やっぱりどこかで強制というブーストをかませないといけない。まあそもそもその限界を超えたいのか、という問題もあるけど。
別に超えたくないっていうのもいいと思うのよ。そこまでやりたくないという考え方、嫌いじゃない。別にそう感じる中で、自分がよりベターと思える人生を送れるようなお手伝いができればいいな。
学力帯によっていろいろあると思うのですよ、例えばわかりやすく偏差値帯で言うと
偏差値40未満 管理と強制
偏差値40~48 自立(というか、塾の時間という強制勉強時間を確保し、勉強の方向性を示せばそれだけでそこそこ伸びる)
偏差値49~60 この層に「自立向き」の子と、「管理と強制」向きの子がいる。
人間なんだから、サボりたいに決まってるじゃないですか。
その「サボりたい」を、自分の意志で封じ込められる人ってたぶん世の中にそんなにいないんですよね。
だからこそ、「サボれない環境」を自分で作る。他人によって作られたものに乗っかってもいい。
ではそれは自立と言えるのか。
言っていいと思うんですよね。自立っていうのは、決して「言わなくても自分で勉強することではない」し、「好きで学んでいくことだとも限らない」。
自分が変わりたいと思って、環境を変えて、やってみる。
やりたくないけど、やる場所があるから、やらざるを得ない。
いずれにしても一般的にイメージされる「自立」ではないでしょうし、どちらかというと「強制」に近いのかもしれないけれど、
そもそも
やれといわれたことを、言われた通りにできるだけで凄い
やらないです。マジで。できないではなく、やらない。
もうこれができるだけで自立。自律。ハッピーハッピーハッピー。
他律上等。他律、そして自責。
「自分は強制されないと動けない人間なのかもしれない」と気付いて、それを認めるところになんだかんだ自立の第一歩はあるわけで。
もちろん自責は強すぎると良くない。劇薬だ。そういうときはもうね、「オメーの塾がわりいんだよ!!!」と他責すればいい。マジで。鬱みたいになるくらいならそっちのほうがぜんぜんいい。怒りはエネルギーたり得るからね。
これが自立!とか、これができなきゃ自立じゃない!とか、
本当に塾ごとに自立の定義が違い過ぎるし、
定義が違う言葉はもうかみ合わない。
用語を覚えてくれないと授業にならない、っていつも言っている俺が
いつまでこの定義があいまいな塾用語としての「自律」「自立」を使うのか。
10年やってるから、もういいでしょう。そういうの。
いいの、よその勉強方法とかどうでもよくて、
瀬谷松栄塾は瀬谷松栄塾の勉強の仕方で、
当然わりと頻繁に試行錯誤するからちょこちょこ変わるし、工夫もしているんだけれども、
まず一本通った「俺」という基準の中で、まずはそこを信じてもらって一緒に進んでいく。
「今通っている君たちにとってベストはなにか」は考え続けるし、それでも提供されるものに納得いかないなら、去っていくことはしょうがない。別の場所で本当に幸せになってほしい。
寿司も出すしコーヒーも出すしラーメンもうどんもデザートも出すけど、カツ丼は今日は出せねえなあ、出せるようにちょっと考えるから待ってて、待てないならカツ丼屋行ってくれ、ごめんな。
というような塾でいたい。
例え話だよ!!!!塾で寿司は握らねえよ!!!海鮮丼とかカツ丼とかラーメンとかうどんとかコーヒーは本当に出てきちゃうけど!!!
うちは塾をやってるんじゃない、showayをやってるんだ、くらいのことがいつか言えるように。いやもう似たようなことは言ってるけどね。