いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾の田中です。
某個別指導塾とかけもちしている大学受験生の指導をしています。
もともとは塾の自習室が閉まっている日/時間に使いたい、という希望で受け入れたのですが、まあこういう口出ししてしまうタイプですから、問題を解いている姿から課題を発見してしまうとほっとくわけにもいかなくて。もちろん向こうの塾の立場もありますからあまり口に出すべきことではないかなあと思いつつ、それでもどうしてもどうにかしたいと思っているのならそんなことも言える状態じゃないよなあ、ということで、フォローさせてほしいとお願いしました。
当塾の大学受験指導は勉強そのものを教えることではなく、
生徒の希望を聞いて提案をしたり、
目的に合わせて学習計画を立てたり、
受験計画を助けたり、
必要な教材を常にそろえるようにしたり、
とサポート部分が全体の9割を占めます。
今までの塾はどうやって勉強してたの?と聞くと、「問題を解いて、わからないところを質問します」という答え。「せっかく個別指導塾に通っているのだから、1コマあたり30~40分は質問するチャンスがあるから、質問することを全て事前に用意してから授業を迎えて、講師の先生を質問攻めにしてみてね」と伝えていました。
授業後、「超有意義な時間を過ごせました」との連絡。それはよかった。
翌日ヒアリング。
「訳し方がわからないところを『これはこう訳せばいいんだよ』と教えてもらいました」
ん?
それは
違うんだ!!!!
それはあくまで
へぇ~そうなんだ~なるほどなるほど~
でしかないのよ。
質問の方向性は、あくまで「類似の問題が出たときに自分一人で対処できるか?」「その方法を実施するために必要な知識だったり、どういう視点でいるべきか?」であって、「答えまでの道筋」だったりそれこそ「和訳」ではないんよ。
それ、模範解答に書いてあるから。それは質問するのではなくて模範解答読めばいい。
なぜ訳せなかったのか?なぜ内容が理解できなかったのか?躓いたポイントはどこなのか?その躓いているポイントはなにをすれば解消できるのか?そういうことを質問すべきだ、と伝えました。
英語でも、国語でも、同じ問題が出ることなんていうのはほとんどない。
「あっ、これ〇研ゼミでやったところだ!」
が通じるのは中学または高校の定期テストの一部まで。
例えば僕らが「これはこれと同じ問題じゃん」という認識でいたとしても、生徒たちにとっては同じ問題と認識できていない。
だから大切なのは、「これとこれは同じじゃん」と気付けたり、教えてもらって知ること。
学生の先生にそこまで求めるのは酷だからこそ、自分でそれを聞けなきゃいけない。
視点は「この問題もう一度やったら解けるか」ではなくて、「類題が解けるか」
「自分がこの問題解けなかった理由は何なのか。どこに視点をあてるべきだったのか。それをどうやったら本番で気付けるか」
それをせずに、
問題を解きました→あってました、間違ってました、って言うこと自体にはあんまり意味がない。模試を受けて偏差値に一喜一憂するのと同じで、必要な情報はそこではなくて「自分のなにができなかったのかという現実と向き合うこと」
それは適当に書いた答え・怪しいな、不安だなと思いながら書いた答えが合っていても、
自信満々に書いた答えが間違っていても。
それがあなたの現実であり、それをもとにして今後なにをするか考え、それをコツコツと潰すしかないのです。
2020年の1月5日に書いたブログ
に書きました。
❝ 間違いは間違いでかまわない。ただ、根拠を持って間違えなさい。根拠がある解答であれば、
「間違いでもそれは自分が成長する機会を」
「正解であれば今の自分に自信を」
与えてくれる。❞
現実と向き合うことはつらい。本当に。
現実から逃げて猫や犬と戯れたい。
いやしかし、立ち向かわなければならないのだ。受かりたいのなら。
それですら、受かるかなんてわからない。ぶっちゃけ運の要素もかなり大きいと考えている。
それでも、出来ない自分を受け止めて、「それもありのままの自分。でも変えたいと思うから変わろうと思う。変わろうと思うから行動を変える。」こういうことが大事だということを懇々と話し続ける。
意識が変わることで勉強の質が大きく変わり、今までと同じ時間勉強しても疲れるようになっている。
でもそれでいいんだ。なんなら勉強時間を減らしてもいい。それでも、今のやり方の方が絶対に力がつくから。
目指せジャイキリ。