いつもありがとうございます。瀬谷松栄塾の田中です。
よく、「集中できない」とか、「気が散る」とか、はたまた集中していても「人間の集中力の限界は〇分」みたいなそんな話をよく聞きます。
年を取り、そもそもなにかに集中して取り組むこと自体ニガテになっています。ただ、自分の人生の中でいわゆる「集中しまくれている状態ってどれくらいあったかな~」というと、
F-ZEROのタイムアタックやポップンミュージックなどの音ゲー(ノーミス大前提)
で、肝心の勉強ってどうなの、っていうと、学生たちがイメージしてる集中100%の状態ってたぶんほとんどない、というか一度もなくて。
こんな話をしたら他の先生方から非難を受けるかもしれませんが、なんというか、80%くらいの集中力をずーっと続けるみたいな感じだったり、50%で解けるところは50%、たまに気持ちをしめなおして瞬間的に90%、平均的に75~80くらいの集中力という感じに近かった?なんなら70%以下だったかもしれない。
※スマホがあったら常に40以下になっていた自信があります。それぐらい、スマホって怖いものですから、うまく付き合ってきたいものですね。
仕事もそんな感じで、「あー電話かかってきたから集中キレた!」とか「話しかけられたら集中キレた!」みたいなこともあんまなくて、いつも同じ感じで淡々とやることが多いように思います。
もちろん2分おきに話しかけられたり、なにをするにも「ねーねー」と声をかけられる育児、みたいなものは想定してないですよ。最低限の環境があるのに集中できない、という言い訳に関しての内容です。
飲食店キッチンでやってるときのドピーク中の「キタキタキタキター!」っていうのは戦場ゆえのハイテンションであって集中とはまた違う。なんというか頭の回転速度を意図的に瞬間的に高めるという感じで、これは集中とはまた違う感じなんですよね。
剣道なんかの集中っていうのも、個人的には集中より無心に近くて、反射で動く状態に近い気がします。
実際、今勉強しているときも集中はそんなにできていないように思います。でも「それで出来ない」というより、出来ないのは訓練不足だったり知識の不足だったりするのかなーなんて
これはやり続けてきたから言えることなのか、生まれ持ったものなのか、そのあたりはわからないんですけれども。
そう、話を戻しまして。そもそも「全集中しなきゃいけないか?」という話。本当に100%集中しなければ勉強はできないのか?
もちろんある程度の成果を出そうとしたり、他の人にはできないようなハイレベルなようなことをしようと思ったら別だとは思いますが、そもそも一般的な勉強なんてのは「他人がすでに作り上げてきたものを理解し、身につける」ことがメインなわけで、そこに全集中しなきゃいけないか、ということなんですよ。
わからないことを考えたりなんていうことは必要ではあるんですけれど、大概の場合それは
考えるための武器が足りない=インプットが圧倒的に足りていない
のですよね。言葉なくして思考はできないように、思考するための知識がなければ考えることなんてできません。
勉強していても理解しきれないこともあるでしょう。それが大学に入ってから出てくる人もいれば、小中学生で出てきてしまう子もいます。
ただその場合もたいがいは「まず作業として覚えてしまえ」があって、その上であとになってわかることもきっとあると思うんですよ。
集中できなかったからあまり進まなかった、という言い訳自体を割とよく聞きますし、それそのものの気持ちもわからなくもないんだけれども、とずっとモヤモヤしていたのですが、一番集中してほしいのは、
落とし穴の場所を覚えること(比喩)
いや比喩でもないな。いつも同じことで間違える生徒はいます。なのにそこを「気を付けようともしない」
そこで一番の集中力を持っていてほしい。
最初はもしかしたら100%の集中力が必要かもしれない。でも頭を使って勉強していれば、いずれは30%の集中力でも間違えないようになっていく。
また、メモを取ることも有効ですよね。ここに穴がある、という地図を書きながら自分の集中しなければいけない時間を減らしていく。
そう、「訓練」そして「メモ」。そうやって脳のメモリを空けていくのです。
集中できないから進まない・解けないという子を見ていると、大抵書きません。頭の中で考えています。
メモリがいっぱいいっぱいになれば考えることもできなくなってフリーズしてしまうのは人間も一緒。
常に100%の集中力が必要なくらいわからないことばかりなら、大学での研究でもないのならそもそもレベルが合ってないのではないか?と思います。
自分に合ったレベルからやることが結局近道になるのですわ。ではごきげんよう。
瀬谷松栄塾お嬢様部