そう、いい意味でも、悪い意味でもね。」

 

 

スヌーピー風。

 

2018年8月のブログリライト。

 

 

 

こんばんは。瀬谷松栄塾田中です。

 

 

当時、勉強のやる気が出なくて苦しんでいる中3に話したこと。

(なんでやる気が出てなかったかの記憶はさすがにないし誰のことなのかすら覚えていない)

 

そのまま書きます。賛否両論はあるでしょう。でも、少なくともその子のことを大切に思って、その子の人生を考えて伝えたつもりです。

 

 

 

あなたのために、という言葉を使う人間は、あなたのためを思ってないみたいなことをよく言う人がいます。

 

あなたを利用して自分がいい気分になりたいだけだ、と

 

 

こんな話、する方がめんどくせーしそんなこと思ってるわけねーだろ、とだけ。

 

 

 

 

 

 

 

  あなたの人生はあなたのもの。

 

 

 

 

中学生のうちは、保護者がいなければなにもできないけど、だからといって保護者の言うことをすべて聞く必要はないのだ。

 

だからといって反抗すればいいというものでもない。

 

勘違いしないでほしいのは、ご両親だって、自分の経験によって、または社会での知識に基づいてアドバイスをしているはずだから、今は理解できないけどためになることはきっとある。


また逆にアドバイスした側は(もちろん私も含めて)それが正しいと信じて伝えているけど、それが事実ではないこともある。大人であっても。そういうものを含めて総合的に判断してほしい。

自分で決めたのならば、いい結果も悪い結果も、自分の責任として受け入れればいいのだ。

だからこそ結論を出すためには情報を正しく仕入れる必要がある。だから調べて、その上で考えなきゃいけない。でも判断というものは正しい知識と経験が必要なものだけれど、こうやって判断に失敗することも経験の一つなんだ。

 

ぶっちゃけ高校受験なんて失敗してもいくらでも取り返せるしね。若いうちに失敗しておくことは、私は良いことだと思っているので、自分が正しいと思う判断をしてほしい。もちろん失敗するとは限らないし、失敗することも限度があるけれど。たとえば犯罪を犯した、というのはリカバリできないからね。

 

そう、自分で判断してみる、ということは大切な成長の過程なんだ。

 

親に決められてるからやる気が出ない、というのなら、その点も含めてきちんと親子間で話をする必要があるだろうし、二人で無理なら一緒に話をしよう。

 

 しかし、問題はそこだけではない。

 

 やる気がない、ということの質についてである。これによって、実はこのあとの取る行動へのアドバイスが異なってくる。

 

 例えば、単なる怠けから来る場合。これはね、まあ、やりたくないならやらなくていいのでは、という思いと、でもそれだけじゃあ人生だめだよね、という思いがある。

 

矛盾してるけどそんなもんだ。私だってやりたくない仕事は怠けたいと思ったし、でも、仕事だからやる。そこにやる気のあるなしは関係ない。一方で、やる気がない仕事で良い仕事ができるか、っていうと

 

これ、実は、完璧を求めなくて8割ぐらいでよければ結構できる。(世の中の大人はそれを認めないと思うけど)

 

 

これは勉強と同じかもしれない。やっているうちにやる気が出てくるというのは、面白さを見いだせたときだけであって、やっぱりやる気が出ない仕事ってある。少なくとも私は。

 

で、それがいやだから、やりたいことだけやりたいから、覚悟をして独立をした。やりたいことだけをやりたいからこそ。でもね、やっぱりそこでもやりたくないこととかも出てくる。働きアリの2-6-2の法則とかといっしょなのかなあ、と不思議だね。ただ、それでも自分で選んだ道だから、と思うと、ふしぎとそこまでつらくはない。

 

 話がそれた。

 

 やる気が出る出ないにかかわらずまず机にむかってコンスタントに勉強すべき、という話は以前から何度もしている。

 

 でも理屈じゃないもんな。

 

 

 まあ、勉強したくないけど「いい学校行きたい」とか「いい成績とりたい」というのはふざけんなという話だけれど、君自身が別にそういうつもりもないし、勉強できるようになりたくもないし、高校は今のまま勉強しなくても入れるところだけ行ければいい、というのであれば、その後の人生の選択肢が狭まることや、同じような価値観の子が集まりやすいというデメリットまで理解をしたうえでなら、なるようになれ、でいいのではないかな、と思う。

 

 やらなきゃいけないのはわかっているけど、悪い結果の現実を受け止めるが怖いから動けない。というのであれば、これはもう完全に私には理解できないのでアドバイスのしようがない。

 

 地震が来るのがわかっていて、それが怖いから何も備えない、というのといっしょで、来ることがわかっているなら足掻いて準備すべきではないの?以外の感想がないからだ。正論はあまり意味がない、とわかっているのだけど、これに関してはこれ以外に言えない。

 

 まあ、もし地震ではなくて隕石衝突だったら諦めてなにもしないかも知れないけれど。

 

 最終的にはさ、命あってのものだから。だから、死ぬほどいやなら別にやんなくていいんじゃないかと思う。高校が偏差値多少低いとこ行ったくらいであまり死にゃしない。(あまり、というのは低学力の子は人を巻き込んだトラブルを起こす可能性が高いので、それに巻き込まれることが稀にある。ただ死ぬときゃなにやってても死ぬ。)

 

 がんばったけど結果につながらなかったときの無力感が怖くてやらない、というのであればそっちのほうがまだ心情的に理解できるかな。これ、テスト前に「やべーわー俺全然勉強してねーわーつれーわー」という中二病と呼ばれるものと心理的には同じ。

 

 がんばったらがんばっただけ結果になる、というのは世の中では幻想だ。そしてそれが現実だ。一方で、勉強に関しては、頑張り方と方向が間違っていなければ、比較的効率よく結果につながる。つまり、中学校の中上位レベルまでにおいて勉強しても結果が出ないということは、頑張り方(量と質)と方向のいずれか、もしくはその両方が間違っているということ。まあ、これに関しては結局やるしかないわけで、やらない、という選択はない、と私は思っている。

 

 今まさにいったように、結果が出やすいことですら頑張れないならば、結果がでない他のこと、なにができようか(反語)。

 

 とはいえ、がんばりすぎて疲れちゃったり壊れたりするぐらいなら手を抜いて生きていくことも大切だとも思う。

 

 さて、最後。

 

 やらなきゃいけないということはわかっていて、やらなきゃとは思うのに、やる気はあるのに、体が動かない。

 

もし、勉強以外のすべてにおいてやる気がないのであれば、自分もつらいだろうから、病院に行って助けを求めることも必要。

 

心療内科ね。(※女性の場合はPMSを考えることもある)

 

 もし勉強だけやる気がない、ってやつ。勉強だけやる気が出ないけど、それがつらくてほかのこともできない、ってなっているなら、これもったいない。

 

 どうせ勉強やらないなら好きなことやりなさい。時間もったいない。

 

小説読むでもいいし、音楽聞くでもいいし、なんか趣味のことやってみる。

 

 なやんだって苦しんだって同じ時間使うんだから、だったら悩んでも結論なんかでないんだし(結局やるかやらないかしかないので悩むだけ時間の無駄)好きなことやりなさいな。それだって、私は生きていくために必要なことだと思うんだよ。

 

 

 

やるかやらないかしかない以外のことではおおいに悩め。

 

進路のことでも、恋のことでも。

 

 

 誤解しないでほしいのだが、切り捨てる意図は全くない。ただ、おだてたりなだめたりすかしたりなどやる気を出させるためにいつも周りの大人が準備をして気が付いて助けてくれるとは限らないから、自分で立ち直るか、きちんとあなたの口から私を含む周りの大人に助けを求めなさい。求める限りは出来る限りのことはするから。

 

 人生てきとーでも意外とどうにかなるもんだ。あまり自分を強迫観念で固めないように。