”相手は自分の鏡”って言葉、今ではその意味を落とし込んでいます。
相手から苦言を呈された時は、わが身を振り返ります。なので”どうしてこの人は~”という不快な感情にはほとんどなりません。
同時にこの”わが身を顧みる”は、”自分を知る”ということにとても役立ってくれています。
しかし、奥底に居る”本当の自分”という自分でも知らない自分を洗いざらい映し出してくれるは我が子。わたしの場合ですが。
わたしは自他ともに認める”温厚な性質”。争いが嫌いなので滅多なことでは怒りません。
ですが子ども相手となると...怒りの沸点、激低。当時は自分はこんなに怒りっぽかったのかと落ち込んだもんです。
争いたくないがためにずっと怒り無意識に抑え込んでたんです。
同時に相手を思い通りにしたいという想いも強い。加えて時に残虐。
もうね...次々発掘される自分を最初は直視できませんでした。それでもそんな自分から目を背けず認めて受け入れ、だからどうなりたいか?という目標も見つかる。
そして何より、他人に対しても寛大になりました。どんな素晴らしい人格者だって多分最初はこんなもん。こうやって魂って磨かれていく。
そう考えると、わたしたちは日々魂練磨の機会を頂いているという宇宙からのどえらい贈り物に氣が付きます。
どんなにダメダメな部分を持ってても、改善することを選択出来る。なんと有難いことか。
今日もやっぱり感謝でいっぱいです。
生きとし生ける全ての存在がいつも最幸の笑顔でありますように