ご存知、とか言っちゃって、私は『ドン・キホーテ』をちゃんと読んだことはないのだが。
愛・地球博でスペイン館へ行ったとき、多くのスペースがセルバンテスのために使われていたので、
おお、この話はホントにスペインでは人気があるのだな、
少なくともスペイン人は「これなら日本人も知ってるだろう」と考えたな、と思ったものだ。
ミュージカル『ラ・マンチャの男』は「見果てぬ夢」という歌で知った。
エルビス・プレスリー版だが、英語の歌詞の意味を辞書を引き引き調べたものだ。
聴いていると、なんか元気が出てくる歌だ。
このミュージカルを二十数年ぶりで観に行った。
前回いつ観たかはっきり思い出せないが、子どもの生まれる前なので20年は経っている。
ドン・キホーテ/セルバンテスが松本幸四郎だったのだけはたしかだけど、
その頃はもしかしたらまだ市川染五郎だったかもしれない。
そして、その時自分がどんなことを感じたのかも、ほとんど覚えていなかった。
自分の仕事として教会から徴集をしようとして宗教裁判にかけられることになったセルバンテス。
入れられた牢屋で遍歴の騎士ドン・キホーテの物語を芝居にしてみせる。
ドン・キホーテはラ・マンチャの老郷士なのだが、自分を中世の騎士だと思い込んで、
この世に魔の手を伸ばす魔王を倒すべく旅に出てしまう。
風車は魔王の手先の怪物、旅籠は城で、主人は城主、孤児で台所女のアルドンサは麗しのドルシネア姫となる。
うちの近所でこういうおじさんが出たら、市の防災無線で探されることであろう。
ドン・キホーテの家でも同居する姪アントニアが叔父の身の上を案じ、家名も案じる。
みんな、ドン・キホーテは狂ってしまったと思っている。
姪の婚約者が精神科医なので、何とかしようと買って出る。
そして、己が何ものかを知ったドン・キホーテは死の床につき、
彼の遍歴はただの徘徊だったことになってしまうように思われたのだが…
後半、アルドンサがドン・キホーテに心動かされるあたりから、
どんどん切なくなってきて、こんな風に終わってくれればいいのにと、
いろいろな思いを舞台に被せながら涙、涙でした。
そして、願ったように、最後に「見果てぬ夢」のコーラスが流れ、
役者さんたちのアンコールと、オーケストラのエンディングの演奏があって、
その頃やっと涙が止まりました。
前回こんなに感動した覚えがないのです。
きっと幸四郎も若かったし、私も若かったし、発しているものも、受け取るものも違ったのでしょう。
今の幸四郎は実際に老人(高麗屋ごめんなさい
その老騎士に「ドルシネア姫、気高き清き姫」と呼ばれ続けることで、
自分の人生はどぶの中で産まれ、どぶの中で死ぬ、どうしょうもないものと思っていたアルドンサを娘の松たか子が演じることで、
この二人に生じる交流がいっそう深く自然で、とても温かみのあるものに感じられるのでした。
幸四郎はどこまでこの『ラ・マンチャの男』ができるだろうかと考えているでしょうが、
アントニアに長女の紀保、アルドンサに次女のたか子、楽屋に奥様と家族に支えられるこの舞台は、
彼が生きている限り大丈夫な気がします。
今の私にはドン・キホーテの夢が何だったのかはわからないけれど、
彼が夢見て行動したことがアルドンサの人生を変えることがこのミュージカルのテーマのように思えるからです。
「見果てぬ夢」は夢見た人は達成される瞬間を見ることができなくても、
継がれ、継がれて、いつか実現されるものなのかもしれません。
プログラムに孫の金太郎くんも一文を寄せています。
「がんばったら いつか じぃじのようになれるかな」
『ラ・マンチャの男』は夢の種を撒く男の話なのだな、と思いました。