勇気を出して市長に要望書を渡しに行った女性に市長が言葉を交わそうとしないのはなぜか? | 小学校時代に学級委員に7回立候補して7回落選した僕が勝てるはずのない市長選に挑戦することになりました

小学校時代に学級委員に7回立候補して7回落選した僕が勝てるはずのない市長選に挑戦することになりました

令和5年12月18日午前10時から市役所2階の大会議室で出馬発表会をします!120億円溜まった基金で、自殺率や水道料が高い南魚沼市の市民の生活費をとことん下げます!

 非課税の高齢者世帯の水道料金を1300円安くしていた「福祉減免制度」の存続を求めた署名運動を展開していた南魚沼市議会議員の黒岩揺光です。

 

 7月28日は、林茂男市長に署名を手渡す日です。

 

 この日までに集まった署名の数は、なんと704筆

 

 凄いですねー。

 

 これまでのブログで紹介してきた通り、この制度で助けられてきた方、そしてこの制度のことを知らずに減免を受けられなかった方が多く含まれております。

 

 

 

 また制度のことは知っていても、申請しなければいけないということを知らない方もいます。

 

 市内で独り暮らしをする80代のAさんも、その1人です。

 

 「この方なら署名してくれると思う」と知人からAさんのことを紹介され、7月24日にAさん宅へ伺いました。

 

 自宅へ上がらせてもらい、1時間ほど話しました。

 

 Aさんはこの制度のことは知っていました。そして数年前まではこの制度のおかげで水道料金が安くなっていたそうです。

 

 しかし、Aさんが内職を始めたたためか、市役所から「非課税世帯ではなくなったため(福祉減免の)制度を受けられなくなった」というお知らせがきたそうです。

 

 その後、Aさんは非課税世帯なのに、書類の記入漏れが原因で課税世帯扱いとなり、Aさんは何度か市役所を訪れ、自分が非課税世帯であることを伝え、書類を提出しなおしました。無事に非課税世帯となり、市が非課税世帯に支給する現金給付支援の対象となりました。

 

 その際、水道料金も自動的に安くなると勘違いしていたため、申請はせず、正規の料金を払い続けてきました。

 

 「知らずに正規料金を払い続けている人、いっぱいいると思うよ」とAさんは言います。

 

 繰り返しますが、福祉減免を受ければ、水道料金が年間1万5000円ほど安くなります。

 

 Aさんは署名用紙に自分の名前を書き、私は7月28日に署名を市長に手渡すから、一緒に手渡しに行かないか尋ねました。もしかしたら新聞記者が来て記事にするかもしれないけど、「名前を出さず、市内の80代女性」という表記にしてもらうことができると伝えると、「それがいいです」とAさんは言いました。

 

 Aさんは「私なんかで役に立つことがあれば」と言い、承諾してくれました。

 

 しかし、私は、これまで数人の高齢者が、一度は「行きます」と言ったものの、後日、「やっぱり行けません」と言われた経験があったため、Aさんにも「もし、今後、『やっぱり行きたくない』ということなら、構いませんので、ご連絡ください」と伝えました。

 

 案の定、数時間後、Aさんから電話がありました。

 

 「もしかしたら、今後、市長と会う機会があるかもしれないことを考えると、ちょっと気が引ける」と言い、私は「わかりました。全然かまいませんので」と伝えました。

 

 すると次の日、Aさんから再び電話がありました。

 

 「一晩ずっと悩みました。断ったことで、何か胸が痛くなるようで。黒岩さんがあれだけ時間をかけてくれたのだし、制度で助けられている人たちがたくさんいると思えば、やっぱり一緒にいってみようかなと思いました」

 

 私は感動しました。

 

 こんなこともあるもんだと。

 

 この署名を集めるために、多くの高齢者にお会いし、多くの高齢者から、「こんな署名したって意味あるのですか?」「私たちが何か声を上げてもどうせ何も変わらないのではないですか?」と言う声を多くいただきました。「なんでそんな高齢者ばかりいじめるの?早く死ねってことか?」とまで言う人もいました。

 

 車が運転できない高齢者が増えていっているのに、上田地区や城内地区、大巻地区のスーパーが次々と閉店し、買い物ができる場所はどんどん集約化されていっています。そして、今度は30億円以上かけて、健診施設を集約化するそうです。どんどん車が運転できない人にとっては不便な自治体になっていっています。

 

 Aさんの勇気に感動しました。声を上げることは無駄なことじゃない。林市長にもAさんの想いが届くことを祈りました。

 

 7月27日午後4時ごろ、私は市の秘書広報課に電話をし、7月28日に私とAさんと2人で署名を私に行くことを伝えました。そして、動画と写真撮影のために、さらに2人が同席し、新潟日報の記者が取材に来ることを伝えました。

 

 7月28日午前7時半、私はAさんに電話をし、最終の意思確認をしました。

 

 午前9時、Aさんの自宅まで車で迎えに行きました。

 

 「この前きたとき、氷がなくて悪かったね」とAさんは私を見るなり言いました。私はストッキングに氷を入れて、それを首に巻いて、市内を自転車で走っているので、前回お会いした際にAさんに氷があればほしいと伝えたのですが、Aさん宅には氷がありませんでした。そのことをずっと気にされていたそうです。本当に優しい方ですね。

 

 Aさんとは車の中で話しました。

 

 林市長とは面識はないそうです。

 

 私は、前回林市長と会ったのは会費8000円の懇親会だったことを伝えると、Aさんは人生で1度も、会費8000円の宴会に出たことがないといいます。「あっても忘年会で5000円とかだったかな。どうせ何も飲まないし、ほとんど食べないから、もったいなくてね」と言います。外食を最後にしたのはいつだったか覚えていないということです。

 

 午前9時半、市役所に到着します。

 

 面会まで30分あります。

 

 Aさんは福祉減免制度に申請をしていないため、1300円の減免を受けていないとのことだったので、「今、手続きしちゃいますか?」と尋ねると、頷きました。窓口で、「今申請すると、7月と8月、2か月分安くなるのですか?」と尋ねると、「そうだと思います」と職員が言います。「2か月分だと2600円ですね」と言うと、Aさんは「内職でも2600円てば、それなりの額だよ」と言い、申請しようと言いました。しかし、その後「7月分はもう減免できないことがわかりました」と言われ、「じゃあ1300円だけだし、非課税証明とるのに300円かかるし、いいか」となり、申請しないことになりました。

 

 動画と写真撮影してくれる知人二人も到着し、午前10時前、2階に上がりました。Aさんは「緊張するな」とつぶやきました。

 

 廊下に上村直樹・秘書広報課長がおり、応接室へ通されました。「窓際の席にお座りください」と言われ、Aさんに先に座ってもらい、私は隣に座りました。新潟日報の記者も入ってきました。

 

 すると、上村課長が私のところへ来て、「市長は公務で来れなくなり、代わりに南雲総務部長が対応します」と言いました。

 

 は???

 

 どういうこと?

 

 ちょっと意味がわかりません。

 

 7月28日午前10時と決まったのは7月14日でした。私が秘書広報課へ行き、林市長の都合がつく日時を尋ねた結果、7月28日午前10時を秘書広報課から打診されました。私は、その日時は社会厚生委員会があり、それを傍聴したかったのですが、この要望書を林市長に直接手渡すことの方が大事だと思い、承諾しました。

 

 7月28日午前10時に要望書を手渡すことを報道各社に伝える資料も秘書広報課に転送しました。

 

 そして、7月27日には最終確認の電話までしました。私とAさんと撮影担当の知り合い2人、計4人で伺う、と秘書広報課の職員に伝えました。

 

 にも関わらず、なぜ、当日のその時間になって、「公務で出られない」と言うのでしょう?

 

 私はAさんの方を見ました。Aさんは苦笑いをしています。

 

 南雲貢・総務部長が入ってきました。「副市長も出張でいなくて、私になってすみません」とのことでした。

 

 私は「いつ部長はこのことを知ったのですか?」と尋ねると、「今朝」とのことです。

 

 今朝?

 

 市長が公務で来られなくなったなら、それを電話で伝えるのがせめての礼儀ではないでしょうか。

 

 こみ上げてくる感情を抑えるのに必死でした。せっかくAさんが勇気を振り絞って来てくれたのに。

 

 とにかく署名を渡さなくてはいけません。

 

 私は南雲部長に封筒に入った署名用紙を手渡しました。

 

 

 

 その後、テーブルに座り、しばしの意見交換。

 

 Aさんからは、「何もかもが高くなって、生活が厳しくなっていて、減免額を内職で稼ごうと思ったら大変です」という言葉がありました。

 

 とても落ち着いている様子でした。

 

 

(右が南雲部長、左が私とAさん)

 

 私からからは、Aさんの様に今日来たくても来られない人が多くいるということを伝えました。

 

 南雲部長は「市長に伝えます」と言いました。

 

 退室後、1階の待合スペースで、Aさんが新潟日報の記者から取材を受けました。

 

 すると、突然、林市長が現れました!

 

 10時20分ごろでしょうか。

 

 林市長は私を見るなり、「おお。要望書を持ってきてくれたんだっけ?」と言い、私が「はい」と言い、Aさんの方に手を向けると、Aさんは林市長に向かって一礼をしました。林市長もAさんに会釈をし、私が「突然の公務とかで?」と言い、林市長は「警察署に行かなければならなくてね」と言いました。

 

 警察署?

 

 林市長はそのまま階段を上がっていってしまいました。Aさんとは言葉を交わすことはありませんでした。

 

 「来てくれてありがとう」「突然会えなくなってすまなかった」「また後日、お話を聞かせてください」

 

 等等、色々、Aさんに話しかけることはできたのではないでしょうか?

 

 私はAさんを自宅まで送りました。

 

 林市長の対応について聞くと、「残念です。日時はもう決まっていたことなのに、、。来られないと聞いた時は少しホッとした面もあったけど、来た方が良かったと思います」と言いました。

 

 その後、上村課長に電話で「公務で来られないということはいつわかり、なぜそれを伝えてくれなかったのか?」と尋ねましたが、来られなくなったことがわかたったのは「数日前」と言ったり、「昨日」と言ったり、答えがコロコロ変わり、伝えられなかった理由は「市としては誰が対応しても同じことだと思った」とのことでした。

 

 「こちらが市長との面会を要望し、7月28日午前10時は、市が指定した日時だったにも関わらず、市長が出られないとわかったとき、せめて電話を入れるのが礼儀ではなかったか」と尋ねましたが、特に返答に変化はありませんでした。

 

 「もし、市長が来られないということが事前にわかれば、別の日程で調整だってできたのではないか?」と尋ねると、上村課長は「黒岩さんのブログには日時が書かれていたので、、」と言いました。「別に新しい日時になれば、それをまたブログで紹介するだけです」と言うと、「来週から米国出張がありますので日程的にも厳しかったです」と言いました。

 

 市長の「公務」の内容については詳細は言えないとのことです。午前9時半ごろ庁舎を出て、午前10時20分ごろ戻られたとのことでした。ちなみに、午前11時からは定例記者会見が予定されてありましたし、会見には林市長は予定通り出席されました。

 

 というわけで、Aさんは林市長に会うことはできませんでした。

 

 対応するのが南雲総務部長だとわかっていれば、もっと多くの方が参加していたかもしれません。とても残念です。

 

 しかし、だからといって、Aさんたちの要望が実現しないとは限りません。

 

 大多数の議員が賛成したことに対し、700人の市民が実名を出して声を上げたのです。

 

 林市長、今日は市長に直接署名を手渡せなくて残念でしたが、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 翌日の新潟日報で記事にしていただきました。ありがとうございました。