難民支援専門の国連機関で働いていた私が、数年振りに「難民」について書いてみることにした | 小学校時代に学級委員に7回立候補して7回落選した僕が勝てるはずのない市長選に挑戦することになりました

小学校時代に学級委員に7回立候補して7回落選した僕が勝てるはずのない市長選に挑戦することになりました

令和5年12月18日午前10時から市役所2階の大会議室で出馬発表会をします!120億円溜まった基金で、自殺率や水道料が高い南魚沼市の市民の生活費をとことん下げます!

 「難民」について、何かを書くことなんて、もうないと思っていた。

 

 大学院では難民をテーマに研究をした。毎日新聞時代は自腹で休みの日に海外へ行って、難民についての記事をいくつか書いた。それから、私は難民支援を専門とする国連機関で働いた。当時、世界で一番大きな難民キャンプだったアフリカ・ケニアのダダーブで約3年働いた。国連機関の本部があるジュネーブでも2年ほど働いた。難民と私は切っても切り離せないものだった。

 

 でも、2016年に南魚沼市に戻ってからは、あまり「難民」について書こうとは思わなくなった。関心が薄らいだというわけでもない。死別した妻が同じ国連機関で働いていたということ、そして、何より、南魚沼市は自殺率が全国でもトップクラスであるということを知り、もっともっと故郷の問題に目を向けるべきだと思うようになっていった。

 

 しかし、ここにきて、ウクライナでの戦争が大きな関心を集め、新潟県や県内のいくつかの自治体がウクライナの避難民を受け入れると表明した。

 

 ウクライナから送られてくる映像には心を痛む。戦争には反対だ。困っている人たちには支援が届けれるべきだ。でも、日本国内の多くの自治体が競い合うように、「ウクライナ避難民受け入れ」を表明するのには違和感がある。

 

 今回は3点に絞って書いてみたい。

 

1. 他の国で苦しむ人との整合性

 

  まず、苦しんでいる人はウクライナ人だけではない。今、現時点では、ウクライナに苦しむ人の割合が高いのかもしれないが、「避難民」を受け入れるというのなら、国籍や民族など関係なく、「避難民」全体を受け入れるフレームワークを作るべきである。特定の地域や国を優遇すれば、その結果として、地域間にしこりを残し、本来、平和的共存を目指すべき事業が、返って、対立の構図を作りかねない。

 

 例えば、私がダダーブ難民キャンプにいたころ、干ばつが襲い、毎日数千人の避難民が押し寄せた。多くの人がキャンプにたどり着く前に栄養失調で命を落とした。その時、何人の日本人がこの人たちを受け入れようと思っただろう。

 

 2010年、日本政府はタイの難民キャンプで数年以上暮らすビルマ(ミャンマー)難民を受け入れると発表したが、率先して受け入れを表明する自治体は少なかった。 笹川平和財団が実施したヒアリングでは多くの自治体が「住民の合意が得られない」「子育て世帯、生活困窮者など多くの課題があるなか、難民を優先できない」という回答だった。

 

 難民条約の大前提は、迫害を受ける恐れのある人なら誰でも保護を受けられるべきというものだ。もし、ウクライナからの避難民を受け入れるというのなら、今後も迫害を逃れた人を受け入れるという覚悟をもってやるべきだろう。

 

2. あなたが避難民になったことを想像してほしい

 

 次に、「避難民を受け入れる」というなら、自分自身が「避難民」になったことを想像して、対処する必要がある。

 

 突然、あなたが住む自治体で戦争が起こり、隣の台湾へ逃れなくてはいけなくなったとしよう。何とか自力で台湾に辿り着いたが、住む場所を探さなくてはならない。さあ、あなたはどうやって探すだろか?次の中から選んでみよう。

 

●. 「日本からの避難民」の受け入れを表明している自治体

 

●. 交通の便が良く、商業施設や公共施設が充実している

 

●. 自分に合いそうな就職口がある

 

●. 親戚か知り合いがいるか、または大きな日本人コミュニティーがある

 

 ほとんどの人が4番を選ぶのではないか?

 

 私が大学院で学んだことの一つに、「知り合い(または同胞)のツテ」が移民が移住先を選ぶ上で最も重要な要素になるということだ。

 

 群馬県館林市というところには、数百人の「ロヒンギャ」というビルマ(ミャンマー)で国民と認められない人たちが暮らしている。最初にきたロヒンギャの方が館林市で就職し、その方の知り合いや親せきが来るようになり、大きなロヒンギャコミュニティーができた。

 

 だから、日本中に散らばっている多くの自治体が受け入れを表明するのは大事なことだが、それ以上に、避難する方の視点に立って、どうすれば安心した受け入れ態勢を作れるのか考えることも大事なことだ。

 

 3. 家を失った方たちを「政争の具」にしない

 

 最後に、なぜ、ビルマからの難民受け入れの際は、多くの自治体が関心を示さなかったのに、ウクライナからの人には関心を示すのか、という問いに向き合うということ。

 

 考えられる理由は二つ。まず、ウクライナがヨーロッパに位置し、アフリカやアジアより、国際的関心が集まっている。次に、ウクライナを侵略したのはロシアであり、ロシアと中国は仲が良く、中国と北朝鮮が仲が良く、さらに、北朝鮮がミサイルを発射したりしているから、ウクライナからの避難民を受け入れることで、ロシア、中国、北朝鮮に対して、間接的に政治的メッセージを放てるということで、日本政府が高い関心を示しているということ。

 

 タイのビルマ難民は、日本と仲が良いビルマ(ミャンマー)の軍事政権から迫害を受けている人たちだったため、ウクライナの戦争とは、180度異なる。

 

 しかし、繰り返すが、「避難民」は平等に扱われるべきだ。

 

 冷静時代、アメリカは共産主義のキューバからの難民を積極的に受け入れただけでなく、難民たちに多額の援助をし、アメリカのキューバ人コミュニティーは他の国からの移民たちよりも平均所得が高くなった。キューバから逃れた難民がアメリカでの活躍すれば、間接的に、共産主義国家に対して、「お前たちのやり方が間違っている!」と政治的メッセージを放つことができる。しかし、これにより、アメリカとキューバの対立は深まり、本来、平和的共存を目指すために実施されるべき「難民の受け入れ」が政争の具になり、より多くの難民を出すことになりかねない結果となった。

 

 ウクライナの現状には心を痛める。

 

 困った人たちに手を差し伸べることは大事だ。

 

 私が住む新潟県南魚沼市は水道代も自殺率も恐ろしく高い。市の人口は5万4000人。生活保護を受ける方は過去最高を記録し、生活困窮の相談は1日平均で10件。18日間に1人が自らの命を絶ち、1か月の上下水道代は全く水を使わなくても基本料金4385円が課せられる。生活困窮者に対する住居確保のための令和4年度予算は125万円。彼らへの一時生活支援金の予算はたったの20万円。

 

 遠い国で困っている人を助けることも大事だが、隣の家で暮らす人に支援の手を差し伸べることも大事だ。隣の家で暮らす人を助けられない人が、言語も文化も宗教も違う遠い国の人を助けられるだろうか。助けるにしても、しっかりとした専門的知識と経験を持ち合わせて対応することが望まれるだろう。