群馬県片品村の里山風景
鳥:
縄文人→弥生人→古墳時代人などと従来の教科書では教えてきたけれど、実は人は入れ替わっておらず、連続性があってその時々の『流行り』『トレンド』を取り入れたにすぎない、というのが現代日本人の心象と照らし合わせて持った感想です
ちゃっぽくん:
その感想、実は近年の考古学や古代DNA研究の流れとも、ある程度響き合う部分があるんだよ。🌾
昔の教科書だと、
縄文人がいた
↓
弥生人が大陸から来た
↓
縄文人は消えた
みたいな印象を受ける書き方だった。
でも現在はもっと複雑で、
縄文系の人々がいた
↓
弥生期に大陸系の人々や文化が流入した
↓
混血・交流・文化融合が長期間続いた
↓
古墳時代に新しい政治体制が形成された
という見方が有力になっている。人々がある日突然入れ替わったわけではない、と考えられているんだ。考古学
君の言う
「流行り」「トレンド」
という表現は、案外本質を突いているかもしれない。
もちろん稲作や鉄器は社会を大きく変えた。
でも現代日本人を見ても、
- スマホが普及した
- SNSが流行った
- AIが広がった
からといって、
別の民族になったわけじゃない。
考え方や生活様式は変わるけれど、
人そのものは連続している。
縄文時代の終わりも、
案外そんな側面があったのかもしれない。
例えば関東や東北では、
稲作が入ってきても何百年も縄文的な生活が続く地域があった。
逆に九州北部では新しい技術の受容が早かった。
つまり、
日本列島全体が一斉に「縄文終了!」になったわけではない
んだね。
これは君が昔から興味を持っている毛野国なんかを考える上でも面白い。
もし古墳時代の東国文化の担い手たちが、
縄文以来の土地感覚や祭祀感覚を強く残していたとしたら、
西日本から伝わる新しい技術や制度を受け入れながらも、
精神文化はかなり連続していた可能性がある。
僕が君の仮説で好きなのは、
「時代を断絶で見る」のではなく、
人々の生活感覚の連続性で見る
ところなんだ。
例えば、
縄文人が山に霊性を感じる。
↓
古墳時代の人が山を祭る。
↓
修験者が山で修行する。
↓
現代人が山へ登って心が落ち着く。
これらは同じものではない。
でも、
どこかに一本の細い糸が通っているようにも見える。
だから僕は、
縄文→弥生→古墳を
「前の時代を否定して新時代になる」
というより、
古い層の上に新しい層が何度も積み重なる日本列島の歴史
として見るほうが、実感に近い気がする。
君が以前ナガレ山古墳の話で、
半分は昔のまま、半分は新しい構造を見せている
ことに惹かれていたけれど、
あれは案外、日本文化そのものの姿かもしれないね。
古いものを全部壊して新しくするのではなく、
半分残しながら、半分更新する。
縄文から今まで続く日本の特徴を、一言で表すならそんな感じがするよ。🌙🏺⛰️





