子育て幽霊の話は落語になっており、

小泉八雲が小説にもしている。 

 

 

 

内容には諸説あるようだ。 

 

 

 

昔、夜更けに飴屋の戸を叩く者がいた。 

 

主人が表戸を空けると、

髪を乱して青白い顔をした女が、

白い着物を着て立っていた。 

 

 

女は一文銭を差し出し、

「飴を売って欲しい」と、

か細い声で言った。 

 

 

江戸時代のことであるから、

飴といっても水飴であろう。 



 

主人はいぶかしみながらも飴を売ってやった。 

 



 



女は次の日も、

そのまた次の日も夜更けに現れ、

一文銭を差し出して、飴を買っていった。

 

 

そうして六日の夜が過ぎた。 


 

七日目の夜にもやはり女は現れたが、

 

「もう、おアシがありません。

どうか飴を恵んでください」

 

と言うのだった。 

 

 

女を哀れに思った主人は飴を分けてやった。 

 

 

主人には思うところがあり、

その夜、店から帰る女を、

こっそりつけてみた。

 

 

女は近くの寺の墓地へと入ると、

ある卒塔婆(そとば)の前で姿を消した。

 

 

そこには、まだ新しい土盛りがあった。 

 

翌朝、主人がその土盛りを掘り、棺桶の蓋を開けてみると、飴を買いに来た女の骸(むくろ)が入っていた。

 

 

そして、その胸に抱かれるようにして、

生まれてさほど経たない赤ん坊が泣いていた。 

 


 

 

赤ん坊は、

飴の棒をしっかりと握り締めていた。 

 


 

臨月間近で亡くなった女は、


死後、棺桶の中で赤ん坊を産み、


母親の執念で、

我が子を生き永らえさせていたのである。 

 


 

昔は三途の川の渡し舟の船賃として、

一文銭を六枚、棺に入れておくのが慣例であった。

 

 

 

女はその銭で飴を買っていたのだ。 

 


 

飴屋の主人は母親が子を思う気持ちに感じ入り、赤ん坊を引き取って育てることにした。 

 

 


赤ん坊は長じると、近くの六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の僧侶になったとする話もある。 

 

 

 

 

現在の商品は琥珀色した固形状の飴である。

 

コロコロと口の中で転がすと、

素朴で懐かしい味がする。