先日のブログで、
真理のひとかけら分が理解できたと書いた!
前回の記事をみるなら
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今日は、少しだけ、
そこに触れて、書いていきたいと思う。
わたしが理解した、
【真理のひとかけら】の中から、
わたしが【文字にできる部分】だけ、
書いていくぜ!
っていうのがさ。
感覚で分かってることを、
言語化するのが、
なかなか難しいっさ!笑
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人は、どんな人も【未熟】だ。
未熟だから、
現世に生まれて、
心を磨く必要がある。
完璧な人は、生まれる必要がない。
完璧な人を、仏教の世界では、
【悟りを得た】
【解脱(げだつ)を果たした】
あるいは、
【妙覚を得た】
という。
輪廻(りんね)の枠から外れた状態になる。
人間は何度も生まれ変わって、繰り返す。
これを輪廻転生という。
悟りを得ると、
輪廻の枠の外に出られる。
それを目指していく。
一度目の誕生で、
解脱ができるものはいない。
人間でできたのは、
仏教の開祖・お釈迦さまくらいだ。
お釈迦さまは、
人間で唯一、如来になった人。
釈迦如来という。
悟りの境地にいけた存在を、
【如来】という。
神様ですら、
成し遂げたのは【三神】しかいない。
阿弥陀如来、薬師如来、大日如来。
あと一歩という神様は、【菩薩】という。
菩薩の代表格は、
地蔵菩薩、観音菩薩など。
さらにその下には、【天部】がいる。
弁才天、大黒天、毘沙門天、増長天、帝釈天など。
一番下には、【明王】。
圧倒的に、不動明王が有名だ。
ほかにも、大元帥明王や愛染明王など。
神様と人間の違いは、
輪廻の枠の内側にいるか、外側にいるかだ。
神様は、輪廻の枠の外側にいる存在。
だけど、
お釈迦さまに感銘を受けて、
仏教を学ぶ神様(仏教に帰依した神様)は、
人間と同じように【悟り】を目指して、
修行している。
そして、
同じように仏教を学ぶ人間の【守護神】、
すなわち【仏】になってくれている。
仏とは、先ほど書いた、
如来、菩薩、天部、明王だ。
人間は、何度も生まれ変わって、
課題に取り組み続ける。
【前世】というのは、
この仕組みで、できあがっていく。
過去世で乗り越えられなかったことは、
今世に持ち越した課題。
要は、その人が苦手な分野だから、
直面すると、かなりキツイ。
その意味を理解せず、
自分の固定概念から脱却できずにいると、
今世どころの騒ぎぢゃなくなり、
また来世で同じ課題に直面する。
永遠に終わらない。
そして、課題を乗り越えるために、
その人の弱点を突くような出来事ばかりが、
立て続けに起こる。
人それぞれ課題が違う。
だれもかれも、
自分が未熟な部分を刺激されるような出来事を通して、課題をクリアしていく。
そうゆう意味では、平等。
あの人ばっかり良い想いしてる!
ずるい!
などと、思わなくて大丈夫!
人は、
人生の中で、
最適な時期に、
その人にとっての楽と苦を
同時に経験しながら、
修行したり、
修行中の束の間の休みを過ごしている。
人は、生まれた瞬間に、
記憶をなくす。
記憶回路に【リミッター】のような制御装置がかけられる。
これを、
【忘却の行(ぼうきゃくのぎょう)】
という。
分かりやすくいえば、
カンニングを防止されてる。
だけど、
現世でちゃんと課題に取り組み、
努力の果てに、
順調に心を磨いていくと、
記憶のリミッターが外れていく。
これを、【覚醒】という。
すると、自分が生まれてきた意味が、
なぜだか、ハッキリ、
わかるようになったりする。
なぜだか、わからないけど、
自信を持って、そうだと分かる。
天職に巡り合う人や、
自分の生きる道をしっかり持ってる人なんかは、
このリミッターが外れている人が多い。
五感が研ぎ澄まされていくと、
【自分の内なる声】が聞こえてくるのだ。
その内なる声をきくために、
【ヨガ】や【マインドフルネス】
を利用する人が多いんだと思う。
人は、死ぬと、
全て思い出す。
生まれる前に計画した自分の目標に対して、
今回はクリアできたか、どう向き合ったか、
自分で答え合わせできるのだ。
これが、
図に表した、悟りの全貌だ。
【妙覚】という。
円だけど、
完全には閉じていない。
これが、
【悟り】や【真理】の真髄。
【妙覚】を会得すると、
この意味が、
ハッキリ分かるようになるらしい。
いきすぎた完璧主義者は、
真理に辿り着けないと言われる。
世の中は、
自分も含め、不完全なもので溢れている。
不完全なものがあるから、
慈しむ心、優しい眼差し、寛大な心、
弱きを助ける強い心、はかない想い、哀れみ
を学ぶことができる。
ここで、わたしが気づいたのが、
日本人がもつ
【中庸の精神】
が、真理にもっとも近い。
という仮説だ。
今日は、ここまでにする!