【古来の自然法則】について、まとめた!
■二十八宿(にじゅうはっしゅく)
太陰暦の礎になるもの。
明治の改暦まで1000年以上の長きにわたり、ずっと使用されてきた。
月の満ち欠けの周期に合わせて考案されていて、この周期に合わせて暦の日付を区切った。
その存在が目視できない「新月」を用いて作られる。
では、人の目に見ることができない新月をどのようにとらえるのか。
その方法としては「三日月」を初めて視認できる日から2日前を新月とすることから計算された。
また、満ち欠けに合わせ約28日かけてゆっくりと移動する月の動きを読み取るのに使用されたのが、この二十八宿。
二十八宿はそれぞれ名前や吉兆が細かく決まっている。
女性の生理もここから。
月のものと呼ぶ。
■四大
別名・四大元素。「地・水・火・風」とも呼ばれる。
正確には「水・火・土・風」であり、古代ギリシャで生まれた万物の根源に関する考え方。
この考え方は世界中の文明の中でほぼ同時に誕生しており、当時は今のように情報の伝達が簡単ではなかったこと、「これらを切り離して考えるべきではない」という欧米で唱えられた「神科両存説」の根源になっている。
ルネサンス初期の錬金術師であるバラケルススは四大を「サラマンダー(火)・ルンディーネ(水)・ノーム(土)・シルフ(風)」と精霊を用いて表している。
■五大
四大「地・水・火・風」に「空」という要素を加えたもの。インドで成立。
四大には存在しない「空」は「虚空(こくう)」、すなわち「空間」を指す。
仏教において供養塔として存在する五重塔は「地輪・水輪・火輪・風輪・空輪」からなり、さまざまな時代のものが日本各地にみられる。
宮本武蔵が残した「五輪書」も五大になぞらえて書かれた。
また、イギリス東インド会社がインドから持ち帰った料理のフルーツポンチや、オランダのお酒のパンチは、それぞれ五種類の果物やお酒を混ぜ合わせて作る。どちらもヒンドゥー語で5をあらわす「ぱーんち」から取られ、この五大に由来する。
■六曜
別名・六輝(ろっき)。
宋から伝わった「六壬時謀」という中国の暦注のひとつが現在の日本人も使用している六曜の元祖となり、のちに「小六壬(小吉・空亡・大安・留連・遠喜・赤口)」が江戸時代に日本に伝わった。
しかし中国にも日本にも、
この六曜を公的な暦に使用した史実は全くない。
この暦注が本格的に日本社会に広まりはじめたのは、明治時代に「吉兆占いを暦に載せるような暦注は言語道断である」と「明治の改暦」によって公的に禁じられたことが原因だ。
ダメといわれたら余計にやりたくなるのが人の性なのか、六曜の使用は絶えることなく続き、昭和期に大ブレイクした。
旧暦による計算式で六曜を出すと、
「(月+日)÷6=XあまりR 」となり、
R=「O=大安 1=赤口 2=先勝 3=友引 4=先負 5=仏滅」
という具合に、旧暦の月日から簡単に割り出すことができる。
以前、「今年の名月は仏滅なのよ」と言っていた知人がいたが、
先ほどの計算式に中秋の名月の日をあわせれみると、旧暦の8月15日は「(8+15)÷6=3あまり5」で、仏滅になる。
つまり、六曜で割り出すと、
中秋の名月はずっと仏滅ということになるのだ。
こんなものに根拠があるわけもないが、
いまだに多くの人が左右されている。
仏滅という言葉から、仏教との関係を気にする人も多いが、それももとは「物滅」と書いたことが訛って「仏滅」へと変わった話でしかないので、惑わされないように注意したい。
■十干・十二支
十干の「干」と、十二支の「支」をとって、
「干支」(えと)と呼ぶ。
十干(じっかん)は言霊を発生させることからもその浸透は意外と古く、現在も酒類の分類や貸借や裁判の調書などで、普通に「甲」や「乙」といった使い方をしている。
十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称。
■五行
古来より用いられた占いや暦、厄払いなどの基本。
多くの占いは、この五行をベースに作られている。
「木気・火気・土気・金気・水気」。
それぞれの元素が誕生した順番によって並べられる。
この世の万物は、この5つの元素にわけられ、互いに干渉しあいながら影響し合い循環しているとする考え方。
五行それぞれの要素は相互に関連しており、
相生(そうしょう)と、
相剋(そうこく)の関係を持っている。
五行のパワーバランスによって、
宇宙万物は動いており、
その推移が、美しい四季から恐ろしい災害までをもコントロールすると信じられてきた。
一週間は、五行に太陽と月を足して曜日ができている。(五行+太陽+月)
節句なども五行が発祥。
東洋医学、漢方の起源。
五行が私たちの生活に与える影響は大きい。
■陰陽五行占い
自然哲学の「陰陽」と「五行」を元にした占い。
生年月日から自分の五行属性を割り出せる。