私はゴールデンハムスターがとにかく好きだ。
元々はシリアで捕獲された1家族のハムスターから繁殖され、その後世界中へ広がっていった。
野生ではほとんど見つかっておらず、絶滅寸前とも言われている、幻のハムスターなのだ。
歴史からみても、ゴールデンハムスターは、
なんと興味深い生命体なことか!
ジャンガリアンハムスターなどの小型のドワーフハムスターたちは、頭と胴体が一体化されているように丸っこい。
それに比べて、ゴールデンハムスターは、
頭、胴体がきちんと区別ができ、
適度に大きく、それなりに懐こいのも、
私としては、愛らしいポイントでもある。
ゴールデンハムスターが好きすぎて、
私の学生時代は、
常に彼らといた。
何匹のハムスターを見送ったことか。
私が死ぬ時は、
きっと彼女たちが、
ネロとパトラッシュが死んだ時に迎えにきた天使たちのように、
私の手足を引っ張り、
天高く行くべきところへ
連れて行ってくれると信じている。
8月に愛知に移り住み、
新しいハムスター達を迎え入れた。
名前は、チッチと、あーちゃん。
チッチは、はじめて飼う、
キンクマハムスターだった。
好奇心旺盛なあーちゃんに、
引っ込み思案のチッチ。
それがいつからか、
臆病なあーちゃんに、
人懐こいチッチに
変わっていった。
あーちゃんは、
いつまでたってもトイレを覚えなかった。
トイレはここだよ!
とオシッコがしみついた巣材をトイレに投げ入れても、
あーちゃんは、巣箱でオシッコするのだ。
これには、非常に苦労した。
1ヶ月、2ヶ月経っても、
あーちゃんは、オネショが直らず、
もう、あーちゃんは、
巣箱でオシッコするハムスターとして育てた方がいいのではないかと諦めたとき、
徐々に徐々に、
トイレでオシッコができるようになっていった。
ただし、
チッチと比べると、
明らかにオシッコの量が少ないので、
もしかしたらまだ巣箱でしている可能性もぬぐえない。
触れる度にビクビクしていたあーちゃんだったが、
ある時から、
体の緊張がとれたように感じた。
ついに、あーちゃんが人間に慣れた!
喜びもひとしおだった。
苦労させられた甲斐があるというものだ。
その後すぐに、
私は体調を崩して休職することになった。
実家で静養することになった私は、
チッチとあーちゃんに、
すぐに帰るからね
と、声をかけた。
函館にいても、
いつも、チッチとあーちゃんのことを考えていた。
2匹に早く会いたい。
そんな中、
5月にチッチが急死した。
珍しく朝一でツレから連絡が入り、
電話に出ると、
チッチが冷たくなっていたという。
まだ、一年にも満たない命であった。
仕事に行くツレに変わり、
ペット葬儀などの手配は私がした。
悲しいけど、突然すぎて、
よくわからない気分だった。
その日は、一日中チッチのことを考えた。
少しばかり泣いたりもした。
夜になり、ツレが帰ってきた。
ビデオカメラでチッチを撮してもらうと、
チッチは、眠っているかのように、
丸まった姿でそこに横たわっていた。
チッチ、チッチ!
チッチが死んだのは本当だったんだ。
チッチはもう動かない。
次の瞬間、
ありえないことに、
私は明るく大爆笑してしまったのだ(笑)
つられてツレも大笑いする。
なんだか、よく分からないが、
これは、これで、
いいのではないかと思った。
悲しく湿っぽく見送るのではなく、
今までチッチが我が家を明るく照らしていてくれたように、
私たちも笑ってチッチを見送ってあげたらいいぢゃないか。
チッチ享年10ヶ月。
天に召されていった。
私はいつも、ハムスターの死に目に会えない。
心残りが沢山あったが、
仕方ないのだと自分を納得させた。
チッチの死。
この事件によって、運命の歯車があらぬ方向に進んでいくのだった。
なんとツレと別れることになったのだ。
当然、
あーちゃんはどうするんだという議題があがった。
私はもちろん函館に連れて帰りたかった。
あーちゃんは、
私が一目惚れした、
私のハムスターなのだ。
当然である。
しかし、東京経由で愛知を引き上げなければならない私には、
炎天下の中、あーちゃんを連れて歩くことは不可能だった。
結局、あーちゃんは、
ツレが引き取ることになった。
ツレは大切に育ててくれるという。
あーちゃんには長生きしてもらいたい。
チッチの分まで。
愛知で手に入れたものは、
全て手放すことになった。