僕はラジオ番組の制作を長いこと生業としているが、仕事がら「旬を追いかける」ことが習性になっている。
 仕事を始めたころ先輩からは「ジャーナリスティックであれ!」と教えを受けたものだ。そしてジャーナリスティックであることを説明されるときに必ず言われたのが、「ジャーナリズムの反対語はなんだ?」という質問だ。
 言語学的な反対語であるかどうかは別にして、この質問の答えは「マンネリズム」である。
 日々変わっていくこと、同じことを繰り返さないことがジャーナリズム。言うまでもなくマンネリズムは同じことが繰り返されたることで、「反対語を考えることで言葉というのはその意味がはっきりする」ということも教わるのだ。

 また、「企画は立てた瞬間から腐り始める」と教わる。番組制作の要点は「昨日では早い、明日じゃ遅い、今しかできないことをやること」だ。
 逆にいつでも出来る企画・番組はダメな企画・番組であると徹底して言われる。
 こういう方法論で仕事をして来たので、当然のことながら今まで制作した番組は「古く」なっていくことが当たり前だと思っていた。いや、むしろ古くならなきゃダメだと思ってさえいた。
 
 最近、学生時代の仲間とバンドを結成し、秋にライブを設定してその催しに向かってたまにバンドの練習をしているのだが、そのバンドはテーマは山下達郎。全曲山下達郎さんの曲をやる、いわゆるコピーバンドである。
 それで改めて山下達郎さんのアルバムを聞いているのだが、名作の誉れ高い「FOR YOU」は30年前のアルバム(1982)だということに気がついた。
 当時も熱狂して聞いていたのだが、今も色あせることなく聞ける音。30年前の音とは思えない。
 そして古く思えない大きな理由としては今でもラジオであたかも今の曲であるかのようにオンエアされ、番組では30代のディレクターでも、20代のディレクターでも知っているということ。
 
 以前、松任谷由実さんから聞いた話だが、デビューアルバムの「ひうこうきぐも」のレコーディングのとき、どうしても歌の音程がうまく歌えないことがあったそうだ。スタッフの中で「これもユーミンの味だから」と上手く歌えないことが許容される雰囲気になったときに、当時のディレクターの有賀さんが「名作のピッチはジャストなんだ」といって歌い直しを命じたという。
 ヒット作を作ろうという気持ちと同時に時代を超えた名作を作ろうという志。
 きっと長い間聞かれている曲にはそうした気持ちが込められているのだろう。だから山下達郎さんの曲も、ユーミンの曲も、桑田佳祐さんの曲も、ほかの偉大なアーティストたちの曲は古くならないのだろう。

 そう考えると自分はどうだ?
 今まで名作を作ろうと思って番組を制作して来ただろうか?
 名作と言わないまでも未来、将来を見越して番組を作ったことがあるだろうか?
 時代に、目の前の客に媚を売って来ていないだろうか?
 改めて「ものづくり」について考える。別に番組でなくても芸術、美術分野から電化製品、自動車から農作物まですべて「ものづくり」の現場である。
 ものづくりに対する真摯で妥協の無い態度が「古くならないもの」を作り出すのではないかと今は思っている。
 
 

 

 「昭和40年男」という雑誌が出ている。隔月刊らしい。
 たまたま友人が記事として出ているということで友人からもらったのだが、何を隠そう僕自身が「昭和40年男」なのである。
 こういうタイトルであるが故、この雑誌のターゲットは昭和40年生まれの男性なのだろうことは推測できるが、なんでこういう雑誌が出来たのだろうか。
 「タメ年同士の気持ちが繋がっていけたらとの想いが、つくっている大きなモチベーションでもある。」という編集長のコメントを発見。すごくわかる気がした。

 昭和40年生まれという世代は横のつながり意識が薄い世代ではないかと思う。というか「世代感」とでも呼ぶべき感覚が欠けている。
 同じ昭和40年生まれの有名人として思い浮かべるのは小泉今日子、大槻ケンヂ、X JAPANのTOSHIやYOSHIKI、吉田美和、奥田民生、海外だとビョーク!?・・・個性的な面々が多い。 
 団塊の世代はその圧倒的な人数ゆえ圧倒的で、何をやっても正しくなる。その世代で流行るものはそのまま世の中の流行りとなるし、日本のすべてのビジネスが長らくその世代をターゲットに動いてきた。
 そして僕らの世代、昭和40年生まれからするとその「団塊世代」こそが「オトナ」だったのだ。多感10代のときに憧れる人々はみんな団塊世代。よくも悪くも団塊世代の影響なし僕らの青春はなかった。
 だからこそ、「世代」と呼ばれるところを拒絶してきたようなところがある。少なくとも自分たちとしては群れない、徒党を組まないという性質があるような気がしている。
 そして僕らの少し下の、今40過ぎの世代が「団塊ジュニア」と呼ばれ、団塊世代の数ほどではないにしろ数を誇り、結果として「ガンダム」「エヴァンゲリオン」といったアニメ系の大ヒット、そしてパソコンを中高生のころから使い、ITの波に乗りデジタルディバイドの向こう側にいる世代。もちろんこっち側にいるのは昭和40年生まれなのだが。
 バブルを体験した一番最後の世代でもある。
 団塊世代と団塊ジュニアに挟まれて存在感が今一つない、そんな世代の一番年下にいるのが昭和40年生まれなのである。
 そのためか、いつも年上の人たちを見て、あまり同世代に注意を払わず、ましてや年下を見ることなく生きてきた世代ともいえる。

 そんな僕の心に残っている言葉がある。
 「節丸は上の世代の一番下ではなく、自分より下の世代の一番上にいるのだと思った方がいい。年下を引っ張るのは俺なんだと思って生きていくべきだよ。」
 甲斐よしひろさんに言われた言葉である。
 「鶏口となれども牛後となるなかれ」という言葉にも似たそのアドバイスは簿に年下の後輩世代を意識させるきっかけとなった。

 僕自身の中に自分が世代と世代の分岐点にいる自覚がずっとあったのだが、この雑誌を見つけた時、もしかしたらその自覚が僕だけのものだけでなく、「昭和40年生まれ」全員が持っているものなのかもしれないと気づいた。
 そして今40代の半ばを過ぎた働き盛り。
 その世代に世間が期待をかけているということの表れであるとも思うのだ。

 僕もこの「昭和40年男」編集長の言葉のように「タメ年同士の気持ちを繋げていく」ことを少し意識していこうと今、思っている。
 
 かつての上司と食事をしたときにその人が言っていたこと。
 「ラジオのディレクターとパーソナリティの関係は連歌のようもの、ディレクターが上の句を詠み、パーソナリティが下の句を詠む。」
 なるほど、確かにラジオ番組というのはディレクターがセッティングした舞台でパーソナリティがパフォーマンスする、もっと具体的にいうとディレクターは企画や、番組の設定、枠組みを準備し、その中でパーソナリティが自分なりのトークで勝負していくものだ。
 「そのときに優秀なディレクターほど陥る罠が、下の句も自分で作って詠ませてしまうこと。」
 元上司は続ける。
 「本当はパーソナリティがどんな下の句を詠むのか任せて待つのがベストなんだ。」
 確かに。真剣に考えれば考えるほど番組というのは細部まで作りこみたくなり、他人の意見を受け入れられなくなることは多い。
 「どんな下の句を詠まれてもそれを受け入れていく。これが出来ないと結果いい番組にならない。」
 ディレクターやプロデューサーは作りたいものがあるから作る。イメージした通りの番組が作りたいと志向する。だから、作業が他人の手に渡った時にもああだこうだと注文をつけてしまうことはよく見る風景でもある。
 
 この指摘はあらゆることに当てはまる。
 ラジオ番組でなくとも、上司と部下の関係も上司が上の句を詠み、部下が下の句を詠むと言えるだろう。
 上司が出した指示に応えようと必死になって部下が仕事をする、がしかし、上司が途中で口を出したりすることでおかしくしてしまう。こうしたことはどんな職場にもあるように思える。
 下の句を詠み切るのを待つことはとても大変なことだと思うが、下の句を詠む立場になって考えれば、「もっと信用してくれ」という気持ちになることもまた真実。
 一歩踏み込んで考えれば、自分らしい下の句を詠めるような上の句を詠む人(上司)を見つけるのも重要なことなのかもしれない、と思い至った。
 
 連歌というのは上の句に応えて別の人が下の句を詠んだら、また別の人がそれに続く上の句を詠み・・・それを100句繰り返して終了するものらしい。
 もしも僕は100句が詠まれるのを待つことができるだろうか。
 人間の器が試されるのはそういう時なのだと思う。