「見た目」「見かけ」といったビジュアルを指す日本語にはどことなく軽いニュアンスがある。
「あなたは見た目がいい」言われても心から喜べないし、「見かけ」という言葉にはそもそも否定的なフレーズが続く。「見かけだけ」「見かけ倒し」などなど。
これはどこかに日本では「中身重視」が好まれる傾向があるからだろう。
見た目がいいけど中身が無い人よりは、見た目は悪いけれど中身がいい人のほうが価値が高いと感じるのが普通の日本人だろう。
その理由を考えてみると、日本人は同質性が高いので、見た目に差をつけることが難しく、あまりビジュアル情報が重要ではないからではないかと思う。
その代わり相手がどんな人であるかの情報は見た目以外の要素に求めることが多い。
日本以外の国ではそうはいかない。
複数人種が同居している国ではまずは「見た目」が大変に重要である。自分自身のアイデンティティの主張においても服装や装飾品をはじめとする「見た目」は大変に重要である。
また、ヨーロッパ諸国においても「見た目」は社会階級を表す重要なファクターである。
イタリアでは男女を問わず日焼けしていることは、長いバカンスがリゾートで過ごしたことを表し、裕福であることの象徴であると聞く。
ブルーカラー、ホワイトカラーという言い方もビジュアルから来た表現だ。
国際関係においても「見た目」や「見かけ」は大変に重要な役割を果たす。首脳会議における記念撮影の立ち位置はそのときのチカラ関係を表すし、首脳同士が握手を交わすようなアクションも国際社会におけるアピールとして大変に重要である。
日本人はどうもこの「見た目」「見かけ」へのこだわりが低く、繕うことが苦手である。
やはり「見た目」「見かけ」で威嚇することは孔雀やエリマキトカゲよろしく動物界を見てもごく当たり前の習性、行動であるわけだから、もっとその本能に訴えるビジュアルアピールを学ぶなのだと思う。
ある意味日本はガラパゴス化しているわけで、そこにある習性が国際社会の中で特殊であることを理解し、これまでの伝統を尊重しながらもその差を認識して上手くやって行かねばなるまい。
先日、代々木第一体育館で行われたファッション系のイベントに取材に行った。
ファッションというジャンルはまさしく「見た目」「見かけ」の世界だ。ビジュアルによって何かを表現している訳だから、ビジュアルは悪くても中身はいい、はこの世界では評価されない。
ビジュアルも中身をきちんとしていた初めて評価されるのだ。
当然のことながら出展者たちは「見た目」「見かけ」に命を賭けている人たちばかりだ。
僕自身改めてその情熱に打たれるイベントだった。
そしてこともあろうにこの日本人の「見た目」は海外で「Cawaii!」とか「COOL JAPAN」と言われて評価されている。
僕はどこかでたまたまガラパゴス化した場所の変わったファッションがたまたま海外で受けているのではないかと思っていたが、このファッション系のイベント見ていて、それが大いなる誤解であることを反省した。
よくよく考えてみれば、日本人は着物の裏地に派手な模様の生地を仕込むという一見地味な着物に洒落た仕掛けをする民族だ。
そう思うと日本人捨てたもんじゃない。
そうか、今の政治家たちが国際舞台のアピールが下手なのも本当は見えないところ派手に立ち回っているのか。
・・・・いや、そう信じたいものだ。
もしかすると日本人は自己批判精神が旺盛で、どうも自分たちを褒めることが苦手なのかもしれない。
「日本人てすごいんだぜ」をもっと僕自身も外国に向けて自信を持って発信していく仕事して行こうと思うし、海外で評価されるビジュアル、ファッションの仕事をしている人たちにもう少しコミットして行きたいと決意を新たにしたのでした。
「あなたは見た目がいい」言われても心から喜べないし、「見かけ」という言葉にはそもそも否定的なフレーズが続く。「見かけだけ」「見かけ倒し」などなど。
これはどこかに日本では「中身重視」が好まれる傾向があるからだろう。
見た目がいいけど中身が無い人よりは、見た目は悪いけれど中身がいい人のほうが価値が高いと感じるのが普通の日本人だろう。
その理由を考えてみると、日本人は同質性が高いので、見た目に差をつけることが難しく、あまりビジュアル情報が重要ではないからではないかと思う。
その代わり相手がどんな人であるかの情報は見た目以外の要素に求めることが多い。
日本以外の国ではそうはいかない。
複数人種が同居している国ではまずは「見た目」が大変に重要である。自分自身のアイデンティティの主張においても服装や装飾品をはじめとする「見た目」は大変に重要である。
また、ヨーロッパ諸国においても「見た目」は社会階級を表す重要なファクターである。
イタリアでは男女を問わず日焼けしていることは、長いバカンスがリゾートで過ごしたことを表し、裕福であることの象徴であると聞く。
ブルーカラー、ホワイトカラーという言い方もビジュアルから来た表現だ。
国際関係においても「見た目」や「見かけ」は大変に重要な役割を果たす。首脳会議における記念撮影の立ち位置はそのときのチカラ関係を表すし、首脳同士が握手を交わすようなアクションも国際社会におけるアピールとして大変に重要である。
日本人はどうもこの「見た目」「見かけ」へのこだわりが低く、繕うことが苦手である。
やはり「見た目」「見かけ」で威嚇することは孔雀やエリマキトカゲよろしく動物界を見てもごく当たり前の習性、行動であるわけだから、もっとその本能に訴えるビジュアルアピールを学ぶなのだと思う。
ある意味日本はガラパゴス化しているわけで、そこにある習性が国際社会の中で特殊であることを理解し、これまでの伝統を尊重しながらもその差を認識して上手くやって行かねばなるまい。
先日、代々木第一体育館で行われたファッション系のイベントに取材に行った。
ファッションというジャンルはまさしく「見た目」「見かけ」の世界だ。ビジュアルによって何かを表現している訳だから、ビジュアルは悪くても中身はいい、はこの世界では評価されない。
ビジュアルも中身をきちんとしていた初めて評価されるのだ。
当然のことながら出展者たちは「見た目」「見かけ」に命を賭けている人たちばかりだ。
僕自身改めてその情熱に打たれるイベントだった。
そしてこともあろうにこの日本人の「見た目」は海外で「Cawaii!」とか「COOL JAPAN」と言われて評価されている。
僕はどこかでたまたまガラパゴス化した場所の変わったファッションがたまたま海外で受けているのではないかと思っていたが、このファッション系のイベント見ていて、それが大いなる誤解であることを反省した。
よくよく考えてみれば、日本人は着物の裏地に派手な模様の生地を仕込むという一見地味な着物に洒落た仕掛けをする民族だ。
そう思うと日本人捨てたもんじゃない。
そうか、今の政治家たちが国際舞台のアピールが下手なのも本当は見えないところ派手に立ち回っているのか。
・・・・いや、そう信じたいものだ。
もしかすると日本人は自己批判精神が旺盛で、どうも自分たちを褒めることが苦手なのかもしれない。
「日本人てすごいんだぜ」をもっと僕自身も外国に向けて自信を持って発信していく仕事して行こうと思うし、海外で評価されるビジュアル、ファッションの仕事をしている人たちにもう少しコミットして行きたいと決意を新たにしたのでした。