大変に個人的な話だが、先週末自分の兄弟とのやりとりの中で少し感情的なやりとりがあり、「それは言っちゃダメだろ」というような発言をお互い浴びせ合い、ふたりして少し時間が経ってから反省する、というようなことがあった。
内容的にはそれぞれの配偶者に関することだったが、いくら血のつながっている肉親とはいえ、配偶者に関することを言われるとちょっとカチンと来るのは致し方ない。
まあ、そこは兄弟、丸く収まったのだが、よく考えてみると世の中には「言わない約束」がいっぱいある。
この「言わない約束」は日本的な習慣なのかな?と思ったが、よくよく考えるとそうでもないようだ。
海外で暮らしていて様々な国の友人たちと付き合って行くときには宗教と人種のことについては「言わない約束」である。
宗教対立も人種間闘争も世界中に存在し、その理由には歴史的な経緯が絡んでいることも多い。
解決が難しい問題であるからこそ、敢えて日常生活レベルの会話では触れない。そんな知恵が「言わない約束」を作り出したのだろう。
日本と中国のあいだにある「言わない約束」のひとつが尖閣の問題であり、韓国とのあいだにある「言わない約束」のひとつが竹島問題であることは言うまでもない。
中国人の友人がいる日本人があえて尖閣の問題を今日であっても飲みに行って話しあうことは想像し難いし、こんな時期にはむしろ友人といえども会わないようにしようと思うだろう。
これは国際関係に置き換えるとどうだろうか?
日本はこれまで「言わない約束」を守ってきた。竹島については「言わない」で来たが故に実効支配が60年を超え、国際司法裁判所に提訴しても歴史的経緯では日本領であることが明確であるにも関わらず、日本にとって不利な状況になってしまったのである。
この「言わない約束」、ときには破らなければ前へ進んでいけないのでは無いか。
僕が自分の兄弟と最終的には相互理解に辿りつけたのも「言わない約束」を破ったからである。
ずっと「言わない約束」を守っていれば、荒波が立つことは無い。しかし、荒波を立てたからこそ理解できることもある。むしろ見解の相違もあることを丸ごとを受け入れる勇気が無ければ相互理解は進まない。
だから今こそ日本は「言わない約束」を破るときなのではと僕は考える。
「言わない約束」を破って一歩踏み出すことで何かが変わる。
現在の状況を受けて次々に日中国交40周年イベントが中国側からの宣告で中止となっている。
この状況下にあっても日本人はどこかで中国との信頼関係を信じているようなところがあるが、それはとんでもない勘違いだ。
でも世界では「一歩外へ出たら会う人は全員強盗と思え」という方が常識である。
アメリカ人が目が合うとニコリと笑うのは、同じアメリカ人同士で殺し合った歴史の記憶から来る防衛本能であるという説もあるくらいだ。
日本人はそれを「フレンドリー」と受け取りそうだがとんでもない。危険を想定してるからこそ人あたりを柔らかくするのだ。相手に敵意を感じ取られないように。「敵」と判断されたら攻撃されるのだから。
こうした向き合いは日本人にとっては厳しいかもしれない。
でも、日本は明治維新のときにやはり日本人同士で殺し合った内戦を経験している国民である。その経験があったからこそ急速な近代化を達成できたのだと僕は思うし、今こそ本来日本人が持つ凛とした態度で各国と向き合っていきたいと思う。
内容的にはそれぞれの配偶者に関することだったが、いくら血のつながっている肉親とはいえ、配偶者に関することを言われるとちょっとカチンと来るのは致し方ない。
まあ、そこは兄弟、丸く収まったのだが、よく考えてみると世の中には「言わない約束」がいっぱいある。
この「言わない約束」は日本的な習慣なのかな?と思ったが、よくよく考えるとそうでもないようだ。
海外で暮らしていて様々な国の友人たちと付き合って行くときには宗教と人種のことについては「言わない約束」である。
宗教対立も人種間闘争も世界中に存在し、その理由には歴史的な経緯が絡んでいることも多い。
解決が難しい問題であるからこそ、敢えて日常生活レベルの会話では触れない。そんな知恵が「言わない約束」を作り出したのだろう。
日本と中国のあいだにある「言わない約束」のひとつが尖閣の問題であり、韓国とのあいだにある「言わない約束」のひとつが竹島問題であることは言うまでもない。
中国人の友人がいる日本人があえて尖閣の問題を今日であっても飲みに行って話しあうことは想像し難いし、こんな時期にはむしろ友人といえども会わないようにしようと思うだろう。
これは国際関係に置き換えるとどうだろうか?
日本はこれまで「言わない約束」を守ってきた。竹島については「言わない」で来たが故に実効支配が60年を超え、国際司法裁判所に提訴しても歴史的経緯では日本領であることが明確であるにも関わらず、日本にとって不利な状況になってしまったのである。
この「言わない約束」、ときには破らなければ前へ進んでいけないのでは無いか。
僕が自分の兄弟と最終的には相互理解に辿りつけたのも「言わない約束」を破ったからである。
ずっと「言わない約束」を守っていれば、荒波が立つことは無い。しかし、荒波を立てたからこそ理解できることもある。むしろ見解の相違もあることを丸ごとを受け入れる勇気が無ければ相互理解は進まない。
だから今こそ日本は「言わない約束」を破るときなのではと僕は考える。
「言わない約束」を破って一歩踏み出すことで何かが変わる。
現在の状況を受けて次々に日中国交40周年イベントが中国側からの宣告で中止となっている。
この状況下にあっても日本人はどこかで中国との信頼関係を信じているようなところがあるが、それはとんでもない勘違いだ。
でも世界では「一歩外へ出たら会う人は全員強盗と思え」という方が常識である。
アメリカ人が目が合うとニコリと笑うのは、同じアメリカ人同士で殺し合った歴史の記憶から来る防衛本能であるという説もあるくらいだ。
日本人はそれを「フレンドリー」と受け取りそうだがとんでもない。危険を想定してるからこそ人あたりを柔らかくするのだ。相手に敵意を感じ取られないように。「敵」と判断されたら攻撃されるのだから。
こうした向き合いは日本人にとっては厳しいかもしれない。
でも、日本は明治維新のときにやはり日本人同士で殺し合った内戦を経験している国民である。その経験があったからこそ急速な近代化を達成できたのだと僕は思うし、今こそ本来日本人が持つ凛とした態度で各国と向き合っていきたいと思う。