かつて、きたやまおさむさんが「現代日本は途中下車の出来ない社会だ」と言っていて、僕もその通りだと思ったし、その度合いはどんどん深まっていると認識していたが、ここに来てその流れが変わったと思える事件が起こった。

 それは安倍晋三自民党総裁の誕生である。
 2007年に就任約1年で健康上の不調を理由に退任。その後の自民党の総理大臣、福田、麻生と言った流れから民主党政権に変わって行くまでの流れは知られている通りだが、その当時は誰もが「総理大臣を途中で投げ出すなんて!」と思ったはずだ。
 僕自身もここまでヘタレな総理は見たこと無い、とガックリ来たことを憶えている。
 その安倍がどのツラ下げて総裁になれるのだろうか。
 この先解散、総選挙があれば民主党が負けて自民党が与党になると言われているが、そうなるとこの人がまた総理になるのか!と戸惑うばかりである。

 しかし、昨日見聞きした意見の中でこういう意見があった。
 「日本も2度目のチャンスを与える社会になった」
 なるほど、そういう考えもあるのか。
 確かにアメリカなどで成功する投資家たちは何度も失敗した人たちも多く、投資家たちも将来性がある起業家には一度失敗しても何度も投資してチャンスを与えるのだという。
 日本の起業家は一度失敗したら終わり・・・よく聞く話だ。
 
 今回の安倍晋三自民党総裁の誕生はそんな日本社会の流れを変える大きい出来事だと言うのだ。
 確かにそうかも知れない。
 個人的には一国のリーダーを「やり直しがきく」と思われても困るのだが、社会全体を見渡した場合これで勇気づけれる人たちはいるのかもしれないと思うし、これをきっかけに個人のチャンスが広がる雰囲気が広がって行けば何かが変わるのかも、と思う。
 
 安倍晋三さんという人はやはりどこかに「おぼっちゃま」風の雰囲気が漂う。
 総理を退任した当時は見た目の通りだと思ったものだ。
 持病があるなら始めから政治家なんて目指さなければいいし、一度総理になったのなら死ぬ気でやり通したらいい。そう思ったものだ。
 世論も安倍さんに対する態度の多数派意見も固まっていないように思えるので、もしかするとこうした2度目のチャンスが日本でも許容される時代になった、ということも今後言われる可能性もあろう。
 そうは言うものの安倍晋三新総裁が今後どんな動きをしていくのか、民主党とどう向き合うのか、日本維新の会の橋下徹とどう付き合って行くのかを注視して行きたい。
 どうしても食べたくなるものが誰にもあると思うのだが、僕の場合それはカツカレーとラーメンと立ち食いそばだ。
 今の僕はかなり食べるもののカロリーを気にしている。だからカツカレーもラーメンも揚げ物が必ずセットの立ち食いそばも全て節制を台無しにする食べ物であるわけだ。
 そもそも人間の本能の中には脂肪になるものを欲する傾向があるという。それは原始の頃、狩猟民族であったとき、狩猟で獲物を獲得することが困難で普段は草や木の実を食べていたため、たまにしか食べることが出来ない動物の油を体内に脂肪として蓄積しようとするのだそうだ。
 そんな御託を並べても食べたいものは食べたい。
 僕の場合、カツカレーはキッチン南海のカツカレー、ラーメンはラーメン二郎、立ち食いそばは渋谷駅しぶそばの明日葉天せいろそば、と決まっている。
 一度食べたくなるどれもグルグル頭を回って最終的には「よし」っと決意を決めて食べに行く行動を定期的にとっている。
 先週ジョギングをしていたらどこからともなくカレーの匂いがしてきて、走りながら連想「カツカレーが食べたい」という思いが浮かんだら止まらない。
 それでもそんなカロリーの高いものを摂取しちゃダメだ、と自分を抑えていたが、ついに昨日我慢できず食べに行ってしまった。しかも昼にランチでチキンカレー、これはやっぱりカツはまずいだろ、カツは、と思っての行動だったが食べても全く満足しない。
 で、結局夜に渋谷でゴーゴーカレーなる店でカツカレーを食することになった。しかし、これがやはり求めていたものと違う。
 やっぱり僕にとってカツカレーはキッチン南海なのだ。
 その理由に付いて思いを巡らせるとやはりそれは自分の記憶と深く結びついているからではないかと思う。それも一人暮らしの頃の少し寂しい思い出と。
 20代の頃世田谷東松原で一人暮らし、もう無くなってしまったが東松原駅前のキッチン南海で食べるカツカレーが独身男の僕の楽しみだった。その店が無くなったことを何年後かに知り、猛烈のその味が懐かしくなった。だがすでに店は無く、他にも何軒かあるキッチン南海へたまに行くようになったのだ。
 ラーメン二郎にしても同様で自分が通っていた大学の門の近くにあったその店には授業をさぼって通った思い出、大学時代の友達と談笑しながら並んだ思い出がある。
 しぶそばにしても、離婚して一人に戻っていた期間、渋谷駅の最寄りに一人で暮らしていたため、会社に行くときによく食べたものだった。
 要するに僕が求めていたのは味ではなくてその頃の記憶なのだと気がついた。
 何か40代の今とは違う何かが足りなくて焦燥感を感じている独身特有の感覚とその頃の記憶。
 それを思い出したくてその場所に行くのだろう。
 ああ、また太ってしまう。
 カツカレーを食べた翌朝体重計に乗るとやはりちょっと重くなっている。朝なのに腹が減らない。やはり消化力も代謝力も落ちている。
 でも僕はこれからもそれを食べたくなる思いを止めることは出来ないのだろうな。
 僕は今40代の半ばだが、ここまでの人生で同世代のつながりを感じたことがあまり無い。
 一つ年上とさえ断絶を感じることがあるくらいだ。
 それは「バブル世代」と言った呼称が僕たちの世代についているからかもしれないが。
 団塊の世代や団塊ジュニアと言った世代は、その数の多さゆえ、その趣味思考がそのまま世の中のブームになり主流となって行く、例えばそれがフォークブームであり、深夜放送ブームであり、ガンダムブームであった。そのことをずっと羨ましく感じていた。
  団塊ジュニア世代のあとは「ゆとり世代」というネガティブな言葉で世代をくくるしかないのも現状だが、最近数は少ないが、何か特殊な世代の共有意識、異様なムーブメントが今の若者たちに起きているのではないか、と思うことが多い。
 何か新しいことが始まっている。
 先日ONE OK ROCKというバンドのライブに出かけてその思いを強くした。
 ONE OK ROCKのメンバーと観客の熱狂が作り出すうねりは感動的ですらあり、人と人が響き合う様は僕の気持ちに確実に何かをひっかき傷を作り、僕はそれを茫然として眺めることになった。
 仕事がらいろいろなアーティストのライブに出かけるが、MCで「お前ら」という呼称を客に向かって使う人はほとんど今いない。
 呼び方は誰に向かっているのかをそのまま表す。通常は「みなさん」である。
 やはりなるべく広い世代わたり客を取り込んでいこうとする意図がそうさせるのだろう。
 ところがONE OK ROCKというこのバンド、自分たちと同じ世代しか見ていない。
 ボーカルのタカはMCの中で言う「僕たちの音楽が夢を目指す人たちのチカラになってほしい」「できないとか不可能とかは40代50代まで言うんじゃねえ!」。
 僕は40代である(笑)。
 あくまでもこれからの夢を叶える、夢に向かって走る世代がターゲットなのである。
 そこには会社で疲れて癒されたいサラリーマンや、生きがいを持てずに日常を繰り返す倦んだ主婦のイメージは無い。
 ONE OK ROCKはかなり狭いターゲットに向かって発信をしているのだが、その分受け手のすごく深いところまでメッセージが届いていて、だからこそのこのライブの熱狂が生まれ、そのグルーブに僕は「世代感」を感じるのだと気づいた。
 放送作家でラジオパーソナリティの小山薫堂さんが「企画を考えるときにマスをターゲットにするより、たった一人を喜ばそうとして考えるほうが結果としていいものができる」と言っていたが、ONE OK ROCKもまさにそれと同じことをしているように感じる。
 狭いターゲットを狙っているようで結果として僕のようなターゲットからはずれた人間をも感動させているのだから。

 かねてよりマーケッティング調査においてどれくらいの人数に受け入れられているのか、ということは数値化しやすいが、どれくらい深く届いているのか、ということは数値化しにくいことに不満を持っている。
 今後はどれくらい「広く」より、どれくらい「深く」が鍵だからである。
 情報が溢れている現代、広告は何人に見てもらえたか以上にどれくらい深く認知されたかがネット時代のテーマだ。

 もしかすると「デジタルネイティブ」とも呼べる彼らONE OK ROCKだからこそ、無意識にそうした行動をしているのかもしれない。
 いづれにせよ、世代で共有される思いが無ければ世界は変わらないし、バラバラでは何も出来ないことは明らかである。
 こうした僕の「世代」が抱えたハードルを易々と乗り越えていく逞しさ、力強さをONE OK ROCK、そしてその向こうに見え隠れする若い世代に見つけてすごく嬉しい気持ちがこみ上げた夜ではあった。