僕は実は小学校のときから電車通学で、身長120cmそこそこのときから大人に揉まれながら約1時間の道のりを通っていた。
満員電車ではいろんなことが起こる。子供のころは身体が小さいのでドアの両サイドにある座席とドアの間のスペースにハマって立っていることが一番楽だという事にすぐ気が付き、そのポジション取りに精を出していた。
その場所にいると駅で人の出入りがあってもその勢いの煽りを受けず、座席シート側に顔を向けていれば身長が低くても顔を押し潰されることもない。
ところがそのポジションが取れないと大変だ。
人と人の間に挟まれ息も出来ず苦しい思いをすることになる。
一番嫌いなのは臭い息のおじさんで、その一方ドキドキしたのは女性に挟まれることだった。
子供心に男とは違う柔らかな女性の身体にほのかな喜びを感じたものだ。
毎朝同じ時間に乗っていると顔なじみの人も出来てくる。小学校低学年時代、よく会うおじさんで必ず自分が読み終わったスポーツ紙を自分が電車を降りるときにくれるの人がいた。
3人くらいで通学している僕たちが前夜の野球の話をしていたからくれるようになったのだと思うが、実は僕らが密かな楽しみにしていたのは宅配のスポーツ紙には無い、中面のエッチな男性向けの記事だった。
そこにある官能小説を学校で声を出して読み上げて大騒ぎすることもあった。
先生に見つかって怒られてからは、学校に着く前にそのスポーツ紙を捨てるようになった。
あのときのおじさんは今、どうしているのだろう。まだどこかで小学生にスポーツ紙をあげているのだろうか?それとももう引退しているのか、もしかすると亡くなっているかも、と思うと何だか切ない気持ちにもなる。
嫌な思いもたくさんした。
大人の革靴のかかとで運動靴を履いている足を踏まれると本当に痛いことも知った。
ときには痣になり足を引きずるくらいダメージを受けたこともある。
大人の腕の肘の高さに顔があるので、意図的に肘を張って満員電車に押し込んでくる人の肘で顔面を横殴りのようにされたこともある。
あまりにひどいときには子供なりに復讐する。
自分に何かしてきた大人のふくらはぎを思いっきり蹴ったり、持っている傘の柄で足を突いたり。
大人は自分たちが急いでいるときはそこにいるのが子供であろうと、いや子供だから邪魔になるのだろう、突き飛ばしていくことも知った。
ドアに押し付けられたまま戸袋に指を挟まれたことも何度もあった。
そういうときは大人がチカラを合わせてドアを押さえ、指を抜いてくれた。
こういう時は子供なりに大人に感謝したものだ。
満員電車利用歴は40年ということになる。
いわゆるベテランである。(笑)
僕は今千代田線利用しているが小田急線と直通運転している車両が猛烈に混むことがある。
そんなとき、一度ホームに押し出されるともう一度乗れなくなることが先日あった。
あれ?と思った。
満員電車歴40年の中であまり無い体験だった。
これまでの満員電車というのは何とかして押し込んでくる人たちに関して「もう乗れないよ」と思いながらもちょっとづつ身体をずらして入れてあげるようなところがあった。
すごく衝撃的だったのは複数の人間の意志で電車から押し出されたことだった。
ひとりの押し出す力じゃないことはすぐわかる。
すごく悪意を感じて何だか落ち込むほどダメージを受けたのだ。
そういえば最近駅員にキレる人を見ることも多くなったような気もする。
僕は電車が好きで子供の頃改札で駅員さんが使っていたパンチ(切符を切る道具)をお願いしてこっそりもらったこともある。
古くなったものをくれたのだろう。でも本当は外部の人にあげてはいけないものであったように記憶している。
そんな駅員さんとのコミュニケーションがあり、満員電車に乗りあう人たちとも通勤の苦労を共有する同志のような感覚を持てたあの頃。
僕の中の駅の風景はほのぼのしていたのだが。
もしかすると時代は変わってしまったのか。たまたまそういう人たちが乗る路線なのか。真相はわからないが、今までに体験したことのない寂しさを味わったのは間違いのないこと。
もしかすると僕自身は厚かましくて息の臭いおじさんになったからなのかも知れない。
時代で人が変わるのかもしれない。
でも僕はそれ以来満員電車に上手く乗れなくなってしまった。