大学時代の友達と主にフェイスブックを通じて改めてつながるようになり、昨年くらいから古い友達のとの再会が相次いでいる。
 そしてその中のある仲間たちの再会からバンドがひとつ始まった。
 そのバンドは今のところ山下達郎さんの曲のコピーバンドである。やはり、自分たちの青春時代の曲をやりたくなるものだ。大学時代のおぼろげな記憶を辿り、もしくは全くの新曲のつもりでそれぞれのメンバーが曲に取り組んだ。
 そんな話を会社でしていたら、年齢が10歳以上離れた後輩が「懐かしいなあ、よく聞いてましたよ。」という。「へ?」聞き直した。「だってリアルタイムじゃないだろう?」「そうなんですけど、僕のまわりでは流行ってましたよ。」「そうなんだ」。
 「FOR YOU」が発売されたのは確か1982年。今から30年前だ。相当昔だ。その僕の後輩は今30代前半。当然のことながら発売された当時は音楽を聴いているはずもない。
 当時の僕は17歳。感受性の高い時代に聴いた音楽の影響は大きい、だからこそ47歳の今になってもコピーバンドをやって楽しめるのだが。
 でも、その僕の後輩にとっても山下達郎は青春の音楽なんだそうだ。不思議だ。こういった現象は先日高校生と話しているときにも感じた。
 「今、聞いてる音楽は何?」という質問に、その子が元気に「マイケルジャクソン!」と答えた。これまた「へ?」である。しかも聞き始めたのは亡くなってからだそうだ。邦楽でもB'zのライブには親子2代で来る人が増えているらしい。
 もしかすると何が旬で何が旬じゃないのか、何が流行っていて何が流行っていないのか、は僕にとっては大きい問題なのだが、メディアが発達した時代に青春期を過ごした人たちにとっては何十年前のコンテンツでも自分が気に入れば、それが「マイ・ブーム」という事になるのかもしれない。
 
 それと同時にももうひとつ大事なことがある。
 それはそのコンテンツの質が高いということだ。
 山下達郎も、マイケルジャクソンも、B'zも質が高いと僕は思う。
 こうしたコンテンツは世代を超えて聞かれ、受け入れられる。
 これが今後も続いて行けばそれは「芸術~ART」になるのだろう。
 それが発売当時はわからかった。
 今、売れている音楽で一体どの曲が30年後も聞かれるのだろうか?
 そう考えながら今の日本の音楽を聞くと「あれ?」と思う。
 これは僕が新曲を聴くのが仕事だからなのだろうか?
 質が低いと感じるのだ。もしかすると、K-POPの方が30年後も残っているかも知れない・・・と思うクオリティを感じる。
 
 今が旬なものを生み出すことは大事だが、そこには後世に残る(残す)という気持ちでそのクオリティを考えることもさらに大事なのではないかと思う。
 僕の好きな話に松任谷由実さんが話していた話がある。
 デビューアルバム「ひこうき雲」のレコーディングのとき、ユーミンがどうしても歌のピッチが合わないところがあったそうだ。何となくスタッフも「このピッチがユーミンの個性だから・・・」と言ってそのままで終わりそうな雰囲気になった。
 その時のディレクターが「名作のピッチはジャスト(正確)なんだ!」と言って歌い直しを命じたそうだ。
 結果、正確なピッチで歌われ「ひこうき雲」はご存じのとおり“名作”になった。
 こうした制作者の矜持はすごく大切なことだと思う。
 
 僕自身も今後30年、もっと先の未来を見据えて仕事をしていきたいものだ、とは思うだけれど・・・。
 今日は日曜日。昼間少し会社に行って夕方から友人と食事をする予定だった。
 すると午後連絡があり「風邪をひいた」とのこと。予定はキャンセル。
 さて、本日は妻も実家に帰っており、完全なひとり。
 本当はそんなときだからこそ少し羽根を伸ばそうと思っていたところもあった。
 さあ、何をしようか?
 いろいろ選択肢はある。他の友人を見つけて食事。しかしこれは当日過ぎて心当たりに数件打診したが当然日曜は予定あり。
 週中であればこういうときはジムに行くことにしているがどうにも気が進まない。
 趣味のマラソンで走りに出るのもあるが、天気が悪く肌寒くこれまた気が進まない。
 今はお酒を控えているので、一人で飲みに出るというのも出来ない。
 こういうときに普段やれないことをやればいいと思う。
 普段やれないことはいっぱいある。
 例えば写真の整理。普段撮りだめたデジカメのデータの整理。それから同じく映像データの整理だって、これまで撮りだめた旅行中のものや、趣味のバンドの演奏映像の編集(といってもわかりやすく並べる程度)だって時間が無いからと言い訳してやって来ていない。
 最近、自分の英語力の無さを痛感して買った英単語集も手つかずだからそれをやるか。
 いろいろ考えるのだが決められない。
 要するになんか理由をつけて外出したいのだ。外食したいのだ。
 普段忙しいとかなんとか言っちゃって、いろいろ後回しにしているのに、せっかく時間があるのにそれをやらないのだ。
 で、結局どうしたか。
 最寄りの駅前で小腹が空いたんでサブウェイでサンドウィッチ食べて、近所のスーパーに洗剤とかいくつか買いに行き、家でダラダラ。ノンアルコールビールを飲みながらお菓子をつまみ食い。
 そうしたらお腹が減らずに晩ご飯をなんとなく食べ損ない。昨晩の残りですます。
 あれ?気がついたらもう夜じゃん。ヤバい。明日の出社は少し早いから寝なくっちゃ・・・。
 って、え?今日は普段以上に何にもやってなく無いか?
 どうやって時間を過ごしていたんだろう?ネットサーフィンしているうちに時間が過ぎたのか、はたまた時間の流れが違う異次元空間に僕が行っていたのか、と思うほど無駄に時間を過ごしてしまった。
 はあ、ため息付いても時間は戻ってこない。
 会社に残って仕事した方がまだ良かったかも知れない。
 何で時間の使い方が下手なんだろうと反省しきりの日曜の夜である。
 ふと「ウォークマン」を思い出した。
 僕が確か中学2年のときに初代が発売された携帯カセットプレイヤー。
 メタリックブルーのボディに銀色のロゴ。ジャックは二つあって、ヘッドフォンが二つ繋げるようになっていた。そして、二人で使っているときに会話するためのオレンジ色のトークボタン。押すと音楽に割り込んで外の音をマイクが拾うというもの。
 ヘッドフォンはオープン型でしている人の近くにいるとシャカシャカと音が漏れてくる。
 電車の中とかでしているとうるさいって問題になったっけ。
 カセットテープも種類がいっぱいあった。音楽用は高いけれど音質がいいような気がして小遣いはたいて買ったものだ。メタルテープなんていうのもあった。それ専用のプレーヤーでないと聞けない奴。でも初代ウォークマンが出た頃はまだ無かった気がする。
 僕は音楽が好きでお小遣いの使い道はほとんどがレコードだった。ウォークマンが発売された頃はちょうどジャズ・フュージョンブームにはまっていた頃だと思うが、新しいレコードを買ってくると最初に針を落とすときに同時にカセットに録音、レコードは消耗するのでなるべくかけずにカセットで何度も聞き直すのが習慣だった。
 音楽が好きな少年の日常生活にとってそれ以降、ウォークマンは無くてはならないものになった。
 それからというもの新しいウォークマンが発売されれば欲しくなり、メディアはカセットからCDへそしてMDへと変わって行った。
 そしていつの間にか時代はデータ時代。僕らのウォークマンはトップランナーの座をi-Podに譲った。昔は一回一回大切に聞いていたレコードに比べCDをぞんざいに扱うようになり、ましてやデータになると形の無いモノになると、「所有」の実感もない。
 音楽ファンとしてはさびしい限りではある。
 自分にとってはレコードに針を落とす瞬間や、テープで繰り返し音楽を聞く時間は宝物のような時間だったなあと思う。 
 今でもCDを買うとすぐにデジタル音楽プレーヤーに取り込むのもその頃の癖なのかもしれない。
 僕はあまりデジタルデータとしての音楽を購入するのは好きでなく、どうしてもCDを買ってしまう。
 先日、中高一貫校でお話をさせていただく機会があった。
 そのときにわかったのは若くなればなるほどスマートフォン保持率があがる。考えてみれば当たり前だが、でもその結果なのかスマートフォンを使って音声コンテンツであるデジタルラジオや、音楽に慣れ親しんでいる中一中二が増えている印象を持った。
 これから買ってもらうスマートフォンが彼らにとって新しい音楽との出会いを作る大切なマシーンになりますように。そのことを願ってやまない。
 音楽は絶対無くならないと思うがそれを手元に届ける方法は時代によって変わる。
 僕は今送り手サイドの業界にいる。
 だからこそ、音楽との出会いがその人の宝物になるような文化を大切にして行こうと思う。