古よりサーカスというものが存在するが、そこに人は何を見ているのだろう?
 空中ブランコや信じられないほど柔らかい肉体、トリックがあるのではないかと思うほどのバランス感覚での玉乗り、人間業とは思えないようなアクションの数々。
 ある夜知人に誘われて「ルノア ダークシルク(LE NOIR THE DARK SIDE OF CIRQUE)」というショーを観に出かけた。
 会場は品川プリンスホテルにあるクラブeX。決して大きい会場ではなく、ステージも中央円形ステージが組まれ、その直径はわずか4mだそうだ。
 その場所で展開される曲芸の数々。シルク・ド・ソレイユも随分観たけれど、今回のように近い距離で観ることが出来る迫力はかなりのものがあった。
 円筒形のパイプを何段にも組み合わせてその上に乗る曲芸のときは観客が「あっ危ない!」と思わず声をあげてしまうくらいの臨場感。
 僕自身もかなり楽しむことが出来た。

 なぜ、人はサーカスを観たいのだろう。
 幻冬舎の見城社長がかねてより「人はこの世にあらざるものが見たい」と言っている。
 確かに幻冬舎のヒット本は「この世にあらざるものが見たい」という人間の欲望に答えたのものが多い。郷ひろみの「ダディ」、石原慎太郎の「弟よ」など世の中の人が、興味があるけれど書かせるのは無理だろうな、と思っているような本を著者にグッと踏み込んで書かせるパワーがあることは誰も認めるところだろう。
 「この世にあらざるもの」
 今回の「ルノア ダークシルク」もその「この世にあらざるもの」であることは間違いない。
 どれほど身体を鍛えればそんなにギリシャ彫刻のような肉体になれるのだろう。どれほどトレーニングを積めばそんなバランス感覚が身に着くのか。しなやかでかつ強いショーを観せるに至るまでの地味な努力やこの職業を選んだ人生の決意までを感じさせるパフォーマンスに物語を感じ感動する。
 
 やっぱり、パフォーマンスの向こうに人生を見ているんだろうな。
 観ている距離も関係しているかもしれない。後ろを振り返ると、その瞬間注目を浴びているわけではないパフォーマーが気を抜かずに踊っている様にまたプロとしてのプライドを感じる。
 こうしたパフォーマンス以外にも、それが音楽であっても、映画であっても、舞台であっても、もちろん本であっても、その向こうに人生が感じられる「作品」はすべてサーカスであるとも言えるかもしれない。
 人に見せる・・・魅せる・・・人は誰でもパフォーマー。
 せっかくなら自分も人生を感じさせるパフォーマーでありたいものだ。
 


  
 
 人間には物語が必要らしい。
 昔から寓話というかたちで教育に利用されたり、宗教における説教も聖者の物語として語られる。
 単に授業のように「○○してはいけません」みたいに言われるよりは、「むかしむかし・・・」とある人のある話として語られた方が飽きずに聞いてもらえることは確か。
 メッセージはメッセージそのものを語るよりは物語の中に埋め込んで伝える方がより心の奥に届くであろうことは実感として理解できる。
 映画だってドラマだってその制作者のメッセージが物語のウラに込められていて、ときにそれは複雑なメッセージで受け取るほう次第で様々な解釈が生じたりもする。
 音楽にしても歌詞という物語にメッセージが込められ、またはアルバムというスタイルで物語が編まれる。
 こうして考えると「人のためになることをやりなさい」みたいなある意味当たり前だけれどなかなか出来ないことをメッセージするときに物語はとても有効だ。
 というのは先日「最強のふたり」という映画を観た。
 首から上以外は自己で全身麻痺した大富豪とそれを介護する刑務所帰りの黒人の若者の交流を描いた映画。仕事関係の複数の人から評判を聞いたため出かけることにしたのだ。
 もちろん、想像出来る通り、よくも悪くも先入観が無く、傍若無人の振る舞いをしつつも弱者の立場をわかり、気遣いができる黒人青年ドリスと、雇った介護人が耐えられずにすぐ辞めて行くほどわがままな振る舞いをする大富豪フィリップがだんだん心の交流をしていく物語。
 本筋のストーリーも素晴らしいが僕が響いたのはフィリップの誕生日を祝うシーン。
 大富豪だけに自宅にクラシックの室内楽団を招き、その演奏を聞くシーン。黒人青年ドリスにクラシックを教えようと次々に曲を聞かせるフィリップ、それに対し「この曲は知っている。職業安定所の電話待ちBGMだ」とビバルディの四季を聞いて天真爛漫な反応をするドリス。
 そして一通り聞いてから「今度は僕の番だ」と自分のi-podでE,W&Fを聞かせて踊りだすドリス。そしてそれにつられ、それまでしかめっ面してクラシックを聞いていたのに楽しそうに踊りだす招待客や使用人、室内楽団のメンバーたち。
 音楽が全てを超える瞬間を見事に表現したシーンだった。
 クラシックであろうと、E,W,&Fでも、何かを伝えるツールであり、伝えたいメッセージそのものになる。フィリップはクラシックでドリスはE,W,&Fで何かを伝えようとし、それを聞いて人が楽しむことでそのメッセージは心に届く。
 上手く言えていないかも知れないが、「だから、音楽っていいんだよな」とあらためて思わされた映画だった。
 そしてこうした言い古されたことを新鮮な気持ちで実感できるのも物語というかたちで受け取るからこそ。
 この映画は実話を元にしたものだそうだが、実話であろうと創作であろうと、僕たちは物語を必要としている。泣きたいし笑いたいし、問題を共有して怒りたい。
 もっともっと物語を見聞きしたいし自分でも新しい物語を紡いで行って誰かに何かを伝えて行きたい、そんな気持ちを新たにした休日だった。
 
 
 「破壊的イノベーション」。
 すごい言葉だけれど、これは『イノベーションのDNA』(クレイトン・クリステンセン/ジェフリー・ダイアー/ハル・グレガーセン著)という本の中に出て来た言葉。
 僕はものづくりの現場にいるので“イノベーション”は常に意識している。
 ラジオ番組作りはある意味イノベーションを連続的に続けていく行為だからだ。
 イノベーションのジレンマはイノベーションに成功した企業が、そのイノベーションの結果が大きいがために新しいイノベーションをすることが出来ず、別の場所で起こった新たなイノベーションに凌駕されることだが、ラジオ番組も例外ではない。
 オールナイトニッポンというブランドが大きいがゆえに新たなイノベーションのときに障害となることが起きる。
 オールナイトニッポンという番組のどこからラジオにとってイノベーションだったかというと、まずは「フリートークの番組」ということに尽きる。
 始まった時は深夜の放送休止時間に局アナを使って最小限の人数で予算をかけずに放送する番組であり、提供が付いていないがゆえに、スポンサー競合を気にせず自由に喋ることができ、担当した局アナがみな若く、フレッシュなトークが受けたのだという。
 「フリートーク」で喋るので基本的には台本は無い。キューシートと呼ばれる進行表が一枚あるだけだ。それは今でも引き継がれているスタイルだ。
 そして、次に劇的なイノベーションを遂げるのはビートたけしさん、タモリさんをはじめとするお笑い芸人や中島みゆきさんのようなアーティストなどタレントがパーソナリティを務めるようになったときだ。
 僕が少年時代「ザ・ベストテン」という歌番組があったが、チャートインしても番組に絶対出演しない歌手がいた。ところがテレビで歌う姿を見ることができない歌手が自由に喋っているのがオールナイトニッポンだったのである。
 それと同時に「コーナー」という言葉「はがきネタ」という言葉もビートたけしさん達が作り出したものだ。リスナーが読んでもらいたくてはがきを投稿する、そんなスタイルの熱狂が始まったのである。その結果はがきを頻繁に採用される“ハガキ職人”が生まれ、さらにその中からプロの放送作家になる人たちが現れた。秋元康さんはそのひとり。
 
 そんなスタイルの絶頂期にこの仕事を始めた僕はそれから20数余年。
 たぶんそれ以来劇的なイノベーションは深夜ラジオに起こっていない気がするのだが、実は最近新しいイノベーションのヒントを少し見つけた気がしたことがある。
 一度めのイノベーションは団塊世代をバックにトランジスタラジオの普及があった。2度目のイノベーションには団塊ジュニアというリスナーのボリュームゾーンをバックにCDラジカセブームというデバイスの普及があった。

 最近感じるイノベーションが起きる予感の土壌は「スマートフォン」、そして「ソーシャルメディア」だ。
 高校生のほぼ100%が携帯電話を持っているが、それはほとんどがガラケーで、スマートフォンを持っている高校生はほとんどいない。
 ところが中学校1年、2年におけるスマートフォン率はすごく高い。それは当たり前だが最近親に買ってもらえる携帯電話がスマートフォンだからだ。
 すでにガラケーを持っている高校生はなかなかスマートフォンに買い替えてもらえない。
 また、その一方で大学生まで含めて自分のPCを持っている子供はそれほど多くない。
 ということは中一、中二にとってはスマートフォンはかつての子供のCDラジカセのように、自分が自由にできる夢のデバイスになっている。
 結果として最近の深夜ラジオのリアクションにおいて中学生の果たす役割が年々増している実感もある。といことはあと5年くらい経ってスマートフォンが中高生に行きわたったときに何かが起こるのではないだろう。
 それが今の僕の実感である。

 さあ、一体何が起こるのか?
 アイディアを思いついてはいるのだが、それは仕事上の大切な機密なので(笑)、ここでは明かさないことにします。

 でも、冒頭に挙げた「破壊的イノベーション」が起こる日は近いと僕は考えている。