石原慎太郎氏の太陽の党が日本維新の会に合流した。
 これが起こるならもう、あとは何があっても不思議じゃなくなってきた。
 場合によっては石原氏が「大嫌い」と公言して憚らない小沢一郎氏との連携だって起こるんじゃないかという雰囲気になってきた。
 選挙は闘いであることは言うまでもないが、その闘い方はは様々だ。でも、今回の太陽の塔の合流は、僕には失礼ながらニホンザル「マウンティング」のように見えた。
 ニホンザルの群れの中にある社会構造、社会的行動として知られている「マウンティング」。上位のサルに向けて下位のサルが尻を向け、そのサルの上に上位のサルが乗っかる行動。
 争いを回避するためにの序列決定行動と言われている。
 総選挙という闘いを前にして、日本政界における橋本氏と石原氏の序列が決まったという事だろう。当然のことながら上位者は橋下氏だ。
 橋下氏は石原氏個人を認めながらも、石原新党であった太陽の党の主要メンバーの平沼赳夫氏以下は「要らない」と発言していた。それなのに太陽の党は日本維新の会に合流した。これは合流というよりは合併吸収されたというほうが正確だろう。
 橋下氏に愛想を振りまく石原氏に違和感を持った向きもあるようだが、そういうこと。
 太陽の党の石原氏以外のメンバーの心中はいかがのものか。
 維新の会に近いキャスターの辛坊治郎氏でさえ、「選挙協力はするが合流は無い」とご自身の番組で発言していたくらいなので、今回の合流がどれほど多くの障害を克服したものかは想像して余りある。

 勝谷誠彦さんは石原氏の気質を「オタク」、橋下氏の気質を「不良」とし、実は似ているようでこの二人は根本的に違うので、一緒にやっていくことは難しいんじゃないかと分析していたが、それはある意味当たっているのではないかと僕は思う。
 今回は不良がオタクをチカラずくで従わせたということだろう。
 そしてこの群れのボスザルは橋下氏だ。

 こうして日本の政治界の構造はどんどん変化している。
 民主党を離党する政治家たちにしても同じだ。誰かに「マウンティング」されることを許容し誰か上位者の下位のポジションに入ることで身の保証を求める。
 こうしたことを繰り返し、新しい社会構造ができあがる。
 自民党と民主党いう群れとそのボス、安倍晋三氏と野田佳彦氏。どんな闘いを見せてくれるのか。
 ニホンザルの群れの中央のボスザルのまわりはメスザルと赤ん坊、子ザルがいるのだそうだ。
 そして群れにおいてリーダー的なポジションになり、群れの中央に入っていくためには、ボスザルの周りに居るメスザルの承認が必要なのだという。
 人間社会とニホンザルの社会が同じだとは必ずしも思わないが、人間社会においてもトップになるカギは女性と子供だということは否めない。
 さあ、女性に認めてもらえるボスは誰なのか?来月の選挙を楽しみにしたい。
 
 
 森光子さんと三宅久之さんが逝った。
 特に知り合いでは無いが、森光子さんは直接仕事をさせていただいたことは無いが、スタジオで何度もお見かけしたし、ニッポン放送のラジオ・チャリティ・ミュージックソンには何度もゲストとしてお越し頂いたし、毎年その番組にいただく差し入れの品を美味しくいただいた思い出もある。三宅さんは数ヶ月前、大阪出張の折に見学させていただいた読売テレビの番組にご出演されていたことが印象深い。
 人は逝く。

 桑田佳祐さんのライブをさいたまスーパーアリーナで観た。
 桑田さんも病気から復活されてのライブツアー。
 久しぶりに観た桑田さんのパフォーマンスは僕にとっては「ロックの遺言」のように感じられた。
 矢沢永吉さんをはじめ憧れのロックミュージシャンたちで還暦を過ぎた人も多い。
 小田和正さんや海外ではローリングストーンズは言うまでもなく、ロッドスチュワートも今や67歳だそうだ。
 「30歳以上を信じるな!」と歌ったヒッピームーブメント世代も今や60歳を超えている。
 そうしたロックの先駆者たちが次世代に向けて「遺言」を残そうとしているように思うことが多いのだが、桑田さんにもそれを今回のライブで感じたのだ。

 かつては若者の音楽であり、若さの象徴だったはずのロック。
 そのロックが生まれて約60年、期せずしてロックは「若さ」とは年齢ではなく、精神のことであることを証明するに至った。
 そしていロックは今や、精神的「若さ」の象徴であり、証明でもある。

 いまだにそんな「ロック精神」を持った桑田佳祐さんの曲に「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)という曲がある。
 ザ・ビートルズが昭和41年に初来日した時、テレビで放送されたザ・ビートルズのメンバーの移動シーン。首都高速を走る白黒の映像のバックに流れた曲がザ・ビートルズの「ミスター・ムーンライト」だった。
 ザ・ビートルズをリスペクトする桑田さんがそのシーンをなぞらえて、
 『知らずに済めば良かった/聴かずにおけば良かった/「人生(ショー)はまだ始まったばかりだ!!」って胸が張り裂けた』
 と歌ったのがこの曲だ。
 人間が「はじめにことばありき」言葉を覚えてしまったために言葉なしで生きられなくなったように、ビートルズに音楽を教えられて、それなしでは生きられなくなった桑田佳祐さんの心境がよくわかる曲だ。
 ザ・ビートルズから何か大切なものをもらった桑田さんが今度は次の世代にそれを残そうと思い始めた・・・そんな印象をライブから受けた。
 一度死と向き合った人だからこそ感じる今という時間、一瞬一瞬の大切さ。
 その時間をどう生きたらいいのかという示唆。

 もちろん、桑田佳祐さんにはますます活躍してもらなきゃと思う。
 でも、桑田佳祐はすでに「生きる伝説」であり、その一挙手一投足が歴史の新しいページを開いている。
 だから、僕らはもっと目を見開いて、耳をそばだてて桑田さんの送り出すものを溢さず受け止めていかなくては、と思うのだ。
 ずっと「ラジオ」を今っぽく新しくする方法を考えているが、「ラジオを聞く」という言葉の代わりに「ブロードキャスト・リスニング」という言葉はどうかなとか、昔流行ったBCLという言葉はどうかなとか、グルグル思いをめぐらせていた。
 でもしばらく経って冷静に見てみると、今の中学生がスマホで音声コンテンツを聞くときに「ブロードキャスティング」とか言うかな、もしかすると省略したりしちゃいそうだなと思い、「ブロキャス」という言葉も思いついた。
 ツイキャスとかユーストとやっぱりネット用語も略されたし、ネット上も含め音声コンテンツを(もしかすると映像コンテンツも)不特定多数の人にむかって発信することを「ブロキャス」とか言うかも。
 それとも近年パソコンのことをマック(Mac)に対してピーシー(PC)と呼ぶようになっていることを考えるとブロードキャストの頭文字をとって「ビーシー(BC)」と呼ぶのかな、とか。
 今、ネットラジオのタイマー録音を出来るシステムがなく、アプリもあるにはあるが、まだ決定版と言えるものは無い状況だ。radikoのタイマー録音を簡単にスマホ内で出来るアプリの決定版ができて普及すればかなりラジオの聴取スタイルも変わる予感もしている。
 
 あの海外短波放送を聞くという70年代後半にあったあのBCLブームと短波ラジオというデバイスをこぞって各メーカーが発売した現象はなぜ起こったのだろうか?
 僕自身がラジオを聞くようになったのはこのブームがきっかけだった。
 ラジオを聞くという行為はやはりちょっと能動的で、テレビを見るとは違うところがある。
 いまだとパソコンに向かう時間は似たところがあるし、テレビよりラジオのほうが精神的にはパソコンにハマる感じと馴染みがいいと感じている。
 音声コンテンツはそれ自体を目的にして楽しむことは少ないだろう。必ず何かをしながら、それも一人だけの時間で喋っていない時間に聞くことが多い。
 そう考えるとスマートフォンは総合的な個人デバイスとしてラジオにとっても意味のあるものになってきている。

 ああ、中学生スマホで聞くオールナイトニッポンをなんて表現しているのか知りたい。
 近いうちモニター会やらなきゃ。