ある研修会に出席して行動パフォーマンスの専門家の講演を聞いた。
 人間の印象は2秒で決まるらしい。
 「私は○○です」と自己紹介で決まるという事だ。そこで出来上がった印象はそのあと友達としてお付き合いでもしない限り、スピーチをそのあと1時間しようとも変わらないらしい。
 ということはスピーチにおいては登壇するまでの歩き方も重要なファクターになり、男性なら60cm、女性なら55cmくらいの歩幅でサッサっと歩くことでエネルギッシュな印象を作ることがコツだという。
 また、人間は表情筋が33あり、それを全て使っている人はあまりいないので務めてトレーニングして表情を豊かにすると同時に、15m以上離れると表情は見えなくなるので、印象を決めるのは姿勢と動きだとのこと。
 そんな話を聞いてから会社に戻り、ある女性アナウンサーにそのことを話すと、表情のトレーニングをしたことがあると話してくれた。
 彼女は大学時代チア・ガールをやっていて、試合中はみんな苦しいのだから明るい表情、笑顔を作るために表情筋を意識して個別に動かすトレーニングをしていたという。
 なるほど、だから彼女の表情は豊かなのか。
 
 僕は実は子供の時に笑う練習をしたことがある。
 きっかけは小学校のクラスで「イジメの気配」を感じたからだったと記憶している。
 子供にとってはクラスで「浮く」ことは最も避けなければいけないこと。
 それをきっかけに簡単に仲間外れとかにされるからだ。今考えると子供なりに涙ぐましいが、まわりのクラスメイトと仲良くやるためには笑顔を振りまくことが必要と考えて、鏡の前で練習したのだ。いろんな表情を作ってみたり、眼だけを動かしてみたり。
 でも結局は面倒くさくなって、練習は数日で終わった。
 なんかその時点でまわりに笑顔を振りまくことが虚しくなった、とは行かないまでも、なんか嫌になったことを憶えている。
 
 今は総選挙に向けて様々な演説が行われている。
 本当のことを言っているのか、その場しのぎの主張をしているのか、それは簡単には分からないが、いろんな政治家の演説に接する度に僕が注目するのはその目だ。
 どんなに表情筋を鍛えても目だけは嘘をつけないような気がしているし、本人が嘘を思っていない場合でも、その信念、意思の強さは目の光に現れているような気がしている。
 今のところその目を見つめて、こいつは信用できるな、という政治家がいる、そして信用できないな、という政治家もいる。
 友達ではないのでなかなかその目をみつめることは出来ないのだが、なんとかその目の光を見極めてパフォーマンスのテクニックに騙されないようにしたいものだ。
 
 
 
 「衣食足りて礼節を知る」ということばがある。
 何はともあれ食う事が先ということだが、その一方では「人はパンのみにて生くる者に非ず」という言葉もある。衣食が足りているだけでは人生は幸せにはならない、という意味だ。
 “Meat and cloth makes the man”とも言う。衣食足りていることで立派な人間が育つ。
 ちょっとづつニュアンスがそれぞれ違うが、共通しているのは食うに困っている状態では人間らしさを追求することは難しいということ、「衣食が足りている」ことは人間の必要条件だということ。
 そして衣食だけでは足りない部分を埋めていくもののひとつがエンターテインメントであると思っている。
 しかしながら不況がエンターテインメントにかなり悪影響を与えている。

 日本の巨大メディアといえばテレビだ。ケーブル化が進んだアメリカなどに比べ地上波局がまだまだ強い日本ではアメリカほど多チャンネル化が進んでいない。
 そのテレビの番組が予算削減に苦しんでいる。かつてのテレビは免許事業であるメリットを最大限に生かし、スポンサーマネーを独占し、それを背景に質の高いエンターテインメントをどんどん世の中に送り出していた。
 そこには制作者たちのプライドと努力と信念があり、だからこそ昭和40年代、ドリフ、アニメ、そしてプロ野球、僕たちはテレビに夢中になった。
 しかし、今は長期の景気停滞を背景に広告市場も縮小、稼ぐことに直接つながる番組が増えてきている。つまり、エンターテインメント性より収益性が重視されるようになっているのだ。
 ラジオも同様だ。レスポンス系と呼ばれる通信販売番組から中小企業の社長が直接番組出演して自社製品をアピールする番組など、収益性を重視して、ときにはエンターテインメント性を無視したような番組も増えている。
 当然のことだが、番組はそれを観ている、聞いている人たちのものであるべきだ。だからこそ人気番組が広告媒体としての意味を持つ。
 ところが最近は収益性を追求するあまり、番組がスポンサーに向けたものになる傾向がある。
 結果としてその番組は面白く無くなるので影響力も無くなる。これが負のスパイラルに入って行くのだ。
 
 土曜日にTAOというドラム・アート・パフォーマンスを観た。それは素晴らしく、和太鼓中心のその演目はまさしく日本的で海外で通用するクオリティだった。
 こういうパフォーマンスを世の中に出して行きたいと思うのだが、今の収益性を第一に考える姿勢では、今確実に収益をあげるとは限らないTAOに投資していくことはリスキーだろう。
 昔は『いつか売れればいいから・・・』という姿勢に救われたアーティストたちがたくさんいた。
 でも、今はそんなことより目先の金・・・ということになってしまっている。
 
 エンターテインメントはやはりパンには勝てないのか。
 どこかで収益性への執着を捨てて、クオリティの追求にかけて突破口を開きたい、という気持ちはエンターテインメントに関わる人間なら誰でも持っているだろう。
 しかし、それはそんなに簡単なことではない。
 だけど質より収益を優先することをこれ以上続けていては日本のエンターテインメントの国際競争力が落ちてしまうとも思う。
 この葛藤を解決する糸口をなんとか来年は見つけたいと今、思っているのだ。 




 

 
 
 
 来週日曜日は総選挙だが、自民党が勝つことが予想され第三極が過半数を獲る可能性は今のところかなりが低い。
 その第三極の台風の目であった日本維新の会は石原慎太郎氏の太陽の党と合流後、今ひとつ伸びを見せていない。
 橋下徹氏はこれまでもまわりと軋轢を引き起こして抵抗勢力と闘ってきたようなところがあるが、そのほとんどは負けないケンカだった。
 やはりケンカの必勝法とは「負けるケンカをしないこと」。勝ち目のないケンカからはサッサと撤退出来るのが本当の策士だろう。
 こうしたケンカの強さが橋下徹氏の魅力でもある。
 でも今回の総選挙に関しては、勝ち目のないことが分かっているのになぜ国政への進出をするのか疑問だった。特にここのところの動きを見ているとかなりブレている印象さえ持つ。
 これについてキャスターの辛坊治郎氏が話していたことで合点がいった。
 「橋下徹は次の次の衆院選を狙っている」
 確かにそうかもしれない。これで今回総選挙のあと次期政権を担当するであろう自民党が果たしてうまくこの荒波を乗り越えられるかどうか。
 もちろん、その政権が上手く事を運べればいいだろうが、もしも民主党政権のように再び国民に失望されるようなことになった場合、そのときこそチャンスが巡ってくると言えないだろうか。
 そのためには今回国政に出ていくことで経験を積み重ねていく事は必要だろう。
 そもそも橋下氏自身もまだ大阪市長としての任期があり、今回の衆院選には出ていない。
 しかし、その一方で大阪都構想を現在の任期中に実現するとも言っている。
 その残りの任期はあと3年。ということは橋下氏自身が国政に打って出るタイミングは明らかに次の衆院選、もしくは次の参院選であると考えるほうが自然だ。そして、国政に出るタイミングこそが橋下総理誕生へフルスロットルで走るタイミングだろう。
 だから、今回の総選挙はこれでいい、来るべき決戦の日に向かうプロセスのひとつなのだ、そう考えるとよく理解できる。

 これはビジネスの様々な場面にも言えることだ。
 勝負をするチャンスというのはそう年がら年中あるわけではない。
 だから、その勝負のタイミングで勝てるようにじっくり戦略を練り、準備を重ねていく事は重要だ。しかし、その時間はとても長く感じ、耐える時間でもあろう。ということはその時間を耐えて生き抜ける信念こそが実現へのカギ。
 そう考えると橋下氏はじめとする日本維新の会にはこれから5年、10年をぐっと堪えるだけの信念があるのかも知れない。