年末になると1年を振り返るが、来年2013年僕は年男。前に年男だったのは当たり前だが12年前。ついこの前のようだ。年長者から聞いていた通り時間の進むスピードが年々早くなっている感じが確かにする。
 昔ある中年の女性アーティストが「中高生の気持ちになろうと思えばなれる。」と言って学校が舞台の歌詞を書いていたが、当時20代の僕からその歌詞を読むとなんか古臭いように思えて、本人は中高生に戻っているつもりだろうが、全然今の中高生の気持ちはわかってないなあ、と思ったことがあった。
 また別の男性アーティストのアルバムを当時ルーズソックスを履いているような女子高生を集めて聞かせて、好き勝手言わせる企画を実施したことがある。
 そのときは僕が「古臭い」と思った楽曲を女子高生が「いい」と言い、僕がこの歌詞沁みるな、と思った歌詞を女子高生が「ダサい」と言ったことに軽くショックを受けた経験もある。

 そう、自分では若いつもりでも、だんだん感性は古くなっていく(正確には古くなるのではなく、世代によって当然感じ方が違うというだけだが)し、身体も言う事を聞かなくなっていく。 ボクも若いつもりであっても老眼が入って近い文字は読めないし、遠くのものは良く見えないし、髪の毛を染めていたって下から生えてくる髪の毛は白いし、ちょっと休むとジムでウェイトも上がらないし、と時間と共に変化がやってくることは避けられない。
 だから「若さとは肉体のことでは無く、精神の有り方を言うのだ」といきがってみても事実は事実、10年前とは確実に違うことになり、確実に死に近づいていると感じる。
 
 そんな中で「絶望の国の幸福の若者たち」(古市憲寿著)という本を読んでいる。まだ読了していないが、この本によると実は若者の生活満足度や幸福度はここ40年の中で一番高いことが様々な調査からわかっているらしい。これはちょっと驚いた。内閣府の「国民生活に関する世論調査」によると2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に満足していると答えているそうだ。この満足度は他の世代より高く、30代は65.2%、40代は58.3%、50代では55.3%に下がっていく。
 これを知って腑に落ちたことがある。そうか幸せだから選挙に行かないのか、ということだ。
 今が幸せだから国家がどうなろうと政治がどうなろうとあまり気にしないのではないか。
 確かにバブルを経験した今この時点では「金がない」と感じる40代以上の年代と較べ初めから金が無いのが当たり前の人たちにとってはユニクロで服を買い、ガストでごはんを食べていればそれで幸せ。クルマは無くても地元の友達の部屋で家飲み・・・。
 確かに幸せそうだぜ。若者よ。

 こんなことを考えているときに自分が「若者」ではすでに無い事に気付く。
 「若い」つもりだが明らかに「若者」ではない。それが僕自身なのである。
 若さにこだわり、若い感性でいることを心がけているても確実に若者とは異なる感性をしている。
 そんな風に思う僕は心境が最近変化している。
 いっそのこと「老人キャラ」になるのはどうかと考えているのだ。藤村俊二さんが今でこそ78歳だが、僕の記憶ではかなり早い段階から「おじいさんキャラ」に移行して成功した印象がある。恐らく60歳前後でおじいさんキャラを確立したのではないかと思う。
 60歳と言えば今は三宅裕司さんも矢沢永吉さんも60過ぎだ。
 「若ぶっている」と言われるよりは「老人キャラ」の方が「練れている」なんて言われるように思い、ちょっとキャラの変化に挑戦してみようかと思う今日この頃である。

 マリア・シュナイダー・オーケストラが来日したので聴きに出かけた。それも2回。
 この話題は興味が無い人には全く何のことやらだが、現代ジャズビッグバンドとして注目を集め、今回の初来日はかなりの話題となった。
 僕自身は学生時代からジャズが好きで自分でもサックスを演奏し、大学時代はビッグバンドのメンバーとしてほとんどの時間を音楽に費やした人間なので、今回の来日を大変に楽しみにしていた。
 僕は97年にニューヨークに住んでいたことがあるが、そのときに大学の先輩でニューヨーク在住のジャズカメラマンの常盤武彦さん(tokiwaphoto.hippy.jp/) に連れられて今な無きvisionesでマリア・シュナイダーのビッグバンドを初めて聞いた。
 音楽よりも「きれいな人だなあ」と思ったことが記憶に残っているのと、演奏はリハーサルバンドっぽくて少しラフに聞こえた。というのも曲がすごくチャレンジングで難しそうだったからかも知れない。
 「これって日本の学生が好きそうだな」という印象も受けた。まだそのころは結成から日が浅くお客も決して多くなく、インターネット環境もそこまで無い中、日本ではあまり知られてはいなかった。
 その後僕の印象通り、日本の学生たちが彼女の曲を演奏するようになり、ビッグバンドに関わる日本の学生たちにとっては知られるバンドとなっていく。

 今回の来日は実際に各世代ごに同窓会の様相を呈し、知り合いだらけ。あちらこちらで「お久しぶり」なんて声が聞こえる。
 さて、肝心の演奏の方だが、いやあ、よかったよかった。涙が出そうなくらいよかった。
 最初の日、僕はサックスセクションの前あたりで聞いたがアンサンブルの精緻さが、うまく言えないが学生バンドのようだった。学生バンドっていうのは個々の技量はともかく徹底的に合奏を演奏して独特の一体感を出すことがあるが、そんな感じの一体感、アンサンブルのそろい方をしていたし、その上もちろん楽器も上手いわけだからグルーブもすごい。
 とかく個々の能力が高いがゆえにあまり「魂」が入っていない大編成バンドの演奏が多い中、テクニックはもちろん魂を感じる演奏だった。
 その謎はもう一日聴きに行ったときに解けた。その日はバンドをリズム隊越しにサイドから見る位置で聞いたのだが、この場所はマリアの表情が見える。1日目は正面であるがゆえに指揮をするマリアは背を向けているので顔が見えなかった。
 演奏中のマリアの顔の楽しそうなことよ!音楽の歓びに溢れているその表情を見てモチベーションが上がらないプレイヤーはいないだろう。一生懸命演奏をしてしまうに違いない。
 やはりこのバンドはメンバーがたとえ他のバンドと掛け持ちで活躍していたとしても、間違いなく「マリア・シュナイダー・オーケストラ」なのだ。

 音楽を支えるのは人間力。そのチカラの前にはどんなテクニックも意味がない事を実感したよるだった。
 
 将棋の米長邦雄さんが亡くなった。
 知己があったラジオパーソナリティ高嶋秀武さんが今朝語った米長さんの思い出の中で印象に残ったエピソードがあった。
 それは米長さんが高嶋さんに「人生で一番大事なことを知っているか?それは女性にモテることだよ」と語った話だ。
 女性にモテることが一番大事?と思うが、ここで米長さんのいう女性とは「勝利の女神」のことを指す。
 「人生で一番大切なことは勝利の女神にモテること」。勝負の世界で生きる棋士らしい言葉だ。
 そして米長さんはその勝利の女神にモテる方法を見つけたのだという。
 そしてその方法とは「語尾に“み”のつく言葉を無くすこと」。うらみ、そねみ、ねたみ・・・そういう言葉と無縁の心境になったときに勝利の女神にモテるのだという。

 米長邦雄と言えば女性との噂が絶えなかったことでも有名だけれど、そういう人が辿りついた心境だと思うと余計に深く感じる。
 僕は勝負が苦手で、昔からトランプとかゲームとか勝ち負けに関わる遊びを避けてきた。
 ビンゴのような運を競うようなものも苦手で、パーティーなどでビンゴカードが配られても参加しなかったりしていた。
 「会社社長がカジノで散財」のような話を聞いても、その心境が全く理解できなかった。
 僕は「努力は報われるもの」と信じていて、努力が報われないものを信じたくなかったのだと思う。それに、自分で自分のくじ運が悪いと思っていて、運をビンゴなんかで使いたくないとも思っていたのだ。
 その考え方を変えたのはあるレコード会社の社長と番組をやるようになってからだ。
 若い頃は破天荒なエピソードで知られるその社長とよく話すようになり、その生き方から見えてきたのは一見派手に見えるその仕事ぶりの裏には地味な努力を重ねる一面があるということだった。
 努力をした上でいざというときは一気に勝負をかけるその仕事への取り組み方を見ていて、「ああ、努力と勝負はつながっているのか」ということだった。
 努力をするからチャンスが巡ってくる。そしてやるべきことをやった上でそのチャンスに勝負する。努力なしでは大きい舞台はやってこないし、勝負なしには努力を実らせることはできない。
 そんな気づきを得てから僕は小さいことだが積極的にビンゴに参加し(笑)、ゲームにも参加するようになった。そうすると、だんだん波が読めるようになってくる。
 自分のツキを確かめることも楽しくなってきた。「運試し」というが最終的に「いい事もあれば悪いこともある」という心境になった。
 米長さんの言葉は「無心で勝負せよ」ということだろう。
 やるべきことを積み重ねて最後は無心で勝負する。
 それが勝利の女神に微笑んでもらう方法だということか。
 一度もお会いしたことはなかったが、米長邦雄さんのことをもう少し調べてみようと思った朝だった。