僕は病気に慣れていない。
 生まれてからこれまで大病はしたこと無いし、ふだんも極めて健康で会社を休むようなことは滅多に無いし、ちょっと風邪引いても思いっきり仕事してビール飲んで寝れば治ると思っている。
 具合が悪い時は会社の医務室で薬をもらったりもするが、そのもらった薬も全部飲まないうちに治ってしまい、その余った薬を捨てたりしていたのだが、最近ちょっと様子が違って来た。
 数年前から必ず冬になると風邪をひくようになった。
 そしてそれがなかなか治らない。
 今年も年明けから調子がおかしくなった。最初は元日の特番で東京スカイツリーからの番組に立ち会ったのだけど、展望台と地上を二往復するとあまりの高低差に耳がおかしくなり、水槽の中にいるような状態から戻れなくなった。
 自分では気圧差のせいだと思っていたがそのあと発熱。風邪を引いたらしい。
 熱っぽい状態と耳がおかしい状態がしばらく続き、それでも昔のように酒を飲んで寝れば・・・と飲酒をするが、より具合が悪くなる。
 そして、昨年から始めたマラソン、週に何回か走るのが習慣化しているのだが、これが風邪の治りかけで走りたくなり、走るのだがさらに調子が悪くなる。そして走るのが辛いほど体力が低下。
 これは明らかに年齢のせいであると自覚せざるを得ない。
確かにここ何年かジムでウェイトトレーニングをしていても週2回のペースをさぼるとあっという間に前回上げたウェイトが上がらなくなった。
 少し前まではさぼっていてもトレーニングを始めればすぐに以前のレベルまで筋力が戻ったのだが、今ではなかなか戻らない。それどころか、今の筋力以上の負荷を上げようとすると週3回以上トレーニングしないと追いつかないというのが実感。
 やはり肉体というのは老いるのだということをしみじみ感じさせられる。
 健康というのは難しい。
 間寛平さんのようにあれだけ走っている人でも癌になる時はなる。
 健康を維持するために運動をしていても病気になる時はなる。それは決して運動が「老い」に対抗する方法ではないということなのだろう。
 1月の終わりに走った3回目のハーフマラソンで自己ベストを出して調子に乗っていたところで僕はおとといから突然調子を崩した。
 金曜の夜のことである。お腹の調子が悪く夕方から寒気もしだしたので、夜に特番があったにも関わらず早めに会社を失礼して家に帰って早速寝込んだ。
 まだ外にいる妻から「医者に行け」を言われて近所の病院を調べて電話、診察時間が終了していたのだが無理行って診てもらうことになった。
 診断はぼんやりしていた。感染性の胃腸炎かインフルエンザの可能性がある、って随分違うんですけど。でも現段階でインフルエンザテストしても結果がはっきり出ないかも知れないのでまた明日来てみてください、とのこと。
 僕が病気に慣れていないというのはこういうときだ。
 せっかく気合いを入れて病院に来たというのにこんな診断では不安は解消しない。
 結局だいたいの病気は家で寝ているしか無いのだよな、と思ったりする。
 いずれにせよ他人に移る可能性も否定できないのでいつもとは違う部屋にふとんをひいて家族には移さないように気を使ったりする。
 病気へ対処の仕方が分からない。
 ちょっとした体調の変化で医者に行って何でも無かったら恥ずかしいと思ったり、逆に医者に行く習慣が無いから大病のサインを見逃して手遅れになる、なんてことも起こるかも知れない。
 やはりどのタイミングでお医者さんの世話になったらいいのか分からないのだ。

 で、結局昨日もお腹の調子が悪いのだけれどジム行って軽く筋トレはしちゃったんだけれどね。
 僕は、仕事のほとんどが「言いにくいことを言う」ことだと思っている。
 そしてそれは仕事の中で調整役のときに実感することが多い。
 調整で何よりも大切なポイントはスピード。
 「言いにくいこと」は時間が経てば経つほど言いにくくなる。だから、ともかく早く言う。言いにくいからと躊躇していると大抵は事態が悪化する。
 「お金の話は必ず先にする」「番組降板の話はなるべく早く伝える」「トラブルの収集は出来る限り迅速に行う」などなど・・・。
 調整というのはそもそも言い換えればトラブル収集のことなので、いつも別の立場の人たちの主張を聞き、すばやく判断で結論づけて前へ進む。その際に小さいことを無視して行く事も多い。

 僕の仕事はラジオ局での番組制作だが、僕の立場から考えると「いい調整」が必ずしも「いい番組制作」へつながらないことがあり、その矛盾に悩んむことがある。
 そんなとき、漫画原作者の樹林伸さんのFB上のコメントに「粘れるときにはいい仕事ができる」というものがあり、ふと考えさせられてしまった。
 ああ、やはり一流のクリエイターは「粘る」のだ。
 粘ることは調整と正反対の行動になる。
 タイムリミットギリギリまで考え、試し、繰り返し・・・。
 「ほんとにこれでいいのか?」と自分に問いかける・・・たぶんクリエイターがクリエイターたる所以はそのこだわり、「粘り」にこそあるのだと思う。
 
 調整役はトラブルを最小にすることが目的だが、クリエイターはトラブルを起こしてもいい作品、アウトプットを創ることが目的だ。
 このふたつの立場はお互いを相容れないもののように見えるが、実際の現場にはこのふたつの立場の同居がよく見られる。
 僕自身の経験から言うと、優れた調整が必ずしも優れた制作物を生むことにはつながらない。
 むしろ調整には妥協の産物という側面があり、長期的な視点を欠いてその場しのぎの処置を積み重ねてしまうことも多い。
 結果としてクリエイティブな作業から「粘り」を奪ってしまうことになり、後で後悔するのだ。
 
 調整と粘り。
 クリエイティブとビジネス。
 
 本来はビジネスのために調整があり、クリエイターの「粘り」を適度に制御することで利益を確保することが本来の目的のはずなのに、ときどきビジネスを全く無視して創られたものが大ヒットすることがある。
 これがあるから割り切れない気持ちになるし、それがエンターテインメントに関わっている人間の最大のエクスタシーなのでもあるのだが・・・。

 今日も様々な現場で調整と粘りの軋みが音を立てていることだろう。
 昨日は打合せでロンドンブーツ1号2号のお二人とお会いした。
 これは今週末のニッポン放送「オールナイトニッポン45時間スペシャル」の中で土曜日の午後3時から2時間生放送で一回だけ復活する「ロンドンブーツ1号2号のオールナイトニッポン」に向けての打合せだったのだが、久しぶりに会った二人と会話するうちに、昔も感じていたものを久しぶりに思い出した。
 ロンブーと言えば、バラエティ番組でかなり大胆な「だまし」をはじめとする過激な企画で有名な人たちだ。特ににせもののファンなどを装った女の子が芸人に近づいてメールのやりとりをし(実際メールは女の子ではなくロンブーの淳がやりとりしている)それに引っかかった芸人が女の子のデート現場でドッキリ!の「ブラックメール」という企画が有名だ。
 特に淳さんは最近もtwitterやツイキャスを積極的に活用し、いたずら企画を仕掛けたり、芸人を集めて作ったビジュアルバンド「ジュアルkb」で活動するなど、どこか人を食ったようなところがある。
 昨日の打合せでは事前に準備した企画を簡単に文書にして臨んだが、「スタッフが準備したものをひっくり返すところから始めたいんです」という淳の言葉に、なにかヒリヒリするもの感覚を覚えさせられた。
 そうだった、この人はそういう人なのだった。
 自分自身がギリギリの闘いをするので、スタッフに対してもそれを要求する。いや、スタッフに要求する以上に自分を追い込み、あとに引けない状況を作る。
 番組制作がスタッフと出演者の闘いであることを思い出させられた瞬間だった。
 かといって別に険悪になるわけではない。
 その言葉に刺激されてかつて番組を担当した気心知れたスタッフとの会話も弾む。かなり話したいこともあるようだ。
 かなりの刺激を受けて打合せ場所だったテレビスタジオを後にした我々だった。

 人が踏み込まない領域までグッと踏み込んでドキッとさせられる。番組制作に携わってこの人はスゴイ人だなあと実感するのはそんな時だ。
 エンターテインメントの送り手として自分自身が徹底的に120%楽しみ切る、楽しめる環境を創る。そんなこだわりや厳しさがあるからこそエンターテイナーとして走り続けられる。
 番組を作るスタッフだって必死で考える。出演者が最高のパフォーマンスを出せるように最高の舞台を作る努力をする。それに対し出演者は期待に応えようとするが、本当にスゴイ出演者はその期待を多いに裏切るパフォーマンスでスタッフをビックリさせることが多い。
 「そこまでやるの?」という瞬間が生まれたとき、それに関わった全ての人が例えようのない悦楽を感じる。その体験がこの仕事を辞められなくするのである。

 今週末のそんな瞬間になるよう、今スタッフは必死で番組制作にあたっている。

 ニッポン放送 オールナイトニッポン45時間スペシャル(2月
22日金曜日夜10時から24日日曜日夜10時まで)ロンブーの出演は23日土曜日午後3時~5時。