ここのところ仕事の関係で経済関係の本をかなり読んでいる。
 そして自分なりに辿り着いた結論は「誰も先のことはわからない」だ。
 アベノミクスという言葉がもてはやされ、リフレ派と呼ばれる経済学派がクローズアップされている今、金融緩和策がデフレを解消し景気を回復する特効薬のように言われているが、このリフレ派に反対の立場もあるわけで、本当のことは誰にも分からない.
 今日は仕事で反リフレ派の方の書籍も資料として送られて来た。いやあ、こうなると本当にさらに混乱。
 「知るものは言わず、言うものは知らず」
 元外交官の原田武夫さんの本で見つけた言葉だ。元々中国の古典「老子」の一節らしい。
 本当のことは誰も言わないものだし、ましてやそれがメディア上や出版されて世の中にさらされる場所ではなおさらだろう。
 そうは言いながらニューヨークで株が最高値を記録、日本のマーケットも今週引き続き株価が上がり続けている。ニュースの中で「世界同時株高」なんて言葉が使われていたが、こうなると何かがおかしいと直感が僕に言う。
 会社に不動産投資の勧誘電話がよくかかってくるようになった。
 びっくりするくらいよくかかってくる。どこで個人情報を手に入れるのか分からないが、よくわからずに電話が出ると「お久しぶりです!」から会話が始まるので、はて?どこかで会った人だろうか?とよくよく話を聞くとどうもおかしい。「前に興味があると仰っていた投資のお話なんですが・・・」と来た。おいおいいい加減にしてくれてと思うが、勧誘電話であると気づくまで1分以上はかかっているだろう。有無を言わせぬ強引さ。「結構です」と電話を切るが、なんかすごく損した感覚。今日もかかってきたが毎回会社名が違う気がする。今日は「担当変更のご挨拶」と来たもんだ。今どき知り合いの電話は正直ほとんど携帯にかかってくるのでそもそも会社の代表に知り合いを装った人からかかってくる時点でおかしいんだけどね。
 でもこんなことが起きるくらい景気が良くなっている?少なくとも何かが蠢いている印象はある。
 でも「知るものは言わず、言うものは知らず」だ。
 いくら経済本を読んだところで、いくらメディア上の情報を漁ったところで本当のことは語られないんだろう。でもその一方で作家で元外交官の佐藤優さんの言葉も僕の記憶に残っている。
 「重要な情報はほとんど公開された情報の中にある。ただそれを読み取ることが難しいだけだ」
 本当のこと読み取る洞察力と直感が僕にも働くように研鑽を重ねるしかないのかも知れない。
 そう思いながら今日も資料の経済本と格闘しているのです。
 最近、若い思想家たちが元気に見える
 思想家と書いたけど、そのプロフィールは社会学者であったり評論家であったり哲学者であったりする。
 なんで彼らが今世の中に出てきているのかを考えると、それは今新しい考え方が求められているからなんじゃないかと思う。
 僕らは政権選択を自民党から民主党に代えて、また民主党から自民党に戻した。
 新しいものを求める気持ち、変化を求める気持ちが民主党を選ばせたのだと思うし、やはり目に見えない伝統や歴史、政党としての格のようなものに価値を認めたからこそ再び自民党に政権を担当させたのだということに異論をはさむ人はいないだろう。
 そしてその政権を担当する総理大臣は二度目の登板となる安倍晋三氏。
 今のところ安倍総理の政権運営は上手くいっているように見えるけれど、世の人々の気持ちはもうこれ以上裏切られたくない、出来ることならば自己防衛をしたい、と思うようになっているのではないかと思う。
 そしてみんなが新しい考え方、つまりは今の閉塞感を解消する突破口を探している。
 よく竹中平蔵さんが言っている言葉だけど、今必要なのは「ビッグ・シンキング」と呼ばれる大きいものの考え方なんじゃ無いかな。
 今の世の中、幸せなのか不幸せなのかそれさえも判断できないような気がするし、その感じ方は世代や環境によっても大きく違うことも多くなってるみたいだ。

 最近積極的に発信している新しい言論人たちはみな若い。
 僕なんかよりもずっと年下の人が多い。
 その中のひとり、宇野常寛さんに僕は今、興味を引かれている。
 宇野さんの「リトルピープルの時代」という本を読んですごく刺激を受けた。
 村上春樹の「1Q84」を例に取り、ジョージオーウェルの「1984」で提示されたものの考え方を村上春樹が「1Q84」によって新しい考え方に移行させようとしているが、それは失敗している、と宇野さんは言う。そのほか仮面ライダーシリーズの設定の中に思想の変化を見たり、感心しきりな内容なのだけれど、僕が印象的に思ったのは「現代は『拡張現実』の時代」というくだりだった。
 高度経済成長貴は夢と理想の時代、バブル崩壊後は「仮想現実」の時代だと言っている。確かにファミコンから始まるゲームを代表とする「仮想現実」的なものの考え方はパソコン、インターネットの普及に伴って世の中に広まって行ったことは実感するところがある。
 そして今は「拡張現実」の時代だと言う。それはスマホのアプリのセカイカメラみたいなこと。一度パソコン、ゲーム機によって現実から離れた場所で展開していたことが再び現実と結びつきつつあるということらしい。
 確かにgoogle mapだってストリートビューのようなアプリは現実であり、現実でない「拡張現実」の世界だと言えるわけだ。
 激しく納得。
 こういう新しい考え方の提示こそ迷える人々を導く灯りとなるのでは無いだろうか。
 なんか新しい言論人たちから目が離せない今だ。
 
 

 
 今日放送されたニッポン放送オールナイトニッポン45時間スペシャルの中の「ビートたけしのオールナイトニッポン」。すごく面白かったのだが、その番組の中ですごく引っかかったたけしさんの言葉があった。
 たけしさんは最近、高田文夫さんの主催するイベントでツービートをやろうと思ったことがあるのだそうだ。「俺は漫才はちゃんと準備しないとダメなんだ」と自分が納得できなかったのでやらなかったということを明かしてくれた。
 そして最近の漫才のことを話す中で、「最近の漫才は時間が無いので(最近のテレビのネタ番組における制限時間のことを言っているのだと思われる)あいさつした後すぐにコントに入っていくヤツ多いんだよ」と。挨拶のあとすぐに例えば先生コントなら先生と生徒という設定にコンビが入っていくようなことだろう。「それを裏切って相方が設定に入ってもこっちは『何やってんだよ』と設定に入らないでひっくり返すような漫才をやりたいんだよ」と言った。その言葉は僕の胸の中に何か熱いものを思い出させた。
 今、当たり前だと思っていることにこそ疑問を持つ。それこそが「作り手」感性の胆なのだということを思いだしたのだ。

 「毎日違う道で会社に来い」
 僕が仕事始めたときにある先輩から言われた言葉だ。
 「脳はルーティンワークになったところから回転しなくなる。脳を回転させるためには常に新鮮な体験をするように自分を仕向けて行くんだよ」
 その先輩は常に「既成概念をぶっ壊す、ひっくり返す」ことが企画の源泉なのだと僕にいろいろなかたちで叩き込んでくれた。
 たけしさんの言葉はその先輩に必死でついていこうとしていたあの頃の気持ちを思い出させてくれたのだ。
 当たり前のことに疑問を持つ。
 これが大切なのはエンターテインメントだけではないのかもしれない。
 「大新聞や評論家がみんな同じことをいうときはむしろ怪しいんですよね」
 辛坊治郎さんはよくそう話す。先日の衆議院選挙のときがそうだった。論調が年明けムードになっていたときに辛坊さんは「みんなが同じことを言うようになっているときはその通りにならない」と言っていた。その言葉通り年内まさかの都知事選と同時選挙。
 みんなが同じことを言いだすとやはり胡散臭い。

 いい言い方をすれば「サプライズ」なのだけれど、よくよく考えてみれば「ドント・トラスト・オーバー・サーティー」の精神ともつながることなのかもしれない。
 世の中の事象に向かって反骨精神を示し、疑問を持って進んでいく。
 そんな精神を持ち続けらる人を「現役」と呼べるのだと思わされた番組だった。