すごいものを観た。いや、正確には聴いた、か。
 シングライクトーキングの25周年ライブ@国際フォーラム。
 僕は仕事がらライブを観せていただくことが多いのだが、近年実際に自分が足を運んだライブの中でベストライブだった。
 今回のライブはバンドのメンバーも特別だった。それぞれが自分のオリジナルアルバムを発売しているような猛者ばかり。単に楽器が上手いだけではなく、それぞれが魅力的な個性を持っているミュージシャンが一緒に音を出すのだからたまらない。
 なぜ、ここまですごいライブになったのか。その理由を考えるとき、シングライクトーキングというグループの姿勢にこそあるのではないかと思い至った。
 MCでボーカルの佐藤竹善さんも言っていたが、「お客が聴きたいと思う曲を一切創らない」のがシングライクトーキングというグループの音楽的姿勢だ。言い換えるならば聴き手本位ではなく作り手本位とでも言うのか、音楽的なクオリティを求める探究心と言ってしまえば簡単だが、シングライクトーキングは音楽を楽しむ事に徹底的に特化している。
 だからこそ、シングライクトーキングとしてはほぼ活動していない時間もあった。きっとメンバー同士で音楽を楽しめなくなっていたのだろう。でもそれが近年再び集い音楽制作にいそしみ、トラックダウンのために訪れたイギリスのグラスゴーでは3人で2週間共同生活をし、自炊し、酒を飲んだという。いいオトナが2週間も一緒に寝泊まりできるというのはやはり並の仲の良さではない。
 子どもの頃からの知り合いで音楽という共通言語を持ち、それだけでも珍しいのにプロとしてデビューできた彼ら。だからこその音楽の楽しみ方、それがまずは自分たちが納得するもの、楽しめるものしか創らないという姿勢だったのだろう。
 
 今の音楽業界は決して盛り上がっていない。売り上げが落ち、ヒット曲が出にくい時代である。
 そんな中で僕がシングライクトーキングに感銘を受けたのは、彼らの音楽が一切客に媚を売っていないからではないだろうか。
 どんなアーティストもヒット曲を狙う。だから客に媚を売らない音楽作りというのは実に難しい。佐藤竹善さんは「僕たちにはベストな曲ないからベスト盤が作れない」と謙遜するがとんでもない。シングライクはきちんと音楽を売り、ライブもやって来た。ただ、ベスト盤を作る事が彼らに取っては意味が無いからであろう。やはりベスト盤には客へのサービスの側面が大きいからだ。
 今のような時代だからこそ「まずは質を追求するもの創り」の姿勢が大切なのだと実感した一夜だった。そしてその姿勢が一流のミュージシャンを集め、とてつもなく楽しめる音楽空間を作り出した。
 関係者席というのはお客さんが席から立ち上がって聴くよう場合もみな座っているのが通常だが、今日のライブは関係者席の中でも立ち上がり踊っている人が見られた。
 確かに居ても立ってもいられない気持ちになるライブであったことだけは間違いない。
 本当に楽しめるエンターテインメントは期待に応えると同時に期待を裏切るもの。期待を裏切るためには作り手本位な創作姿勢が必要と改めて思わされた。
 仕事仲間と話していて昔の「ギョーカイ」には良くも悪くも変な人がたくさんいたね、という話になった。思い起こせば僕が仕事をし始めた20年以上前、「こんな人がいるのか!」というような先輩が数多くいた。
 週末の番組で僕は毎週六本木へ中継に出ていたことがあるが、その目的は「ナンパ」。男性レポーターと一緒にスタジオまで一緒に戻ってくれる女の子を探すのである。
 で、結局その女の子たちと番組が終わった後飲みに行く・・・そんな中継だった。要するに番組終了後の飲み会のための中継企画だったのだ。当時それを企画した先輩ディレクターがなんともいい加減で適当に見えたものだ。
 「この人たち遊びと仕事の区別がない・・・」
 
 また、別の先輩から「今晩ヒマ?」と誘われて連れて行かれた場所はサルサパーティー!もちろんサルサなんて踊れない。僕は男女が軽快なリズムにのってノリノリで濃厚なダンスを踊っているのをただテキーラを飲みながら眺めていた。
 その先輩は「女性の腰に当たり前のように手を回す事ができるサルサは最高だぞ。お前も憶えろよ」と言うが、一体何のためにサルサパーティーに連れてこられたのか理解できず戸惑ったことを思い出す。
 その後先輩は「最近若い女性のあいだでサルサダンスが流行っている」と、番組パーソナリティにサルサを習わせる企画を立ち上げた。
 さらにその先輩はその後オリジナルのミュージカルを立ち上げ成功を収める。音楽とダンスと演劇が大好きなその先輩らしい仕事だった。

 この先輩方はまさに「遊びと仕事の区別が無い」のである。
 真面目な新米ディレクターの僕から見ると遊んでいるようにしか見えない。しかし彼らはその遊びを見事に仕事に結びつけて行くし、次々に新しい事にチャレンジして行くその姿は、今思い返してみればとても大切なことを教えてくれていたのだと感じている。

 エイベックス松浦社長がニッポン放送で持っている番組のタイトルが「仕事が遊びで遊びが仕事」(毎週日曜日25時~)だが、この言葉を見るにつけ「深いなあ」と思わされてしまう。やっぱり出来る人は分かってる。
 不況の影響もあり「仕事は仕事で遊びは遊び」という傾向がここ最近強まって来た。
 それに連れ、型破りなディレクターやプロデューサーもあまり見なくなった。その時代に合ったかたちは確かにあるかも知れないけれど、新しいヒットは遊び切ることから生まれるのだということを改めて思い出してみたい。
 だって僕たちの仕事は人を楽しませる事なのだから、まずは自分が徹底的に遊ばないとね。
 あまり「へそまがり」と言わなくなった。
 人の反対のことばっかり言う、考える。「あまのじゃく」「ひねくれもの」とも言うかもかもしれない。
 ある超ベテランのラジオパーソナリティがつぶやいた。「俺なんかへそまがりだからさあ・・・」それを聞いて僕は気づいた。そのパーソナリティが面白い理由を。そう、この人高島ひでたけさんはへそまがりだから面白いのだ。
 経済学者を番組コメンテーターに迎えると「経済学者はどの人ももっともらしく自分の説を展開するが、それぞれに言っていることが違う。どの意見を信用すればいいのか?」と平然と言い放つ。
 「金融緩和をやればデフレが解消するというが本当なの?」「アベノミクスと言うがみんなが褒めるとなんだか信用できない」などなど・・・スタッフとしてドキッとすることをしれっと言う。
 ディズニーランドが30周年を迎えて盛り上がっている事を番組で取り上げると、「スプラッシュマウンテンに乗ると水しぶきが飛んできて眼鏡が濡れるんだよね。その眼鏡を外して水滴を拭う姿がオッサンとしてなんか情けない。」なんてことを言う。
 世の中の大多数が褒めたり、盛り上がったりしていると高島ひでたけさんは必ずそのことに疑念を持ち、水を差したい人なのだ。
 一般的に「へそまがり」というのはネガティブな印象だけれど、高島さんの場合、そのへそまがりの性格ゆえに「なんだかおかしいな」という事に最初に気付き、「声を上げない多数派=サイレントマジョリティ」が「そうそう」と思わず相づちを打ってしまうようなコメントをしてくれる。そしてそれがラジオパーソナリティとしての個性になっているのだ。
 当たり前だとみんなが思っている事に疑念を持つ。
 今のような時代、この事はすごく大切な事ではないだろうか。だって「原発は安全だ」って言われていたのにそうじゃなかった。自民党の一党支配が終われば日本は良くなるのだ、と言われていたのに良くならなかったし。だからアベノミクス効果があったのだ、とみんなが言えばそれも疑いたくなろうというものだ。
 みんなが口を揃えて同じ事を言うときに「何かがおかしい」と感じる感性。
 現代日本を生き抜いて行くためには必要な事。
 今こそ「へそまがり」が必要されている時代なのかも知れない。