エンターテインメントの世界で働いている人には一般社会より心なしか極端な人が多い。
 一般社会に馴染めなかった人が初めて自分の居場所を見つけたようにも思える。
 芸能とは折口信夫的にいえば「まれびと」、異界からやってくる非日常のことだという。普通のとは違うからこそ、一般の人が楽しめる。
 その辺にいる人と同じだったらエンターテインメントにはならないから。幻冬舎の見城社長いうところの「この世にあらざるもの」を誰もが見たいのだろう。
 だからエンターテインメントの作り手は簡単に言えばちょっとおかしい人が多い。そして、よくよく話して、仲良くなると結構多いのが「不登校」もしくは「いじめられっこ」だったという人だ。
 大人になって仕事の第一線で活躍している彼らが「不登校」や「いじめられっこ」であったことはそれほど意外なことでも無いように思える。というのは彼らが皆個性的だからである。
 だいたいにおいては「普通じゃない」から周りに溶け込めないのであり、それが理由でいじめられたりする。でも、こうした「偏り」がエンターテインメントの作り手には多かれ少なかれある。
 かつては女優、歌手、今は画家として活動しているある女性は学生のころひどくいじめられたという。僕から見れば性格が内向的なわけでもなく、スタイルも抜群で美しい彼女がなぜ?と思うのだが、その見た目がそもそも原因らしい。彼女の派手なその感じが先輩や不良グループから目をつけられて「生意気」ということになったのだそうだ。
 そうなると学校にも行きたくなくなる。精神的にも追い詰められたらしいが、そんな彼女は中学のときは学校までお父さんが毎日送り迎えしてくれていたらしい。
 でも、こういう「収まらない」人だからこそエンターテインメントの世界で押し出しが強く生きられる。
 放送作家と呼ばれる人たちにもこうした人が多い。いじめられたり、仲間外れにされた体験からものを考えるようになり、自分にできることを早い段階から考えるようになる。こうした結果としてあるジャンルの能力が人よりも優れた人間ができあがる。

 そういう人たちに共通していることは「集中力」だ。よくも悪くも集中力がある。例えば某アーティストは幼少時代テレビゲームばかりやっていたそうだ。ゲームに夢中になりすぎて勉強しないどころか学校にも行かなくなるくらい。母親はそれを見てカリカリしていたらしいが、父親は息子を信じて「このままゲームをやり続けるならば必ず既成のゲームに飽きて、自分で新しいゲームを創り出すようなクリエイティブを自分の息子は持っているはず」と放っておいたらしい。
 で、彼はゲームに飽きてギターを弾きだしたという。これはCharさんから聞いた息子のジェシーの話。
 
 でも、今現在「不登校」や「いじめ」という問題に直面している子供やその親は悠長なことは言ってられない。いくら子供が「人とは違って才能があるからいじめられるのだ」とわかったところで眼の前にある問題の解決策にはならない。
 でも、こういうときに必ず言われるのが家庭の問題から来る「こころの問題」だ。
 育ってきた環境に原因を求め、その結果としてこうした不登校の現象を「こころの問題」としてとらえる風潮がある。
 僕は昔からその「こころの中身」の話がすごく苦手だ。
 世の中には確かに「ちょっとおかしい人」がいる。でも「あなたはうつ病です」と言われたところで何の意味があろうか?「かい離性同一性人格障害です」と言われて何かが変わるか?「強迫性障害です」と言われてその症状が治るのか?それは障害の理由ではなく、説明に過ぎないのだ。
 
 こうしたことを思う理由はいろいろあるし、話が飛躍しすぎているとも思うのでこれで止めておく。
 医学的な領域のことはよくわからないけど、心配になって心療内科に行って、病気と言われてしまう。最近の「こころの病気流行り」とでもいうべき現象は、ただ症状に名前をつけて新たな病気を生み出しているように見える。
 人間の中身というのはそれこそそんなに簡単なことではないと思えてしかたがない。
 先日仕事場の若いスタッフと話していて驚いたことがある。そのスタッフは女性で20代前半。海外旅行をしたことが無いと言う。「旅行、特に海外旅行は貧乏旅行でいいからしたほうがいいよ」と何人かでそのスタッフに話していたのだけれど、最近この「海外経験」についてはすごく個人差が出てきたように思える。1年くらい前のことだが、大学生もしくは20歳前後の放送作家の卵たちとミーティングをする機会があった。こちらからいろいろ教えてあげるパートもあったが、僕としてもこれほどまとまった人数の(12、3人)の若い人と話す機会は珍しいのでいろいろ質問をしていた。そのときに集まった放送作家の卵たちのうち、半分以上に短期、長期に関わらず海外留学経験があった。英語も普通に使えるという。なるほど、そういう時代なんだなあ、と思ったが、その一方でこのスタッフのように海外旅行したことの無い人も多い。
 なぜ海外旅行に行かないの?と訪ねると「興味が無い」とのこと。そりゃそうだけれど、海外、特に発展途上国系の国で体験する全く自分の常識が通用しない経験は得難いよ、と説教臭く語ってみるのだがあまり響かない。
 確かに僕自身の職場でもあまり後輩が休みをとって海外旅行に行かないと感じていた。
 僕のようにエンターテインメントの仕事をしている人間にとっては海外は憧れの場所、特にアメリカ文化やイギリス文化への憧れから自分の好きなアーティストやアートに関わる場所に一度は行ってみたいと思って出かける人も多い。
 だから僕にしてみるとこの若いスタッフがなんで「見てやろう」という気持ちにならないのかが理解できない。「でも国内旅行で充分楽しいですよ」という。そしてさらに掘り下げて行くと、どうも「知っている」と「体験する」の違いがわかっていないんじゃないかという気がしてきた。
 インターネットを通してどんなことでも検索することが出来て、憧れの街だってgoogle viewを使えば路地まで写真で見ることが出来る。お決まりの観光用写真ではない、自分が行きたい場所の細かいところまで写真を通して知ることが出来る。このことをどうも「経験」と混同しているように思えた。僕からするとそれは「知っている」だけで「体験する」では無い。知っているだけでは人生は変わらない。心が揺さぶられるような体験を通してこそ自分の人生に変化が起きる。そしてそれはとても素晴らしい体験で、常に自分の人生に何か変化を起こそうとしていろいろな体験を求めるようになっている。
 でもネットに仮想現実、拡張現実と言った世界が展開するようになると、それを持って体験と勘違いするような人たちが出てきているようなのだ。
 Facebook上の友達はあくまでもFacebook上の友達で、SNS上のコミュニケーションだけでは「体験」とは言えない。実際にあって一緒に時間を過ごして喜怒哀楽を共有してこそ友達体験になる。
 説明しなくても誰でもわかっていると思っていたこのことが、最近変わってきていることに少し危機感を覚える。いや、分かっている人と分からない人の差がつき始めている、と言ったほうが正しいか。
 その若いスタッフにはともかくいろいろな「体験」をするように語ったのだが、あまり語っているとオヤジの説教のように受け取られるのである程度のところで止めておいた。
 でもそんな人増えていませんか?
 昨日の日曜日はわが夫婦ともに休みだったのだが、朝起きると妻が「ビリーやろうよ」と。
 「は?ビリー?」そう、ビリーズブートキャンプのことだ。憶えているだろうか。一世を風靡したあのエクセサイズのことである。あれは何年前だろうか。我が家も例にもれず一括購入「入隊」したものだ。一時期夫婦でテレビを前に狭い部屋で手をくるくる回したり、シャドーパンチやキックを汗をかきつつたまに接触事故を起こしながらやっていた。
 そのビリーを今朝やろうと言うのだ。彼女はここのところ仕事が忙しく、趣味のヨガにもなかなか行けず、運動不足にイライラしていたらしい。僕はジムに行ったり、走ったりしていたので、「なぜ今さらビリー・・・」と思ったのだが、「最後の回をやろう、31分だから」という。彼女はひとつひとつのセットの長さもアタマに入っているのか・・。
 僕も誘われるがままにビリーにおつきあいすることにした。朝の9時である。
 「最終プログラム」というDVDをセットしふたりでエクセサイズを始めた。ここ一年マラソンして、3月にはフルマラソンで4時間を切った僕は少し体力には自信を持っている。ふだんもジムに行っているし。でも「あれ?きつい」ビリー恐るべし。結構きついのだ。これってさ、なんにもやっていなかった人が突然はじめても絶対出来ないしきつくて続かないよな、ああ、だからこそ僕も止めてしまったのだった。太極拳や拳法の要素が取り入れられていて、足を上げてキック、ワン・ツー・ステップでパンチなんて動きもある。お、腹筋きついじゃないか、さあ続いてはビリーバンドを使ったエクセサイズ、ん?ビリーバンド?あったあった。DVDのセットもビリーバンドが付録でついていたんだ。妻がごそごそと押し入れから引っ張りだして来た。ビリーバンドはエクセサイズに使うゴムのバンドだ。両足に1本づつ引っ掛けて両手で持ち、その負荷でトレーニングするもの。そうだ1セットしかなかった。今回は僕が使わせてもらうことにして、バンドを片足づつ足の甲にひっかけて、反対側の持ち手を持ち、バンドを引っ張り上げると「ブチッ!」ビリーバンドが切れた。
 ゴムが古くなって劣化していたようだ。切れたゴムをもう一度結んで使えるのでは無いかと思い取手に結びつけるがまた「ブチッ!」ああ、ダメだ。やっぱりなあ。
 ビリーバンドが切れたことで何となく気持ちが切れてガックリ。
 確かにやってなかったもんなあ。この最終プログラムのDVDの最後のシーンでビリーがイラクにいる兵士たちにメッセージを言うシーンがあるのだが、それを見ても時代を感じるところがあった。
 ビリーズブートキャンプが流行ったのは2007年のことだったようだ。もう6年も経っているんですね。
 きっとこのビリーズブートキャンプのDVDとゴムが劣化したビリーバンドが押し入れに眠っている家庭が日本中にあるのだろうな、と思いを巡らす。場合によって切れたゴムがぶつかって痛い思いをしている人も居るかも知れない。
 
 でも、僕は懲りずにネットで新しいビリーバンドをその夜購入したのだった。今日届くはず。
 さ、再入隊。今度はやりきれるかなあ。