人と人のコミュニケーションは共通点さがしだと思っている。初めて会った人とでも「音楽が好き」という共通点を見つければ話も弾むだろうし、お互いのことを理解する一助になるだろう。
 こうした共通点を数多く見つけることで親近感を覚えて仲良くなることが出来る。だから初めて会う人早く和むためにはなるべく相手の中にある自分と同じ要素を探り出すことが重要になる。出身地や出身校などで一気に打ち解ける事があるのも共通点を見つける事で「自分と同じだ」という安心感を感じるからだろう。
 その一方でどうしても共通点が見つからない事だって実はある。どうしても趣味が合わない、性格が合わないと感じるとそれはどうしても修正出来ない事のように感じられてくる。
 共通点より相違点が多い場合だってあるのは当たり前だ。その場合はどうすればいいのだろうか?

 これを国際問題に当てはめて考えてみると問題が明らかになってくる。
 海外で暮らしていたときに海外経験の長い友人から言われたのは「宗教、歴史に関する話題は出来たら避けた方がいい」という事だった。日本と韓国や中国、ドイツとユダヤ、パキスタンとインド、イランとアメリカ・・・過去の歴史や現在の国際情勢が個人の関係にも深く影響してくる。
 海外でも同じ人種がコミュニティを作るのもその表れだろう。ニューヨークにはチャイナタウンもあるしリトルイタリーもあるしコーリアンタウンもある。黒人が多い場所もあれば、ヒスパニックが多い場所もある。
 日本人は比較的どこにでも顔を出す、出せる人種であるが、それは日本という国が歴史的に外国との戦争、抗争の歴史をあまり多く持っていないことと関係があるように思える。またアメリカで暮らしているときに実感した事だが、やはり白人より同じアジアのコーリアンや中国人に親近感を覚えることは確かだし、ひとことで中国人と言ってもいろいろな人種がいることも改めて気づかされたものだ。
 尖閣や竹島で揉めている現在の状況があっても、中国人や韓国人にはヨーロッパ系の国の人よりは共通点を見つけ易いことを感じる。特に韓国人とはかなり文化などの知識に関しても同じものを感じる事が多く親近感を覚え易い。

 先日、番組で漫画家の小林よしのりさんにご出演いただいた時、小林さんが従軍慰安婦問題を韓国と日本、そしてヨーロッパ、アメリカとの文化的背景が異なる事がこの問題を分かりにくくしているという指摘があった。
 確かに日本には公娼制度がかつて存在し、男女の性についてはかなりオープンなお国柄、キリスト教の考え方とはかなりぶつかるところがある。
 海外でSEX SLAVEなどと訳されると収拾がつかないし、外務省の訳したcomfort girlという表現にも首をかしげてしまうところがある。
 こうした問題がもちろん外交の駆け引きに使われることがあるのは重々承知しているが、民間レベルで考えると、もっとお互いの歴史や文化については知ることでこうした問題に関してある種の落としどころを見つける事ができるようにも思える。
 小林さんは慰安婦問題は文化侵略的な側面があるとも言う。
 確かにそうかも知れない、やはり国際交流を進めて行くためにはお互いの文化をもっと勉強し合わなければいけないのでは無いだろうか。
 国際人というのはまずはお互いの国のことを文化、歴史の面でよく知り、理解している教養人であるべきなのだなと改めて思う。
 今よく言われる「グローバル人材の育成」とは単にTOEICの得点を上げて行く事ではなく、こうした相互理解のための教養を身につけて行く事なのでは無いだろうか。そしてその必要性、重要性が増々高まっている事をひしひしと感じている。
 ああ、やっぱり歴史の勉強は重要なのですね。
 ラジオ番組制作を20年以上やっているが、最近思わぬ再会の機会に恵まれることが多い。
 先日も40歳を超えた元アイドルたちと再会し食事する機会があった。
 元CO××と元リ○ン、そして今も現役のル○○ン。
 彼女たちが全盛期の時代は所属事務所たちも彼女たちの行動には細心の注意を払い、スキャンダルなどが起きないようにしていたと思うが、それをくぐり抜けてどうやって遊んでいたのか、その頃どんなことを考えていたのかなどの話題で盛り上がった。
 僕自身も彼女たちが10代のアイドルでいたころは20代の若手ディレクターで、当時スターだった彼女たちのことを別世界の人のように感じていて、所属事務所のマネージャーの手前出来る限りプライベートな関係を持たないように気をつけていた。
 当然のことながら彼女たちは写真誌にマークされているだろうし、実際に「アイドルが飲酒!」のような写真誌の写真に映り込んで大騒ぎになったスタッフもいたので、会社からも番組以外の場所でタレントとして会うことは控えるように厳しく言われていたのだ。

 そんな中、僕の先輩女性ディレクターでそのアイドルたちと仲良くしている人がいた。彼女は女性なので彼女たちアイドルとプライベートで食事をしても問題になりにくく、アイドル本人たちも忙しい仕事の息抜きの場をその先輩ディレクターに求めていたのだろう。
 今から20年以上前のことだが、ある日、その先輩から「七夕に富士山へ星を見に行こう!」と誘われた。僕はてっきり仕事仲間で行くのだと思っていたが、実際に集合場所に行ってみるとそこには当時番組を担当していたアイドルがいるではないか!
 しかもその先輩ディレクターが人を車に振り分けて行くのだが、「○○ちゃんたちは節丸よろしくね」と僕の運転する車に振り分けた。
 僕は「これで事故でも起こしたら大変なことになる」と内心ドキドキしながら富士山まで緊張してドライブしたのだ。
 そのツアーは夕方に東京を出発、富士山の五合目くらいで七夕の夜の星を眺め、道すがら適当な場所で持ってきた食べ物と飲み物を拡げて宴会。明け方に帰るというものだったが、アイドルを自分の車に乗せる緊張感以外はとても楽しいツアーだった。

 久しぶりにあった彼女はそのことをよく憶えていて、「あのときは大人の遊び方を垣間見てすごく素敵だと思った」と話してくれた。
 そうか、アイドルといえども当時は10代。今はその元アイドルと僕は5歳差で同世代のように感じているけれど、あの頃の5歳差は大きいよな、と納得。でも、当時人気絶頂で僕から見たら別世界で暮らしているように見えた彼女たちはチヤホヤされることに慣れていると思っていたので、そんな気持ちでいたことはすごく意外でもあった。
 
 結局、アイドルであろうが同じ人間。こうして20年以上のときを超えて会っても、あの頃と同じように、いやそれ以上に親密になることが出来る喜びを感じた夜だった。
 そして、そんな楽しい再会の宴も後半に差し掛かるころには少し真面目に今の仕事のことなどを相談されたり、と少し大人な場面もあり、またの再会を約束して終了した。

 仕事における「立場」というものがある。しかし、その「立場」に溺れて仕事相手と接していると遺恨を残すことが多い。そのアイドルだった彼女たちが当時の絶頂人気の「立場」でわがままな振る舞いをしていれば20年を超えて会うことはなかったと思うし、僕もディレクターという「立場」に調子に乗り出演者である彼女たちに大して偉そうに接していればやはりこの再会はなかったであろう。
 そう言う意味ではどんな「立場」で会おうとも人として誠実に振る舞わなければな、と改めてこの再会を通して思ったのだった。

 先週23年ぶりにニューアルバムを発売したチキンシャックというグループのライブに行った。
 チキンシャックは今ニューオリンズ在住のギタリスト山岸潤史さんとサックスの土岐英史さんとキーボードの続木徹さんを中心とし、ソウル・ファンク系のインストバンドとして80年代後半から90年代にかけて活動していた伝説的なグループ。
 実はサックスの土岐英史さんには学生時代習っていた事があり、僕の師匠でもある。
 ライブは素晴らしく、ニューアルバムの曲もとてもよく、最近新譜には腰が引ける僕も思わず買ってしまった。
 ライブ後楽屋に面会に行き、さらにそのまま誘われるがまま打ち上げにお付き合いさせていただいた。
 もしかするとゆっくり話すのは20年以上ぶりかも知れず深夜3時くらいまで盛り上がったのだが、土岐さんもとい土岐先生と話していて、かつて習っていた時代のことを思い出した。

 土岐先生にサックスを教わっていた、と言っても別に細かい吹き方や練習曲を教わるわけではない。レッスンはいつも土岐先生がピアノを弾き生徒はそれに合わせてサックスを吹くのがそのスタイルだった。基本的には12key全てでいろいろなコード進行(ジャズに詳しい人なら知っているⅡーⅤを始めとする様々なやつです)を吹くのだが、そのときいつも土岐先生が言うことはそのプレイは「オリジナル」かどうかだった。
 「ふつうに喋っていたらそんな風に息継ぎはしない」とか「簡単なフレーズでいいから自分のできることで唄うように吹け」とか「誰かみたいなプレイじゃなくて自分にしか出来ないプレイをしろ」などなど、土岐先生のアドバイスは”自分にしかできないプレイ”にこだわったものだった。
 
 飲みの席での話なので詳細は書かないが「あのピアニストはタイプライターみたいに弾いて音楽になっていない」とか、「なんでみんなマイケルブレッカーの真似するんだろう(ドキッ!)あれはユダヤ系のバックグラウンドがあるからのプレイで日本人が真似したって意味が無い」などなど辛口なコメントの数々が聞けたが、そのコメントの背景にある考えかたは「オリジナルであるかどうか」「音楽なのかどうか」最終的には「自分にしかできないプレイで聴く人を楽しませているかどうか」のこだわりだ。

 今から14年前にスマッシングパンプキンズに取材したときギターのジェームス・イハさんに「最後にリスナーにメッセージを」と投げかけると「Be original!」と応えた。その番組はティーンズがリスナーの番組だったが「オリジナルであれ」言い換えれば「自分らしくあれ」というそのメッセージに感激したものだ。
 また、16年前にウェインショーターと話す機会があり、「どうすればあなたのようなタンギング(吹くときの舌使い)が出来るのですか?」と質問したところ、「僕には僕の喋り方があり、君には君の喋り方がある。君は君らしく吹けばいいのであって僕の真似しても全く意味がない。自分のスタイルをで吹きなさい。」と言われて衝撃を受けたことも思い出した。

 今の僕の仕事はラジオ番組制作だが、現場で先輩から教えられる言葉に「イミテーション、バリエーション、クリエーション」というのものがある。これは番組の企画制作は真似から入り、自分なりのアレンジを加えて応用し、最終的には自分だけのオリジナルをクリエイトすることに辿り着く手法を言ったものだが、その教えの意味は「オリジナル」をクリエイトすることが番組の企画制作の最終的な目標であることだ。

 「自分探し」なんてことが言われるし、「仕事においては自己実現が大切」なんてことがビジネスの現場では語られることも多いが、やはりどんな分野においても一番大切なことは「自分にしかできない仕事をすること」だということを20年ぶりに土岐さんと話すことで改めて思い出させれた夜だった。