お盆だったので実家に戻り、亡き父の迎え火を焚いてきた。
 今、僕の母は実家で一人暮らし。妹が実家の近くに居を構えているため、ふだんの母のことについてはそれほど心配せずに済んでいる。
 今日は妹が息子関係の行事のため実家に行く事が出来ず、僕に「たまにはお盆に実家に行ったら?」と促され、ひとりで行ってきた。
 最近は仕事も忙しく、と言い訳しながらあまり実家に寄る事も無く、寄っても短い時間で帰ってしまったりしていた。
 今日は久しぶりに母子ふたりでいろいろと話すことが出来た、というと和やかそうだが実際にはそうではない。かなり辛辣なやりとりをした。
 やはりいくら年を重ねても親子。いい意味でも悪い意味でもだ。いろいろ説教を食らう。
 もちろん言い返したい事も多く、相手が72歳だということも忘れて僕も攻め込む。「よくまあ母親に向かってそんなことが言えるわね!」などと言われながらよく言えば意見交換をしてきた訳だが、1時間近く話しているとそのうち二人ともそれなりに言い切ってしまい、妙な満足感が出てくる。で、結局『親子と言えども会って面と向かって話さないとわからないわね』と言われる。
 僕は最近いろいろな場所で「コミュニケーション術」の講師をやらせていただいたりしているが、その講座でいつも話すのは自分が伝えたいことと相手が知りたいことの間には必ずズレがあり、それをコミュニケーションのズレと呼ぶ。そしてこのコミュニケーションのズレを如何にして修正するかがより良いコミュニケーションの鍵である、と教えている。
 人生の中で長い時間を一緒に過ごした母と息子の間といえども「コミュニケーションのズレ」は発生する。特に結婚後は別で暮らしているので、僕がコミュニケーションのズレの修正の方法として挙げている「共通点探し」が徐々に難しくなっていることにも気づく。
 そう、一緒に暮らさない、故に同じ体験をしていないと、お互いの共通点を見いだし難くなる。
 ビジネスの現場では出たとこ勝負なところがあるけれど、やはり家族や友達のとのコミュニケーションはどれだけ向き合う時間を割けるか、真剣に向き合うか、にかかっているのだと実感した一日でもあった。親子といえでも信頼関係を維持するのは難しい。いや、親子や親戚だからこそ信頼関係を維持するのは難しい。
 やはりどんなこともメインテナンスを続ける事、弛まない努力が大切であると同時に最も難しい。
 先日丸の内朝大学で開講していた「ラジオパーソナリティクラス~プロに学ぶ話す技術」という講座全8回が終了し、打ち上げがあった。
 受講者42名は30代が中心で女性が7割。打ち上げも女子力を感じさせる会となった。
 草食系男子、肉食系女子などと言われるが、確かに女性の積極性には目を見張るものがある。 
 自己主張力とでも言うべき能力に長けている。ここのところ女性のパワーを実感する場面が多いような気がしていると、友人のライター尾谷さんのブログを読んで納得したことあった。
http://plaza.rakuten.co.jp/ota23/diary/201307110000/?scid=we_blg_tw01
 以下、本人に無断ですが(ごめんなさい、尾谷さん)
【「稼ぐ女子」と「稼げない男子」という構図は、今の日本(いや世界)の産業構造的に当然の流れなんですよね。実は。以下ともに2010年のニュースより。

「若い女性の収入、男性抜く 介護分野などで賃金上向き」
http://mw.nikkei.com/tb/#!/article/DGXNASFS1303B_T11C10A0MM8000/

「収入と学歴、若い世代の女性で男性を上回る傾向に 米国」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2753046/6139524

つまり、男手が必要となる製造業が中国・東南アジアなどに工場を移転、さらに公共事業の縮小によって男性が稼げなくなり、一方、介護や医療・美容など女手が中心の産業の需要が増加、女性が稼げるようになった。ものすごく簡単な理論がそこには待っているわけです。】

 そう言えば、今日もニュースで【働く女性、20~30代で7割に 過去最高を更新 】というものがあった。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS12048_S3A710C1MM8000/
(日本経済新聞)『総務省が12日に発表した2012年の就業構造基本調査によると、25~39歳の女性のうち働く人の割合が69.8%と過去最高を更新した。企業による女性の活用拡大や、家計を支える収入面の事情から子育て世代も離職せずに働き続ける傾向が強まっている。日本経済の持続的な成長には女性の活用が重要。女性にとってより働ける環境の整備が必要といえそうだ。』

 そうか、男女雇用機会均等法が施行されて以来の流れがここまでのことになっていたのか。
 確かに元気なビジネスウーマンに出会う事も多いし、いつのまにか「OL」という呼び名も死語となり、ましてや「腰掛けOL」などという人種は皆無になったのではないだろうか。
 自分の職場を振り返っても最近は女性ラジオディレクターが増えてきたし、優秀な人材も多い。これも時代の流れか。
 先日もある番組でたまたま代打で入ったアルバイトの女性がとても優秀で、その番組のチーフディレクターがサブ放送作家として採用するということがあった。
 僕にしてみるとアルバイトの女の子が突然放送作家になったので驚いてその理由を訊くと、「自分はこの番組の放送作家になりたい!」とアピールしてきて、実際に彼女のしている作業が現役のサブ作家よりもクオリティが高かったのだそうだ。
 そして何よりも彼女はいつも自分が与えられた仕事の+αの仕事をして来る。さらにはサブよりもポジションが上のメイン作家の原稿を研究して自分なりに原稿を書き、そのチーフディレクターのところに「見てください」と持ってくるのだそうだ。
 この積極的な姿勢と上へ上がろうとする野心。とても23歳の女性とは思えない。
 女性の社会進出の機会が増えたとは言え、まだまだ男性優位の社会であることは否定出来ない。そのことを若い女性の感性で敏感に感じ取り、生き残るためにやっているのだろう。
 そう、男は鈍いのだ。それは自分自身にも感じる事だけれど、男は女性に較べて感覚が鈍い。
 「女性の勘」というが、男より女性のほうが時代の空気を感じる能力が高いのかも知れない。
 そんなことを思わされた丸の内朝大学だった。
 ライターの田崎健太さんから聞いた話だが、かつて田崎さんが元ブラジル代表で有名なサッカー選手だったソクラテスに日本代表のビデオを見せて感想を聞いたことがあった。中田英寿がまだ海外リーグに移籍する前である。ソクラテスはこう言ったという。

「日本のサッカーはブラジルのサッカーに学ぼうとしているが、この二つの国には全く違っているところがある。人種の多様性だ。ブラジル代表を眺めて見ればいい。黒人、白人、混血、身長の高い選手、低い選手、様々な種類の選手がいる。日本のサッカー選手は、どれも似ている。中肉中背で、スピードと技術があり、規律を守る。ブラジルの強みは、あるタイプの選手が通用しなければ、全く違ったタイプの選手を交代させることができる。日本は、交代しても代わり映えがしない。あまり交代の意味がないんだ(中略)だから、ある一定より上を目指すことは難しいだろう」

 非常に厳しく、示唆に富んでいる言葉では無いだろうか。
 日本に背の高いセンターフォワードが居れば、日本代表はもっと強くなるという話がある。確かに日本では背の高いセンターフォワードが出てきてはいない。サッカー選手はプロでも身体が決して大きくないように思える。このことについてスポーツに詳しい人と話すと、「身体の大きい選手はみんな野球をやるんですよ。」と話してくれた。
 それは親の子どもに対する態度とも関係があるようだ。体格に恵まれた子どもを持ったときに親が思う事のひとつは「スポーツをやらせよう」だろう。そしてそのスポーツの将来性を考えたときにプロ野球のほうがプロサッカーよりも経済的な成功も伴う確率が高いのは自明の事。
 となれば、親としては野球をやらせることが多いのだろう。
 大相撲は常に身体の大きい子どもを探していると聞く。何しろ海外にまで新弟子になり得る少年を探しに行き、実際に数々の外国人力士、横綱が生まれている。
 それくらいの努力をしなければスポーツは強くならないのかも知れない。
 僕に話をしてくれたスポーツに詳しい人はこうも言う。「子どものサッカーでは技術の上手い子が目立って、身体は大きい子は動きが遅く見えるって言うのもあるんですよね。」これについても思い当たるところがある。日本が輩出する海外にで活躍できるような名選手に今のところフォワードはほとんどいない。どちらかというと中盤以下のマルチな動きをするプレイヤーが多い。
 僕はこの事を「器用な日本人らしい」と思っていたのだが、必ずしもそうではないようだ。つまり、大型のフォワードになり得る少年サッカー選手の資質を見抜けない大人のせいと言う事か。

 ソクラテスの言う人種の多様性もさることながら、もしかすると日本人自身に備わった多様性を嫌う性質、「出る杭は打たれる」の諺に代表されるような同質性を好む国民性が、スポーツからも多様性を奪っているようだ。
 もちろん国民性がそんなに簡単に変わるとは思わないが、普段の生活の中でも多様性を許容していくようにならないと日本という国は世界という舞台でいつまでたっても闘えないようにも思う。
 サッカー後進国と言われていたアメリカは近年グングンと実力を上げている。どんな分野でもグイグイ前へ出てくるアメリカという国の強さの背景に「多様性」があることは大きい。何しろ多様性が国家としての成り立ちの前提なのだから。

 僕はワールドカップで優勝する日本代表が見たい。
 でもそのためには僕ら自身が普段の過ごし方を変えて行かねばならないのかも知れない。