暑い日が続くけれど、最近気になっているものがある。
 日射しの強い日に女性が腕につけているカバーのことだ。
 ノースリーブの服を着ていながら二の腕から手首までを覆うそれが僕にはどうにも恥ずかしくて仕方が無い。なんだか昔流行ったレッグウォーマーを連想させる。
 レオタードを来ている人がレッウォーマーを付けている姿はいかにも1980年代な光景だが、その頃感じていたレオタードに対して抱くなんとなく恥ずかしい気持ち、それを思い出すのだ。

 レギンスというものが登場したときも何とも言えない気恥ずかしい印象を持った。
 どうして恥ずかしいんだろう。
 夏に女性がノースリーブの服を着ているのは男性の目を楽しませる。
 露出していれば何とも思わない部位をわざわざ隠すのだけれど、ぴたっとした素材で肉体のラインがはっきり出るもので隠すことがなんとも複雑な恥ずかしさを生み出す。
 女性の腕にもそこまでセックスアピール力があるなんてアームカバーで登場するまで思わなかった。
 
 アームカバーの中には手首の先の手の甲まで隠すものもある。
 これがまた僕の感性を刺激する。
 手甲や脚絆といった日本古来の装身具があるが、これにも何だか気恥ずかしさを昔から感じていて、手の甲まで隠すアームカバーにはそれと同じものを感じる。
 
 ある文化論で語られていたのだが、日本人は人前のキスをすごく恥ずかしいと感じるが、庭先で行水することは平気だったらしいし、昔の銭湯は男女混浴だったし、そもそも日本では男女混浴がかなり最近までふつうのことだった。
 この日本人の「裸が当たり前」ともいうべき感性が僕らのDNAの中に刷り込まれている。
 隠すことによって初めて裸が恥ずかしいと気づくように、アームカバーが登場することで初めてノースリーブスが恥ずかしいと気づいたのだろうか。
 そう考えるといろいろわかってくる。
 洋服を着るから裸が恥ずかしいのは未開地の原住民に全裸で生活している人たちがいて、近代化、都市化すると洋服を着るようになることからも明らかだ。
 それを一般的には「文化的になること」だと言われるけれど、いや、そうでもナインじゃないかと言う気にもなる。
 あれ?いろいろ考えると服を着ることって実は恥ずかしいのことなのか?。
 ああ、ますます混乱してきた。
 
 評論家の宇野常寛さんと打ち合せで会う機会があったので、かねてよりいろいろ考えていることを質問してみた。
 「ラジオはどんなリスナーをターゲットにしたらいいですかねえ?」
 ざっくりした質問だが、まあ詳細はこうだ。ラジオには「ターゲットセギュメンテーション」という手法があり、それが長らくラジオの戦略の中心として機能してきた。
 それは早朝番組は高齢者向け、朝番組はサラリーマン向け、午前中は主婦向け、午後は商工自営向け、夕方は商工自営に加えて夕食の準備をする主婦向け、そのあと野球中継があり、夜は若者向け、という考え方だ。
 生活動態に合わせて、その時間帯にラジオを聞いてくれそうな人たちはどういう人かを考えて生み出されて手法である。これはそれぞれのリスナー層をターゲットにしたスポンサーがマッチしてくる営業的にもよく考えられた手法だった。
 時代ととも生活動態が変化し、この手法はあまり目立った効果を上げなくなり、ラジオ業界の迷走は始まった。
 ここに新たにFM局が開局したりした頃から世代でターゲットを絞る方法が流行、M2だのF2だのという言葉が広告業界を踊り、さらにはラジオの聴取率調査対象の上限が59歳から69歳に引き上げられることになり、ラジオは「高齢者メディア」の性質を強くする。
 これは明らかにお金を持っている団塊世代以上のサイフを狙った広告業界の戦略だった。
 近年はインターネットでラジオを聞くサービスradiko、そして東日本大震災の影響で災害時のメディアとしてラジオが見直されたりという流れになっている。
 そんな状況の中、ラジオ局の戦略というのは多様化し、決定版がないのが現状だ。

 長くなったがそんな前提で宇野さんに「ラジオはどんなリスナーをターゲットにしたらいいですかねえ?」と聞いたのだ。
 宇野さんはふたつの考え方を提示してくれた。
 ひとつは今のリスナーはどう切っても正規分布にならないということ、つまり戦後高度経済成長期の日本のように圧倒的に平均的な日本人像が消滅して、いわゆる「マス」は存在しないということだ。そしてそれを前提とした上で年齢や職業ではなく「趣味が同じ人」をある種の固まりとしてターゲットにする方法。
 もうひとつは現在の日本がどんどん階級社会になっていることを前提として、その階層をターゲットにする方法だ。宇野さんによれば、善し悪しは別にして確実に日本人の格差が広がっているので、富裕層を相手にするのか、貧乏な人を相手にするのかという考え方が成立するのではないか、ということ。日本人を分つのは結局年齢とかでは無く、収入なのかというは悲しいが確かに現実を見つめるならばそうであろう。

 もう少しで整理が出来そうだと思っているのだが、ラジオの新しい戦略はもう少し考えて行きたい。オールナイトニッポンは今45年の歴史を誇るが始まって20年ははがきがコミュニケーションツールだったが後半の25年の間にはがきがファックスになり、メールになり、SNSになり激しい変化をしている。
 各分野において同様のことが起こっているし、長期経済停滞期でも必ず成長分野があり、生活はどんどん変わっている。某居酒屋チェーンのトップがある講演で言っていたこと「10年前に較べて食材の質は飛躍的に向上しているからと言って利益は2倍にならない。しかし介護分野は今何をやっても儲かってしまう。よくも悪くも事業というのはそういうもので、経営者はいかに時代のを読むかにかかっている。」う~ん、ごもっとも。
  最近よく行くワインバーがある。
 僕は飲むのが好きだけれど、ひとりでフラッと入ることができる店というのは少ないものだ。
 居心地というのはいろいろな要素で決まってくる。
 店主、店員の態度、酒のセレクト、値段、場合によっては椅子の座り心地も関係してくるだろう。
 最初に初めて入れるようになった店は下北沢だった。
 理由は簡単だ。大学の同級生がその店のバーテンだったからだ。
 僕の仕事も夜の時間に寄っていたので、よく深夜にその店に会社の帰りひとりで飲みに行き、その同級生に夜の飲食業界のいろいろなことを教わり、友達も出来た。
 そのうち引っ越したりして下北沢が足が遠のき、次に行くようになったのが南青山の小さい居酒屋だった。かれこれ16年以上通っていたがその店が今立て直しで12月まで閉まってしまった。
 そうなるとひとり飲みに行く場所に困るものだ。
 そのときその店の常連さんから教わったのがそのワインバーなのである。
 不思議なもので今閉まっている店の常連さんが次々にそのワインバーにやってくるようになった。
 ワインバーのマスターが驚くほど次々に人が来て、しかも元々のワインバーの常連さんの中には僕自身の知り合いも多く、これにまた僕も驚いている。
 見えない共感の波動が同じ人たちは響き合い、結局同じような空気の場所に集うようだ。
 まあ、何しろ24時間の3分の1は寝ていて、もう3分の1は仕事して、残りの3分の1は飲んでいるのだたすれば(そんな単純じゃないかも知れないけれど)、飲む場所は家や会社と同じように大事な場所だ。
 今気になっている事は12月になって、閉まっている南青山の居酒屋が再オープンしたときに常連さんたちの動きがどうなるかだ。行きつけの店が2軒になることで行く頻度が半分になるのか、もしくは2倍になるのか。
 僕は2倍になっちゃうかも知れない。